《悪魔の証明 R2》第8話 007 セネタル・スワノフスキー
「おいおい、勘弁してくれよ」
その男は両手を上げ弱々しい聲を吐く。
「なんだ、クレアスか」
ふん、と鼻を鳴らしてから、私はサイレンサー38式をポケットへと戻した。
淡いの天井へと両手を掲げている男が、チームスカッドの一員――さらに私の部下でもあるクレアス・スタンフィールドであると認識したからだ。
一方のエリシナはサイレンサー38式をなかなか下げようとしなかった。
クレアスのを舐め回すように銃口を上下させる。
「部屋にるときはノックくらいしなさい、クレアス・スタンフィールド」
と注意してから、ようやくサイレンサー38式を腰にしまった。
こくりと頷いたクレアスは、早速といったじで手を下にする。
そのままつかつかと部屋の中央に向かってきた。
クレアス、おまえもか……
彼の全を視界にれた私は、思わず頭を振った。
「――ったく、おまえといい、エリシナといい、なぜ、カジュアルという何の変哲もない単語を極論で捉えるんだ」
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図らずも口から嘆きがれる。
今日初めて見るクレアスの服裝。
さすがに自分の目を疑わざるを得なかった。
上は黒いジャージ。下は膝小僧の部分が大きく破かれたデニムジーンズ。普段茶の髪が、今日に限って真っ赤に染まっていた。ってきた時に気がつかなかったのが不思議なくらいのの濃さだった。
エリシナの出立より數段酷い。
だが、こうしてはいられないと気を取り直して顔を上げる。
「それで、誰か怪しい奴はいたか?」
と、彼に尋ねた。
クレアスはすぐに首を橫に振る。
「いや、いなかった。というより、誰が怪しいとか、誰が危なそうとか、そんなものわかるわけがない。人間行を起こすまで、何をするかわからないんだからな。その前によく考えてみろよ、どちらが不自然であるか。何もしてないやつを、怪しいとか危険とか思うやつの方が逆に不審だとは思わないか」
何やら哲學めいたことを口走った。
私は靜かに目を閉じた。
「クレアス、おまえが言いたいことはまったくわからんが――とにかく、テロリストが、スカイブリッジライナーにいることは間違いない。これからやつらを捜しに行くぞ」
「……ちょっと待て。ARKがやはりこの列車に乗っている……誤報じゃなかったんだな」
「ええ、そうよ。クレアス」エリシナが相槌を打った。「電波が妨害されていたの。今は攜帯も無線も外部につながらない。おそらく乗客はただの電波障害だと思っているから、まだ騒ぎになっていないようだけれど。でも、この電波妨害は百パーセント、例のテロリストの仕業よ」
「無線が遮斷? エリシナ、マジかよ」
予想もしないことだったのだろうクレアスは、驚嘆の聲をあげた。
すぐさまポケットから無線機を取り出し作を始める。
私の時と同じくすぐに騒々しいノイズ音が部屋中に流れた。
実際に自分の目で外部に通信が不能であることを確認したからか、彼の表はみるみるに厳しさを増していった。
「リーク報は本だったってことね。やつらARKは、程なくしてこの太平洋を橫斷するスカイブリッジライナーを襲う。誰がリークしたか不明っていうところは、若干問題だけれど。でも、大事なことはこの妨害電波で、それが証明されたってところよ」
エリシナが今更ながらに説明した。
彼がいうリーク報とは、一ヶ月前、私たちが所屬するラインハルト社私設警察潛捜査チームスカッドに匿名でもたらされたものだ。
「――テロリストの件はわかった。だが、セネタル、エリシナ。正直、今日俺はし疲れている。テロリストと戦することになったとしても、いつも通りの働きができるかはわからない」
クレアスが抑揚のない聲を出す。
「……おまえが疲れているのはわかっている。おまえには……今日の晝頃まで別件の潛捜査をやって貰っていたわけだからな。本來だったら、今日は非番だったのもわかっているんだが……あいにく、あいつが病欠でな」
私はし気まずくなった。
「でも、大丈夫だ。何とか頑張るよ」
クレアスは若干気の抜けた聲ながら、そう言葉を返してきた。
「ほら、クレアス。今日はもう十一月十四日よ。二日後には誕生日でしょ。二十九歳になったら、きっと給料も増えるわ」
彼の肩に手を乗せながら、エリシナが言う。
元気づけるためにしては下世話な話の容だった。
これでは気が晴れるはずもない。
「いや、きっと無理だ。というか、絶対に増えない。同期のやつらを見てたらわかるよ、それは。こんなに頑張っても一向に上がらないんだから、報われないよな、俺たち」
そう言ってから、クレアスはまた吐息をついた。
私の推測通りだった。
しかし、彼がこのような愚癡を言うのは珍しい。よほど疲労がたまっているのだろう。
「ああ、それ、長引いているデフレスパイラルのせいだ。経済評論家によると、価の価値が落ちれば必然的に経済のパイが小して労働者の給與や採用に大きく影響するらしい。ま、要は世の中不況ってことだな」
私は冗談めかした口調で言った。
昨日観たニュース番組のけ売りそのままだった。
クレアスは経済に興味はなさそうだが、し私設警察関連の話題から話を逸らせた方が彼の気が紛れるはずだ。
「それ、知ってる。失われた十年っていうんでしょ。まるで、漫畫とかアニメで使われるような標語よね」
エリシナも話題に乗ってくる。
「失われた十年とか言っても、マスコミはいつもそのような標語を使っているから、いったい、いつのことを指して十年と言っているのかまったくわからんがな」
調子づいた私は、良く知りもしないのにマスコミを揶揄するような言葉を吐いた。
「しかし、セネタル。匿名電話があったくらいで、スカイブリッジにいるテロリストがARKと斷定していいのか?」
私たちふたりの會話を無視するかのように、クレアスは話を元に戻した。
「わからない」
私は率直に答えた。
世界最大のテロ組織ARKが関與する頻度が比較的高いとはいえ、世界中でテロが吹き荒れる昨今では、當然彼らのみがテロを行っているというわけではない。無論、例の匿名の通報も別のテロ組織が何らかの目的でARKがテロを行うと語っただけ、というオチである可能も十分に考えられる。
「わからない? そんなあやふやなことでいいのか?」
クレアスがし語気を荒げて訊いてきた。
「おまえの言うことももっともだ、クレアス。が、とにかく今はそうだとしか言えない。とりあえず、何でもいいから車両の中を探索しよう」
そう言い終わったと同時に、私はルーム四の間口へと歩き出した。
背後にエリシアたちがついてきているのを確認してから、ドアを開ける。
そして、廊下へ足を踏み出そうとしたその時だった。
両手にシルバーのアタッシュケースを抱えた小柄な男が、私の目の前を颯爽と通り過ぎた。
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