《旋風のルスト 〜逆境の傭兵ライフと、無頼英傑たちの西方國境戦記〜》幕間:バルコニーと手紙と一枚の寫真
―フェンデリオル國、中央首都オルレア―
1シルド8アレーオ(約5km程度)の円形の都市、
セントラルエリアを中心として7重の環狀道路がぐるりと取り囲んでいる緻なしい大都市だ。
その南部の一角に上流階級が占める高級住宅地がある。
その中でも一・二を爭う広大な敷地を有するのが【モーデンハイム家】だ。
広大な敷地の真っ只中に2階建ての白亜の巨大な邸宅がある。モーデンハイム家の本邸だ。
その本建の中央脇に半円形のバルコニーがある。周囲を庭園に囲まれて、が降り注いでいる日は冬でも暖房なしにくつろげるほどに暖かさに満ちていた。
バルコニーの中程にはテーブルクロスのかけられた丸テーブルがあり茶のセットがならんでいる。
ガラス製のハリオールの中には黒い茶が淹れられている。フェンデリオル古來の飲みである黒茶(くろちゃ)だ。
テーブル脇には白い肘掛け付き椅子があり、そこに妙齢のが憂げに空を仰いでいた。
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一人の侍が黒茶をカップに注ぎその婦人にすすめる。
「どうぞ」
「ありがとう、もういいわ下がって頂戴」
「かしこまりました」
丁寧に結い上げた長い銀髪に翠眼の、歳の頃は40過ぎだろう、リージェンシースタイルのモーニングドレスにハーフ丈のローブを羽織っている。
彼は椅子に腰掛けたままバルコニーから遠くを眺めていた。侍は會釈すると靜かに下がって行った。
銀髪のしい婦人は周囲から誰も居なくなったことを確かめて、テーブルの上に置いた小さな手提げ鞄(レティキュール)を手に取った。
その中から取り出したのはり切れた古い手紙だった。
寂しげな表で彼はその手紙を開いて眺めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私信
お母上君、ミライル・フォン・モーデンハイム様へ
この度は無斷で親元を離れる不孝をお許しください。
敬していたお兄様の自死の理由ともなった、橫暴極まりない暴君そのものである〝あの人〟から離れて自分一人の力でこれからの人生について試してみたくなったのです。
これまでの15年間、慈しみ育ててくださったことは心より謝いたしております。その思いに噓偽りはございません。
ですが、その恩に報いることなく、勝手な振る舞いに走ること心よりお詫び申し上げます。
最後に一つだけお約束できるなら、このを立てて獨り立ちする事ができたなら、いつの日かを張ってこの家に帰ってきたいと思います。
それまで何年かかるかわかりません。ですが、その時までお健やかにお有りください。
今までありがとうございました。
娘子、エライア・フォン・モーデンハイムより
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その手紙を何度も視線を走らせると、大切な寶であるかのようにそっと畳んだ。すると邸宅から一人の老人が現れその婦人に聲をかけた。
「また、ここに居たのかミライル」
「ユーダイムお父様」
「お前の姿が見えなかったのでな、多分ここだろうと思っておった」
その老いた男はシャツ姿にダブルボタンの革ベストとルタンゴトスーツをに著けている。襟元には白い布のクラバットが巻かれ、頭にかぶっているのは小振りの三角帽(トリコルヌ)だ。
老いてなお視線は鋭く意思の強さをじさせた。
婦人からユーダイムと呼ばれたその老人は、もう一つの別な椅子に腰掛けながら、自らがミライルと呼んだそのに語りかけた。
「また、その〝置き手紙〟を見ていたのか」
ミライルの手には1つの信書が攜えられている。それは丁寧に取り扱われていたが度々読まれていたのだろう、無數のシワが刻み込まれている。ユーダイムの問いかけにミライルは手紙をその手に握りながら、穏やかに語り始めた。
「あの子の旅立ちは、あの子自の意思で始まったことです。それは親として頭ではわかっているのですが」
「エライアか、旅立ってからもう2年になるのだな」
「はい」
ミライルは語る。
「あの子は、エライアは苦しんでいました。兄であるマルフォスの死、そして父親の無理解。それに答えを出すために自ら始めたこと。それを後押しするのは親の役目です。ですが――」
言い澱むミライルに、ユーダイムは諭す。
「気に病むな。自らの子供を見守り応援するのも、案じて自らの手のに置きたいと思うのも、どちらも親として正しい心のあり方だ」
「はい」
そうポツリとらすミライルの目元には涙がにじみ出ていた。そんな彼にユーダイムはあるものを懐から取り出した。
「実はな、これを見つけたので渡そうと思ったのだ」
ユーダイムが差し出したのは1枚のセピアにあせたモノクロ寫真だ。手のひら大のそれが革製の表紙付き臺紙にられている。そして、そこに寫っていたのは一人の。年の頃は6歳くらいだろうか。白黒だが髪はミライルと同じ銀髪に見える。眼もおそらくミライルと同じ碧眼だろう。顔立ちも似たものがある。はボタンジャケット風の制服を著こなしカメラへと視線を向けていた。
「これは?」
「エライアが年學校に通っている頃の記念寫真だ。主だった寫真は〝あいつ〟がエライアの出奔以後に始末してしまったが、これだけは私のところに殘っていた。私よりお前が持っていたほうがよかろう」
「ありがとうございます、お父様」
ミライルはそれをけ取ると手紙と共に自らの手のでしっかりと握りしめる。二度と失わぬように。
憂げにそれを見つめるミライルにユーダイムは告げた。
「案ずるな。エライアを信じてやれ。あの子は誓ったのだ。志をしたならこの家に帰ってくると」
そして、ユーダイムは立ち上がりミライルの側へ行くと、その肩をそっとたたきながら言った。
「〝信じる〟事こそが、親として一番の役目だ」
その言葉を殘しユーダイムは去っていく。あとに殘された母ミライルは寫真を開いてそっと手をれる。
「エライア、あなたは今、どこの空の下を歩いているの?」
そのつぶやきに答える者は誰も居なかった。
† † †
かつて2年前に、オルレアの街をある風聞が駆け巡った。
フェンデリオル國の上流階級の高家の一つ『モーデンハイム家』
その當主の息にして長『エライア・フォン・モーデンハイム嬢』が失蹤したと言う噂だ。
時にエライア嬢は、かねてからフェンデリオル國の中央首都軍學校にて學んでおり極めて優秀だったと言われている。
しかし、卒業を終えたあくる日から衆目の前に一切その姿を表さなくなった。
街の人々は様々に噂しあったが答えが出るわけがない。しかも上流階級の高家令嬢であるから無責任なことは口にできない。
ただ、モーデンハイム家の広報が、
「當家息エライア嬢は隣國ヘルンハイトへと長期留學に旅立たれました」
と述べるにとどまった。
何者もそれ以上の追求はできず、街の噂も早期に風化したと言う。
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