【大勇者】ｖｓ神

レミニアは早速用意を始めた。

王都から運んできた絹を広げる。

そこには複雑な紋様の魔法陣が描かれていた。

初めから、ルネットを復活させるつもりでいたのだ。

高価な魔寶石を陣にばらまく。

さらにが沈み、月(レク)が昇るのを待った。

ストラバールでは、夜は死者の世界だといわれている。

その信をするためにも、もっとも魔力が濃くなる夜まで待たなければならない。

青白い月が天頂へと昇る。

レミニアは一旦息を吐き、呟いた。

「準備はいいわね」

向かい合うルーハスに尋ねる。

【勇者】は神妙な顔で頷き、打ち合わせ通り、自分の腕に刃を押しつけた。

獣人のハーフのが、陣にしたたる。

蘇生には魂だけではない。

二重世界理論と同じく、死者を観測したもの――その記憶が必須になる。

そして、その記憶がもっとも強く刻まれた場所。

すなわち、北の戦線こそが、ルネットを生き返らせるための最良の場所なのだ。

ルーハスをこの地に連れてきたのは、そのためだった。

レミニアは儀式を続ける。

呪文を唱え始めた。

「霊哭と冥死の神にして、大空の遙か深奧に玉座をかまえるもの。それすなわちルディミアよ」

名前を聞いた瞬間、ハシリーは息を呑んだ。

全能といわれる大神レダ。

その力に匹敵し、世界の果て【大空】の奧にいる地下と死を司る神だ。

だが、いまだに神と契約したという話は聞いたことがない。

おそらくレミニアが初だろう。

「（やはり……。レミニアはつくづく【大勇者(レジェンド)】だ）」

魂があるとはいえ、そこから死者を復活させる。

間違いなくレベル１０に相當する魔法だ。

魔法陣がおぼろげにり出す。

膨大な魔力が渦巻いているのがわかった。

空気中に存在する微細な霊が集まった魔力に反応し、を帯び始める。

まるで蟲の一斉羽化を思わせるような幻想的な景に、一同は息を呑んだ。

幻獣であるミケも驚きを隠せないらしい。

本能からか、る霊を追いかけていた。

「我、地と底を貫く王に傅くものなり。平伏し、月に近き地にて盟を請う。一條の慈悲を以て、汝の眷屬に加えし魂を救済することを許し給え。魂を東の塔へ、を西の塔へと預け、我が萬象の願いに、星天の秤をかけよ！！」

