《スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜》第5話 夕闇の廃墟街

薄闇が廃墟街を覆い始めていた。日常の世界をどこか遠くにじる。

角の生えた巨大な化けは、頭巾を被ったユリクセス(北部人)の片割れを雑巾のようにひねりつぶして赤黒い殘骸へ変えると、俺の方へとその首をもたげた。六本の腳を使ってこちらへやってくる。

「ひ……え……」

の本來目玉が嵌っているであろう眼窩は、底の見えない黯さに沈んでいる。俺はの流れる足を引きずって、腕だけで後ずさろうとする。

は目の前に迫り――――俺をいで通り過ぎていった。

「はっ……、はぁっ」

地面を砕く重たい足音が遠ざかっていく。俺は後ろ手をついたままけなかった。足音が遠のいた頃、首を巡らせて振り返る。

あいつは、いない。

何故俺を見逃したのかわからない。だけど今は、そんなことを考えている場合じゃない。

一刻も早くこの場を離れなければ。金縛りにあったように緩慢な作しかできなかった狀態から解放されてみると、今度は右足の刺し傷の痛みが蘇ってくる。

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ちくしょう。かなりざっくりやられてる。

顔からはの気が引き、心なしか頭がぼんやりする。両手を地面について、立ち上がろうとする。

恐怖か、神経が傷ついているのか。がくがくとして右足にうまく力がらない。それでも左足を軸になんとか立つ。

「痛えぇ……」

思うように歩けず、一歩踏み出す度に傷は激しく痛んだ。

壁に手をつきながら進む。呼吸が荒い。心臓の鼓が早い。そうだ、早く止しないと……。

「!」

よたよたと歩む俺の前に唐突に現れたのは橙髪のだった。ここまで駆け戻ってきた様子で、俺の姿を認めるとはたと立ち止まった。負傷した俺を見て驚愕に目を見開いている。

戻ってきてしまったのか。いまここは危ないっていうのに。

「ここにいちゃいけない……早く行って」

「ひどい怪我……! あの人にやられたの?!」

俺の慘狀を見て慌てるの肩を摑んで訴える。

「……今はっ! ここから離れるんだ。でないと、あいつが戻って來るっ……!」

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折角を逃すことに功したのに、再び危険地帯に戻ってこられては意味がない。に俺の焦りが通じたのか、不安そうな表を浮かべながらも口を閉じて引き下がってくれた。

