《傭兵と壊れた世界》第九十四話:幕間・馴染の苦悩

自分は恐らく間(ま)の悪い人間だろう。雨上がりの深夜、遠征から帰ったナターシャがイヴァンと抱き合っているのを見た瞬間、リンベルは音もなく隠れた。それはまさに貓のような俊敏さだったという。

リンベルはあの夜を思い出しながら「やっぱり邪魔してやればよかったな」と呟いた。かと思えば、機の上に散した人形のをつかみ、イヴァンに見立てて「盜っ人め」と恨みがましくつついた。

「なにか言ったかしら?」

「なんでもない。ほら、荷の準備が終わっていないだろ、早くしないと日が暮れるぜ」

不思議そうな顔のナターシャ。彼は荷造りを再開した。

第二〇小隊のルートヴィア行きが決まったのは數日前だ。雇い主であるルートヴィア解放戦線から數十に及ぶ傭兵小隊の派遣を依頼され、その中には第二〇小隊や第三六小隊の名も連なっていた。

もっとも、イヴァンたちの目的は彼らのきを利用してローレンシアに潛することである。よって戦いは途中離をする予定だ。これも先方とは打ち合わせ済み。何にせよ今回も長期間の任務が予想されるため、ナターシャは急いで荷造りをしていた。

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「コホッ」

「風邪でもひいたの?」

「さあな。埃が舞っているだけかもしれん……ケホッ」

「だから掃除をしろっていつも言っているのに」

ナターシャが來てからは彼が掃除をしていたのだが、最近は互いに家を空けることが多かったため、うっすらと埃が溜まっている。それでもヌークポウにいた頃と比べたら綺麗になったものだ。

リンベルは懐から方位磁石を取り出した。聖都ラフランから帰還した日から針は壊れたままである。

「なにそれ?」

リンベルの肩が大きく跳ねた。いつの間にかナターシャが覗き込んでいる。

「これはあれだ、壊れただ。捨てようと思っていたんだ」

「ふうん。壊れたなら直せばいいのに。リンベルなら簡単でしょ」

「こうみえて複雑なでな、直しても使えないんだ、だからいいんだ」

リンベルは方位磁石を屑かごに捨てた。壊れたに使い道はない。

「頼んでいた件はどうなったかしら?」

「ルートヴィア解放戦線についての報と、ローレンシアに関する報だな」

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リンベルが居住まいを正す。仕事(ビジネス)の話だ。彼は資料を渡した。

「まあ解放戦線はいいだろ。私よりもそっちの隊長さんのほうが詳しいはずだ。本題はこっち。ローレンシアの

ナターシャは資料に目を通した。リンベルの言うとおり、重要なのはローレンシアだ。任務の最終目標である天巫との接、そのためのローレンシア侵計畫。特に最近の大國は不穏な空気が流れており、侵前に報を揃えておきたい。

「ローレンシアで何が起きているかって話だが、端的にいえば軍部と元老院の抗爭が激化した」

「仕掛人はアーノルフ元帥ね。元老院のトップはたしか、ヴァレリー卿だったかしら?」

「その報は古いぜ。ヴァレリー卿はもうローレンシアに居ない。朽ちた聖城の襲撃作戦以降、ローレンシア國において元老院への不信が高まっていた。子飼いの兵士を大量に失った元老院がホルクス軍団長に責任を押し付け、その事実を民衆が知ってしまったからだ。つまり、元老院は頭が不在の狀況ってわけだな」

「それもどうせアーノルフの差金でしょ」

「恐らくな。その後、橫領を始めとしたヴァレリー卿の悪事が発覚して地位を剝奪。最初は追放されるはずだったが、民衆の怒りが凄まじくて結局は処刑されたよ。タイミングが良すぎるねえ、ああ怖い怖い」

アーノルフがいたのだろう。ヴァレリー卿の罪狀もどこまでが本當か怪しいものだ。リンベルは話を続ける。

「今は別の者が代理をしているが、元老院の力は大幅にまった。その影響だろうな、ローレンシアは以前のように他國へ侵略しようという帝國主義の思想が強まっている。どこまで狙いどおりかは不明だ。アーノルフがそこまで考えているのなら、ルートヴィア解放戦線を放置していたのも変な話だし」

「あえて泳がしたんじゃないかしら。無理にルートヴィア解放戦線を潰すと、それこそ反を買うわ。だからわざと野放しにして、彼らが武裝蜂起するのを待ったとか」

「そうしたら大義名分はアーノルフに有り、てか」

「しかも鎮圧すれば軍部の名聲がさらに高まるわ。元老院の力はますます衰えるでしょうね」

二権分立のローレンシア。その力関係が揺らいでいた。ナターシャが「政(まつりごと)は恐ろしいね」と他人事のように呟く。

謝するわ。これはイヴァンに渡しましょう。きっと次の作戦に役立つはず」

は荷を背負った。今回の任務は長くなりそうだ。なにせルートヴィア解放戦線に雇われて戦場へ向かい、機を伺ってローレンシアに潛するのだから。次に帰るのは當分先になる。

「ローレンシアか……再會するかもしれんな」

誰を指しているのかはナターシャも察した。馴染みのディエゴだ。

「會いたくない」

「そのほうがお互いに幸せか。戦場で會えば敵同士だ」

「傭兵になれば良かったのに」

そう言われて曖昧な表を浮かべるのはなぜかリンベルだった。彼はまるで自分が非難されたかのように視線を下げた。

「悪いな」

「なんの謝罪?」

「なんでもねえ」

今回の任務の結末はすでにナターシャから聞いている。ヌークポウの呪いやドットルの裏切り。そして、リリィを撃ったローレンシアの年兵の正

それらを話したとき、二人は互いの顔を見ていなかった。背中にのしかかるが二人の視線を落とした。故に、ナターシャは知らない。彼が喪失に打ちひしがれる反面で、リンベルもまた表に暗い影を落としていたのである。