瞬間、魔法陣から魔力の奔流が立ち上がる。

黒い……。真っ黒な魔力だ。

「これが地と死を司る神の聲なの」

短い髪を逆立てながら、ハシリーはまた息を呑んだ。

◇◇◇◇◇

暗い……。

井戸の底よりさらに深い闇が、永劫と思えるほど続いている。

レミニアはぽつんと立っていた。

周りにハシリーはおろか、ミケもルーハスもいない。

たった１人だった。

そして寒い。

溫かなが抜けていくように溫が奪われていく。

レミニアはじていた。

自分の死を……。

ここが霊哭と冥死の神ルディミアが生み出す虛數の世界であることを。

つまりは死の世界だ。

ぼうと目の前が明るくなったような気がした。

目線を上げると、が立っていた。

こんな地獄のような場所で遭う人だ。

むろん、普通のではない。

鬱したを思わせるような青白いドレス。

目は落ちくぼみ、長い髪は氷のように固まっている。

手は長く、爪の先が鎌のように鋭くなっていた。

「死(われ)を呼んだのはそなたか、人間」

ルディミア本神であることは、現れた時から理解していた。

すると、霊哭と冥死の神がそっと手を差し出す。

挨拶のようならかい抱擁だった。

だが、それはレミニアが見聞きしてきたあらゆる攻撃やスキルの中で、もっとも暴力的だった。

レミニアのがみるみる青白くなっていく。

紫水晶を思わせるような瞳から、生気が奪われていった。

やがて思考も絶たれ、視界と一緒にぼやけていく。

問答無用で、死が訪れようとしていた。

「おろかな……。人間が死(われ)を使役し、あまつさえ死(われ)の眷屬を現世に呼び戻そうなど。分際を知るがよい」

ルディミアは口角を上げた。

神の抱擁の中で、【大勇者(レジェンド)】はゆっくりと死を迎えようとしている。

だが、はたと気づいた。

いつの間にか、の手が神の背中に回されていた。

冷たい――確かな死者の。

しかし、レミニアは力強く神を抱きしめる。

「神の抱擁……。なかなか甘だったわ」

「馬鹿な！　何故生きている！？」

「愚問ね。わたしがパパのお嫁さんになるまで死ぬわけないでしょ」

「はあ……！！？」

ルディミアの口から思わず変な聲がれる。

娘の発言を聞いて、心底呆れたのだ。

そんな理由で、死から逃れているのかと。

すると、レミニアは魔力を増幅させる。

「なんだと！！」

発する魔力に、ルディミアは戦いた。

レミニアから発せられる魔力量は、人間のそれを超えていた。

異能者(イレギュラー)と説明するのも、あまりある。

その雄大な魔力は【　神　】そのものを思わせた。

「貴様！　何者だ！！」

全能の神レダに匹敵するほどの神ルディミア。

それを震撼させるほどの魔力の持ち主。

ただの人間――いや、人間であるはずがない。

ルディミアも負けていない。

神の意地か。

レミニアから発せられた魔力を、自の力によって抑え付けようとする。

「うっさいわねぇ！！　あんたは黙って、わたしの願いを聞いていればいいのよ、駄神！！！！」

レミニアは絶する。

魔力量を増やした。

それは抑え付けるという生やさしいものではない。

まるで平手打ちだ。

の毆り合いみたいに、レミニアと神の魔力が拮抗する。

勝利したのは……。

◇◇◇◇◇

魔力が落ち著く。

地面ごと引き剝がさんと揺れていた草葉が、緩やかに揺れ始めた。

嵐は過ぎ去り、穏やかな魔力が炎のように翻る。

吹き飛ばされた微霊たちも、深山の小川のような清い流れに群がってくる。

気づけば、１人のが魔法陣に橫たわっていた。

亜麻の髪に、同じの長い睫。

耳は真っ直ぐに橫に張り出し、木の実を思わせる小さなを、何か請うようにかしている。

薄く未なをゆっくりと上下させ、まだ赤子の面影が殘る手を枕にして眠っていた。

真っ白なは一糸を纏わず、緩やかな曲線を描く部が丸見えになっていた。

「ルネット……」

すでにルーハスの青眼には涙が浮かんでいた。

魔法陣に涙滴を滴らせ、【勇者】は陣の中にる。

眠るのをそっと起こし、抱きしめた。

力強い鼓が返ってくる。

生きてる……。

その事実が【勇者】にさらなるを呼び、の顔に涙をしたたらせた。

「いや、でも……。ぼくが知っているルネットさんより、背が低いような」

ルーハスが抱きしめているのは、せいぜい８、９歳のだ。

だが、ルネットは年７７歳のエルフ。

明らかに未なは、人のものではない。

けれど、似ている。

遠目でしか見たことがないハシリーだが、彼の特徴に合致していた。

「さすがのわたしも完全とはいかなかったわね。お供えをケチったおかげで、中途半端に生き返らせてしまったわ」

珍しくレミニアは反省の弁を述べる。

それでもルーハスがルネットと認めているのだ。

間違いなく、彼の復活は功したのだろう。

レミニアは、泣き喚くルーハスに近づいていく。

「悪いけど、神がケチすぎて、復活が中途半端になってしまったわ。もそうだけど、もしかしたら記憶も欠損しているかもしれない。可能として考えておいてほしいんだけど、ほぼ別人格になってることもありうるわ。けど――」

「ああ……。彼は間違いなくルネットだ」

ルネットの亜麻の髪を掻き上げる。

いまだその瞳が開くことはなかったが、勇者はしそうに見つめていた。

その景を見て、ハシリーはレミニアとヴォルフが寢ているところの姿を思い出す。同時に深いをじる２人の人を、し羨ましく思った。

「レミニア・ミッドレス……。謝する」

ルーハスは謝の意を表す。

拍子抜けするぐらい化した態度に、レミニアは思わず笑ってしまった。

「別に……。わたしとしても、ルネット・リーエルフォンの死は予想外だったからね。彼の死は、今後の戦局を左右することになる。ただでさえ、前回の魔獣戦線で人類側は優秀な人材を失ったわ。人類の頭脳である彼をここで失うのは、大きな損失と考えただけよ」

「ふふふ……」

「何よ、ハシリー……」

「いえ。素直じゃないと思いまして」

ハシリーにはわかっていた。

これは上司なりの贖罪なのだと。

魔獣戦線の折り、レクセニル王國軍が退いたのは、レミニアという【大勇者(ばけもの)】を警戒したためだ。

むろん、レミニアに國を弒(しい)する考えは微塵もなかった。

が、王國の上層部はそうは考えなかった。

彼が突然、暴れた時のために、わざわざ北にいる王國軍を本國に帰還させたのだ。

將軍も忸怩たる思いだったのだろう。

レミニアが初めて王に謁見した時、挑発し、戦いを挑ませたのは、自分よりも【大勇者】が強いことをおおやけにし、上層部を納得させるためだった。

２人の諍いは、將軍が企てた腹蕓だったのだ。

しかし、レクセニル軍が引いたことで人類軍は瓦解。

ルネットを失う結果となった。

レミニアの責任でもなんでもない。

だが、心のどこかでずっとしこりになって殘っていた無念だった。

「わたしよりも、彼に謝なさい。ルネットは決して諦めなかったんだから。自暴自棄になって、革命まで起こしちゃう誰かさんにはもったいないぐらいの良妻よ」

「……そうだな」

「だから、もっと大事になさい」

「ああ……。改めて謝する、レミニア・ミッドレス。この借りはいずれ」

「わたしに謝しなくてもいいわよ。あんたは多くの人間を傷つけたわ。それを１つずつ返しなさい。……他人なら難しいけど、あんたになら出來るはず。そうでしょう？　【勇者】ルーハス」

ルーハスは力強く頷いた。

それを見屆けた後、レミニアはようやく笑みを浮かべる。

瞬間、ふらりとが揺れた。

糸が切れたかのようにレミニアは倒れる。

真っ赤な髪がまるで鮮のように広がった。

次回が『北の奇跡篇』最終回になります。