先に逃げてくれ、というのだが彼は俺を置き去りにしようとはしない。心配そうに俺の様子を窺いながら、歩調を合わせて隣を歩いてくる。

これでは逆に俺が足手まといみいだ。でも正直、余計なことを考える余裕がなかった。

廃墟街に足を踏みれた地點までなんとか戻って來ることができた。元よりそこまで距離があったわけではない。今の俺には隨分遠くじたけれど。

崩れた塀に寄りかかって、俺は停めてあった空機を指差す。

「悪いけどあれを、ここまでもってきてくれないか……」

に聲を掛けると、彼は頷いて街燈の側に停めてあった空機をひっぱって戻ってきた。

禮を言って座席にりハンドルを握る。足が重から解放されてしだけ楽になった。

「後ろに乗って。逃げるぞ!」

「うん」

前にずれて、座席に彼が座れるスペースを空ける。は素直にそこにふわりと腰を下ろした。驚くほどに軽い。

「頼む、頼む……」

った手でるレバーを引く。固定狀態が解除されて車り出す。変換の出力を徐々に上げていく。地面との反発力が増大し、空機の速度が上がっていく。

「っ!」

「きゃっ!」

しかし車は突然進行方向を変え、右手の廃墟の塀に衝突した。脆くなった塀が欠けて崩れる。

幸いまだ速度がなかったおかげで転倒はしなかった。しかしこれでは……。集中力さえ欠いた今の俺じゃこれを扱うのは無理だ。空機は捨てて自分の足で逃げるしかない。

「……だめだっ! 降り――」

俺のに細い腕が回された。抱きつくようにしだけ力がる。

「……頑張って!」

要領を得ないと言いたげに振り返ると、すぐ近くに彼の顔があった。き通る大きな薄紅の瞳が、その奧に何か力強さのようなものをめて俺を見返していた。彼が軽く頷く。

のせいか、頭がくらくらして寒気をじていたが、しだけ暖かくなる。なんだろう、この覚は。

痛みもし遠のいて、意識がしだけはっきりと浮かび上がってくるのをじる。ほのかに暖かい。

その時、派手な破砕音とともに背後の廃墟街の塀が吹き飛んだ。破壊の現場に目をやると、塀を砕してあの怪が道にその姿を表していた。

飛び散った瓦礫ががらがらと音を立てて転がるのを聞き終える前に、俺は前を向いてアクセルレバーを思い切り引いていた。躊躇している暇はない。

「なっ、何あれっ?!」

「來やがった! 離さないようにしっかりつかまってて!」

急発進した空機は徐々に加速していく。この早さで放り出されたならただじゃ済まない。ハンドルを握る手が汗ばんでくる。

しかし背後にじるから伝わる暖かさが俺を安心させてくれる。

塀に沿って緩くカーブする裏道を、速度を上げながら駆け抜ける。この早さなら振り切れる。そう思った時だった。

ガスン、と前方の地面にめり込むように派手な音を立てて怪が降って來た。飛んだのか。まずい、突っ込んでしまう。

止むを得ず急転換で、再び廃墟街の橫丁へった。そのまま廃墟の通りを突き進む。この廃墟街がどんな地形をしているのか、俺はよく知らない。なんとかあいつを撹するように縦橫に走って撒くしかない。

「來てるかっ?!」

角を曲がり、廃墟の間をくぐり抜ける合間に何度もへ聞いた。

「ずっとついて來てるよっ!」

「くそっ!」

大きな段差を見逃した。車が通常より高く浮き上がってしまう。あっ、と思ったがなんとか制は失わずに済んだ。しかし、水路のような一本道にり込んでしまった。これじゃあ奴から丸見えだ。

限界までアクセルを引いて速度を上げ、ちらと背後に目をやる。雄牛頭の怪は六本の足を用にり、轟音を立てて廃墟の石畳を破壊しながら迫ってきていた。

縄張りに踏み込んだ俺たちを逃すつもりはないらしい。ぞっと背筋が凍り、すぐに視線を前に戻す。もっと、もっと速く!

幸い激しい痛みは薄れているが、泣きたいことに変わりはない。

俺、本當に死ぬかも。中途半端な正義で介した結果がこれだ。俺は道を踏み外してしまったんだ。

両脇の壁の上部には等間隔で鉄骨が渡されている。この廃墟にまだ人々が暮らしていた頃は地下道か地下水路として使用されていたんだろう。この一本道は隨分と長くびていた。

遠くに巨大な門のようなものが見え始める。あれはもしかしてバラム跡か。

五番街第二層の西には廃墟街が広がっているが、そのさらに奧にはバラム跡という古代跡があると聞いた。

その辺りは再開発の計畫もなく、土地のフィルが枯れかけていて崩落の危険があり、立ち止の區畫となっているとも。

つまり俺たちは五番街のどんづまりに向かって空機を走らせているってことだ。絶がさらにの気を失せさせた。

この道にってしまった以上、もうまっすぐ突き進むしかない。やがて凝った裝飾のされた、崩れかけた巨大な門を俺たちはくぐり抜けた。通路はそこで終わり、小さな広場の先はもう跡だ。

どの道止まるわけにはいかない。広場を突っ切ると、巨大な石材を積んで造られた跡の手近なり口にそのまま飛び込んだ。

廃墟のような部を空機で駆け抜ける。埃っぽく、苔のような青臭い匂いが鼻腔を突く。

部を走り出して間も無く、後ろから豪快な破壊音が響いた。あいつはしっかり著いて來ているらしい。

迷路のようにり組んだ部を駆け抜けた。やがて進む先に赤く染まった外の景が見え、俺たちは跡を抜け――――。

すかさずブレーキを思い切り捻って転倒を防ぐために車を橫に倒そうとした。変換にロックをかけて勢いを殺すが、最高速度からの反で俺たちは宙へと投げされてしまう。

「うわあっ!」

地面に投げ出されて転がった。橫りしながらなんとか回転が止まると、全を痛みが襲う。を苛む苦痛に目を白黒させながら、群青と茜が混じる空を見上げた。

「だっ、大丈夫か!?」

が心配になって俺は仰向けのまま聲を上げた。

「平気、でも……」

以外にも平気そうなが俺の顔を覗き込んで來た。俺はよほど酷い狀態なのか、彼がおろおろとしているのがよくわかる。

よかった。彼に目立った怪我はなさそうだ。

「うっ……。それより、早く戻らないとっ……」

外に出られると思って飛び込んだ出口の先は、空へと突き出した古い埠頭だった。速度を殺してなんとか転落は避けることができたが、この先で地面は途切れている。

行き止まり。元來た跡の出り口を見る。跡の部からガン、ガンと何かを叩きつける音が聞こえ始めている。

追いつかれた。怪はあの狹い出り口を無理やりこじ開けてこっちへ來ようとしている。無茶をするが、老朽化した跡は脆い。すぐにこちらに抜けてやってくるだろう。

「逃げ道が……ない」

俺たちは完全に追い詰められていた。

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