《悪魔の証明 R2》第14話 012 セネタル・スワノフスキー
「とりあえず、五號車に男の姿は見當たらない。次は棚のチェックだな」
獨り言のように私は呟いた。
そして言葉通りに、壁に取り付けられた自分の頭のすぐ上くらいの高さにある棚へ目を移そうとした。
その矢先のことだった。
目の前を人が橫切った。
ピンクのカーディガン、老婆、背は低い。
間近に來た老婆――その人象を素早く確認した。軽くを橫にして彼との衝突を避ける。
老婆をやり過ごした後、すぐにその場で立ち止まった。
通路に免許証サイズのカードが落ちているのに気がついたからだ。
この場にいる自分たち以外の誰かのなのだろうか、と念のため周囲をぐるりと見渡したが、老婆と私たち以外誰もいない。
ということは、おそらくあの老婆が落としたものなのだろう。
クレアスがそのカードを拾い上げようとする様子を橫目で確認した。
「お婆さん。カードを落としましたよ」
老婆の背中に呼びかける。
ゆっくりと老婆はこちらを振り返った。突然見知らぬ男に聲をかけられたせいかきょとんとした顔をしていた。
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「あのカードなんですが……」
すでにクレアスの手の中におさまっていたカードを指で示した。
老婆は手に持ったトートバッグを探り始めた。
「あら、私の孫のものだわ。どうもありがとう」
すぐに顔を上げ言った。
その後彼が語った話によると、先月ロサンゼルスへ渡った孫がトウキョウの実家に國際共通分証明書を忘れていったので、ロサンゼルスへ會いに行くついでにそれを屆けるつもりであるらしい。
「おい、クレアス。そのカードを渡せ」
私は指示を送った。
だが、クレアスはなぜかカードを見つめたまま手をかそうとする気配を見せなかった。
「クレアスどうした?」
片眉を上げながら、クレアスに歩み寄った。
無理矢理彼の掌にあるカードを奪い取る。
あ、と聲をあげるクレアスを無視して、カードを顔に近づけた。
そのカードは老婆の言う通り國際共通分証明書だった。
個人報の名前欄にはスピキオ・カルタゴス・バルカ。職業柄、記載されている生年月日からその年齢を逆算したところ、どうやらその男は三十三歳のようだ。
そして、その隣にある寫真にいるのは頬のこけた青年だった。
これを見た瞬間この老婆はスリだ、と私は直した。
寫真の青年はこの老婆と似ても似つかない。
それに孫のものとはいえ、國際共通分証明書のようなをすぐ落とすような場所に持っておくはずがない。
老婆に近づき、「はい、どうぞ。お婆さん」と、そのままカードを返卻した。
この老婆がスリだという確信はあるが、今は何があろうと、極力騒ぎを起こしたくなかった。
尋問でもして、彼が暴れ出したら即刻逮捕するしかない。
もしそんな狀況になってしまったら、自分たちの分が今列車のどこかにいるテロリストたちにバレてしまう。
「ありがとうございます、お兄さん」
禮を述べると老婆はを翻した。
それから、こちらを振り返るこもなく腰を曲げながら、ゆっくりと五號車の通路を歩き去っていった。
老婆の姿が食堂車の中へと消えた瞬間、クレアスがこちらへ駆け寄ってきた。
「おい、セネタル」
し鼻息を荒くして呼びかけてくる。
「放っておこう」
そう小聲で返してから、眉をひそめているクレアスの方をじろりと見やった。
この振る舞いで私の意思を読み取ったのか、それ以上クレアスの口から不平がれてくることはなかった。
若干の空気の歪みが去った後、私たちは再び五號車の中を探り始めた。
とはいえ、容疑者の見當たらない五號車における調査対象はその乗客ではない。
無論その対象は例のシルバーのアタッシュケースに決まっている。
先程見ることが葉わなかった雑多に荷が並んでいる棚の方へと視線を送った。
テロリストがアタッシュケースを近に置いている可能はほとんどないと踏んでいた。
弾を自らの手元において、萬一私たちのような私設警察に見つかれば、自分が逮捕されるどころか、列車の破という最大目標の達が困難になってしまう。
それはテロリストもわかっているだろうから、どこか自分のいる場所とは別の場所に弾を隠しているはずだ。
「あ、やっぱりあった。シルバーのアタッシュケース……」
心が一瞬踴ったが、すぐに肩を落とす結果となった。
シルバーのアタッシュケースはふたつどころではなかったからだ。見れば同じようなタイプのものがいくつも棚の上に置かれていた。
これでは弾りのアタッシュケースを見つけるのは至難の技だ。
再び頭を悩ませる。
まさか自分たちだけでひとつひとつ荷の中をあらためるわけにはいかない。
それより前に乗客に荷を開ける理由を何と説明すれば良いのだろうか。
正直にテロが行われるから、と述べてしまってはもちろん元も子もない。そう聞かされた乗客はパニックになり、たちまちスカイブリッジライナー車は、最もなってはいけない狀態――すなわち大混に陥ってしまうことは容易に想像がつく。
「くそ、なんでこんなに、シルバーのアタッシュケースが多いんだ。駅でバーゲンでもやってたのか」
と、背後から怒気を含んだ聲。
次の瞬間、今にも地団駄を踏みそうな顔をしたクレアスが、彼の前に立っていた自分――すなわち私を憤然として追い越していった。
怒り肩で突進していくすべき同僚を見た私は、やれやれ、と肩をすくめた。
天井から降り注ぐ淡い照明のを見つめる。
そして、顔を戻した後、迷うこともなく憤然と先に進んでいくクレアスの背中を追いかけた。
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