「イグニチャフのやつ、怒っていたな」

「そりゃあ怒るよ。特に仲が良かったんだもん。リリィの件も関わっているし尚更でしょ」

慣れていかねばならない。傭兵として生きる以上、このような別れは誰にでも起こり得る。第二〇小隊だって、リンベルだって、例外ではない。いつか訪れるさよならに覚悟を抱いて、何度でも前に進む必要がある。

「會ったらお前、どうするんだ?」

いわゆる「その時」が來たときの話だ。

「もう撃ちたくないね」

撃たない、とは言わない。撃ちたくなくても撃つのが傭兵だ。例外を作ってはいけないのだ。傭兵とドットルを天秤にかけて、傭兵を選んだのだから。他人の命を奪ったのならば、彼らの分も背負って前に進む。そう彼は決意した。

しずつ変わっていく。何が、といえば言葉にならない不確かな部分だろう。例えば佇まいや挙の一つだったり。例えばふとした瞬間に見せる遠い目だったり。そういった小さな変化の積み重ねがを大人に変えていく。

そんな彼を見てリンベルは不安になった。ナターシャがいつか第二〇小隊(ルーロの亡霊)として手が屆かないほど遠い存在になるのではないか。

「なあ、ナターシャ。私は戦闘に向いていない。潛なんて門外漢だし、そもそも傭兵じゃないから任務に參加できない」

だから彼は提案する。

「だから潛を手伝うのは無理だが、せめて武弾薬の商人として、ルートヴィア解放戦線までついて行ってもいいか?」

ナターシャの表がぱぁーっと華やいだ。

ローレンシアの首都、塔の街ラスク。その巨大な塔の本付近、比較的靜かな街外れをローレンシアの軍服を著た年が歩いている。

「この辺りだと思うんだけど、あれ? どこだ?」

ディエゴは地図を片手に周囲を見渡した。イサーク上からは、建てられたばかりの綺麗な孤児院があるからすぐにわかると言われたのだが、それらしき建が見當たらなかった。そんなディエゴを見かねたのだろう。彼の部下が手を差し出した。

「地図を見せてください隊長。私が探します」

「お前は方向音癡だろ。やめとけやめとけ、俺まで迷子になるのは勘弁だ」

「いいから渡してください」

は地図をひったくった。とても上に対する態度とは思えないが、そもそも禮儀というものを知らないディエゴは特に気にした様子がない。

「ほら、方角が逆ですよ。こっちじゃなくて中央広場の向こう側です」

「本當か? 間違っていたら今日の晩飯はサーチカのおごりだからな」

「誰のせいで迷っているんですか。それと部下にたからんでください」

ディエゴはめでたく部隊長に昇進した。そして彼の部下こそ隣を歩くサーチカだ。容姿端麗で仕事も早い。そんな彼がホルクス軍というはみ出し者の集まりに配屬され、しかもディエゴの部下になったのは、まことに運が無かったといえよう。

「ちなみに、なぜ孤児院を探しているんですか?」

「俺は寄宿舎の出なんだけど、支援者がいなくて潰れてさ。そこの子供たちがこの近くに引き取られたんだ」

「隊長の故郷というと移都市ヌークポウですか。よくラスクまで來れましたね」

首都ラスクは天巫の加護で守られているが、街の外は過酷な世界が広がっている。そんな外界をよく渡って來られたものだ。

「ちびっ子たちに會うのなんて何年ぶりだろうなあ。もっと昇進してお金が貯まったらヌークポウに帰省しようと思っていたんだけど、まさか向こうから來てくれるとは思わなかったぜ」

「だから今日の隊長は気持ち悪いぐらいご機嫌なんですね」

「一言多いんだよ」

サーチカは悪びれた様子もなく足を進めた。

やがて築の淺い綺麗な孤児院が見えてくる。中央広場を挾んでちょうど反対側だ。方向音癡が誰だったのかは言うまでもない。

彼は扉の前で立ち止まった。ノックをすればいいものを、手を上げては下げてを繰り返している。

「なに張してんですか。早くりましょう」

「あ、こら勝手に!」

呆れた様子のサーチカが扉を叩いた。彼も上けない姿を鑑賞するほど暇ではないのだ。奧からパタパタと軽い足取りが聞こえてくると、サーチカはディエゴの後ろに回って「ほら、姿勢を正してください。背中が曲がっています」と彼の背中を押した。

「はーい、どちらさま……あー! ディエゴお兄ちゃんー!」

再會するディエゴとシェルタ。そして聞かされる、故郷に殘った馴染の最期。

これはルートヴィア解放戦線が武裝蜂起し、全面衝突するし前の話である。

というわけで足地ナバイア編でした。大きく章分けすると殘り三章になります。

余談ですが、ナバイアは実際にアメリカとかで使われている名前で、ヘブン(heaven)を逆から読むとナバイアになります。海外版キラキラネームってじらしいですが、筆者はこういうの大好きですよ。

またしばらくは、だらだらと後書きを殘すかもしれません。忙しいときは省略するかも。

またね。

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