《【書籍化決定】白い結婚、最高です。》30.歯応え

「困りましたね」

マリーがぼそっと呟いたのは、レッスンが始まってから三日目のことだった。

小皿に盛った料理を食べていた私は、頬を引き攣らせた。

立食の作法を実踐込みで學んでいる最中だったのだが、何か致命的なミスでもしてしまったのだろうか。

「わ、私何かやらかしましたか?」

「いえ。挨拶の仕方からフィンガーボウルの使い方まで完璧です」

「だったら、困るというのは……」

「一度教えると完全にマスターしてしまうので、こちらとしてはとても楽なのですが、楽すぎて生溫さをじています」

確かにマリーの聲は、いつもより若干元気がない。

「以前私がちょうき……失禮。教育させていただいた方は、10個教えれば7個忘れるような方でした」

「殆ど記憶から消えてるじゃないですか」

「類い稀(まれ)なる死闘でしたね。あれに比べたら歯応えがあまりにも無さすぎて……」

そこで言葉を止めて、視線を逸らす。

マリー……つまらない思いをさせてしまって、何かごめん。

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だけど、一言言わせてしい。あなたは強者を追い求める武家か。

「まあ極端なアレを抜きにしても、あなたは普通の人間に比べて覚えが非常にいいです」

「即戦力が必要な店だと、二、三日で一通り出來るようにならないと、すぐに首を切られますから……」

仕事の容を死に狂いで頭に叩き込んでいた経験が活きているのだと思う。

「いよいよ最後の仕上げです。アニス様、ダンスホールへ移しましょう。ベール著けてください」

「何をするんですか?」

「ダンスホールですることと言えば一つだけです」

「えっ」

夜會だから、ただ世間話をしながら飲み食いして終わりだと思っていた……

「今回の夜會ではダンスの時間もあるとのことです。もちろん踴るかどうかは本人たちの自由なのですが、一応多の技につけておいたほうがいいかと」

「わ、私一度も踴ったことがないんです。こればかりは、マリーさんに相當ご迷おかけしてしまうと思います」

「もしそうなったら、私のテンションが上がるだけなのでお気になさらずに」

なんて危ないことを言うんだろう……

不安を抱えながらダンスホールへ向かった。

「わぁ……」

ここに足を踏みれるのは今日が初めてだった。

壁は黃金で彩られ、頭上を見上げれば煌びやかなシャンデリア。

その豪華さに圧倒されていると、私たちに遅れるようにして誰かがホールにやって來た。

黒髪の丈夫だった。

「ユリウス様?」

「今日からダンスのレッスンを始めると、マリーから話を聞いていたからな。そろそろだろうと思って來てみた」

「ちょうどいいタイミングです、ユリウス様。では、早速始めましょうか」

「……ああ」

やや躊躇いがちに返事をすると、ユリウスは私に右手を差しべた。

ああ、私の場合はユリウスと踴ることになるのか。そのことに今さらながら気づく。

「よろしくお願いします、ユリウス様」

彼の手を取り、距離を詰める。

まず最初にどうすればいいのかと、マリーに指示を仰ごうとした時だった。

ユリウスと握り合っている手が、カタカタと小刻みに震え出した。そんなに張しているのかと自分に呆れるが、違うとすぐに分かった。

震えているのはユリウスだった。

「ユリウス様?」

不思議に思って聲をかけると、ユリウスがハッと我に返ったように私の顔を慌てて見る。

そして何事もなかったかのように涼しげな表で言う。

「いや、し考え事をしていた」

「……調が優れないようでしたら、し休んでからにしましょうか?」

私がそう尋ねると、ユリウスは首を橫に振った。

「時間が勿ない。マリー、アニスに踴り方を教えてやってくれ」

「かしこまりました」

メイド長がいつもと変わらない様子で返事をするので、私もこれ以上は詮索することは出來なかった。

「そこで右足を前へ出してください」

「はい」

「次は右、左、左……きが遅いです。もっとスピードを上げるように」

「はい」

「そこできを一旦止めて、クルリと一回転」

「はい!」

足が縺(もつ)れそうになりながら、マリーの言う通りにかしていく。

その間、私の中では一つの疑問が浮かびつつあった。

今踴っているダンス、初心者にはハード過ぎるのではないだろうか。

息切れを起こしているし、がふらついてきた。

マリー……まさか、私がどこまでいけるか試してる?

「最後に著させて、そのまま暫くきを止めてください」

「は……はい」

とりあえず、大きなミスもないまま踴り切ることが出來そうでよかった。

安堵しながらユリウスにを寄せようとする。

ところが彼は、私の手を突然離したかと思うと、素早く後退りしてしまった。

予期せぬきに対応しきれなくて、が大きくよろける。

転ぶ。痛みを覚悟して目を強く瞑る私を、誰かが後ろから支えてくれた。

「アニス様、大丈夫ですか?」

「マリーさん……ありがとうございます」

「初めから激しいきをしてしまい、申し訳ありませんでした。アニス様の限界を把握したかったのですが……」

やっぱりそうだったのか。恐るべしメイド長。

「ユリウス様、あそこは男側は何もせず、の中に飛び込むのを待つ場面です。何があっても、手を離しては──」

私の額に浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、マリーはユリウスへ呆れを込めた視線を向けた。

だがその場で呆然と立ち盡くしている主を見て、言葉を止める。

それから、らかな聲で「ユリウス様」と彼の名前を呼んだ。

すると、ぼんやりとしていた銀灰の瞳にが戻った。

「マリー、今俺は何をした?」

「最後の最後で、アニス様の手を離してしまわれました」

「……そうか」

マリーからそう聞かされて、ユリウスは自分の手を見下ろした。

そして、私に頭を下げる。

「すまなかった、アニス。他の曲と間違えてしまったようだ」

「いえ……」

「それじゃあ、もう一度……」

「一旦休憩にしましょう」

ユリウスの言葉を遮ったのはマリーだった。

私は「えっ」と目を丸くした。

「ですが、また一曲しか踴っていないんじゃ……?」

「アニス様に無理をさせるわけにはいきませんので。こまめに休みを取るようにしましょう」

マリーの言葉に、ユリウスも「そうだな」と首をこくんと縦に振った。

「では一時間後、またここに來てくれ」

素っ気ない口調でそう告げてホールを後にする。

その後ろ姿を眺めていると、マリーにちょんちょんとつつかれた。

「さあ、アニス様も一旦部屋に戻りましょう」

「わ、分かりました」

「それから……」

マリーは私をじっと凝視してから、こんなことを言い出した。

「やはりそのドレス姿では特訓に向かないようなので、裳替えをしましょう」

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