俺は「飛ぶ」ことができない。

飛ぶっていうのはこの世界じゃ誰もが當たり前に持っている「空の加護」の恩恵による強化のなせる行為だ。

離れた場所まで風になったようにひとっ飛び。

作も俊敏、全の筋力に補正がかかって空気に対して強い抵抗を得られるんだとか。

だが俺にはその「空の加護」が一切無い。これっぽっちも、パンくず一欠片分も無い。

今までそんな人間を見た事は一度もない。

老人にすら力負けし、亀のように鈍重。そんな奴に居場所なんてない。

俺の人生は生まれながらにしてハードモードだった。

§

の落下は一切の抵抗を許さない。些かの容赦なく、固い地面は俺のを打ち據える。

今度こそ終わった。確かにそう思った。

著水の衝撃があり、水の中に沈み込んでいくのをじる。落ちた先は水路だった。

どうやら命拾いしたらしい。

落下の勢いが消え、痛みと浮遊と目眩をじつつ、息を止めがむしゃらに手足を掻いて上を目指した。

やっとのことで水面に顔を出すと水路の端まで泳ぎ、へりに手をかけて重たいを引き上げた。

「げほっ！　げほっ……ぐっ」

全ずぶぬれだ。おまけに鼻から逆流した水がって気持ち悪い。

水路のへりに腰掛けて激しくむせる。落下の際に水面に強かに打ち付けたが痛んだ。

視線をじて顔を上げると往來から道行く人々がこっちを見ていた。あきれ顔に、クスクスと笑い聲も聞こえてくる。

「何あれ。水浴び？」

「さあ」

落下によるダメージは思ったより淺かったが 、気分は水路の中にとり殘されたみたいに沈んでいく。

「くっそぉ……」

治安部隊が通りかかると々面倒だ。さっさと退散しよう。

そう思ったところで財布をポケットに突っ込んでいたことを思い出した。

すぐにポケットに手を當てるが、ぺたりとして膨らみがない。何もってなかった。

慌てて水路に目をやるが、既に何事も無かったように水面には波紋一つない。

落下する途中でどこかへ飛んで行ったか、それとも水底へと沈んでいったか。

俺は水路のへりからを乗り出したままがっくりとうなだれた。

不幸は重なるものだ。不幸……いやこんなのは普通、日常茶飯事。

俺の人生はずっとこんなじだ。財布と俺の気分を水底から引き上げることはもう不可能に思えた。

「これキミの？」

唐突な聲に振り返るとの子が屈んで俺を覗き込んでいた。それも可らしく明のある。

二つの赤い瞳に思わず心臓の鼓が跳ねる。き通るような薄紅、珍しい瞳のだ。

長い髪は明るい橙で、様々な種族が往きうこの王都でもかなり目立つ容姿である。

彼は差し出した右手に俺の財布を載せていた。

「あ、うん……俺の。ありが、とう」

突然目の前に現れたしいに驚き、さらにその特異な容姿からまじまじと彼を見つめてしまった。

我に返り、しどろもどろになってお禮を言う。

「あは、よかった！」

の子がにっこりと笑った。まったく含むところのない純真無垢な笑顔だ。

彼は暗のブラウスとスカートというその容姿に反してし地味な裝いだった。

俺が財布をけ取ると、彼はその場でくるりと振り返ってそのまま通りをずんずんと歩き去っていく。

俺は惚けたままその後ろ姿が見えなくなるまでぼんやり見送った。

「いい笑顔だったなぁ……」

周りからの嘲笑や沈んだ気分はいつしか消え去っていた。の笑顔が俺の心の中の澱んだを吹き飛ばしてくれたらしい。実に気持ちのいい笑顔だった。

王都へ來てからというもの、あんなに素直なを向けられたのは初めてかもしれない。

あの笑顔を忘れずに今日一日を過ごす事にしよう。

そうすれば嫌なこともやり過ごせるはずだ。きっと。

「おい邪魔だァ！」

すぐ後ろから怒聲が響いた。何事かと振り向こうとするが、ふいにに加わる衝撃。

不意を食ってのバランスを崩す。反的に手を突き出してを支えようとするが、手は空を掻いた。

「は？」

狀況を把握した時にはは落下の途中。さっきまで足を付けていた地面、というか街區が遠くなっていく。

なんであんなところにが。

「はああああああああーーーー？！」

本日二度目の墜落を経て、俺のと心は再び貯水池の底へ沈んだ。

都會は怖い。でも、俺にはもう帰る場所なんて無いんだ。