《星の海で遊ばせて》白い海へ(6)
週末の金曜日、柚子はほぼ二週間ぶりにテレビ城東の本社ビル三階、アナウンス室にやってきた。柚子を迎えたのは、アナウンス部副部長の福だった。五十過ぎのベテランで、三十代の頃は報道局所屬のキャスターだった。カメラの當たる最前線から退いてからは、後任の育に當たっている。たぬき顔の優しい雰囲気ので、自宅療養中の柚子とコンタクトを取っていたのは、福だった。
「あぁ、新見さん、よく來たわね」
福は、柚子に歩み寄り、その肩を優しく支えるようにでた。
「すみません、々、迷かけちゃって……」
「いいのよそれは。それよりもの方は、大丈夫?」
「はい、もうすっかり」
柚子はそう言うと、福に笑って見せた。
柚子らしい、いつもの笑顔だった。
「これ、あの、皆さんで召し上がってください」
柚子は、來るときに買った焼き菓子のった紙袋を福に渡した。福は、こんな時でもそういう気づかいをする柚子が、痛々しく見えた。福は、柚子が弱音を吐いたところを見たこともなければ、そういうことがあった、という話も聞いたことが無かった。社後の研修でも、研修の講師を務めたどのアナウンサーも、柚子の評価は高かった。弱音を吐かず、涙も見せず、ひた向きに取り組む、その姿勢が素晴らしいと。
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福は柚子を休憩室に通し、その部屋のソファーに座らせた。
「新見さんは座っててね」
福はそう言って、柚子の買ってきた焼き菓子を皿に開け、この時のために用意してきたハーブティーを淹れた。そうして、いくつかの資料の紙を持って、柚子の斜め隣に坐った。
福は、柚子に調のことや、今現狀の生活などについて聞いた。今日は柚子の生活狀況と、柚子本人の狀態の確認をするのが、福の目的だった。先週は、人と話すのすら辛いと、電話越しで泣いていた。それに比べると、今は隨分すっきりした顔をしている。しかしそれは、かえって不自然なように福はじた。無理をしているのとはまた違う穏やかさ――何だろう、と福は思った。
福は、柚子が主として擔當している四番組の現在の狀況をまとめた用紙を、柚子と自分の前のテーブルに置いた。〈晝いち!〉、〈トレンドアップ!〉、〈さたさんぽ〉、そして三週に一度コーナー擔當として出演している〈さんサタ!〉。いずれも第二編部の管理下にある番組である。その長の徳上は、番組への柚子の再起用に難を示しているが、各番組のチーフプロデューサーは、戻せる勢なら柚子を番組に戻したいとを考えている。柚子をもう使いたくないと思っている製作スタッフも確かに多かったが、皆が皆、そう思っているわけではない。
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そういった説明を福は柚子にした後、柚子に微笑みながら言った。
「――みんなやっぱり、新見さんを手放したくないみたい」
柚子は、ありがとうございますと、小さい聲で応えた。
復帰できる場所があること、出演できる番組があること。これがアナウンサーにとってどれだけ安心を與えるか知れない。しかも柚子の場合は、気休めではなく、復帰先には困らなさそうだ。そのことを福は、柚子にはまず伝えたかった。だから安心して、復帰できるようになるまで休んで大丈夫よ、と。
福は、柚子に前向きな言葉をかけ、次の月曜日にまた、復帰に向けての打ち合わせをすることを二人で確認した。その時には、他の番組制作スタッフもえて。電話ではすでに柚子とその話をしていたが、直接顔を合わせてする約束は、電話よりもはるかに強固で、勵ましになる。
休むことは必要だが、ずっと前線で働いていたアナウンサーが急に休みすぎると、今度はそのことがストレスになってしまう。休みながらも、復帰に向けた話を進めていくことが、柚子ののためにも心のためにもベストだという福の判斷だった。
柚子との打ち合わせの後、福は報道局からちょっとした呼び出しがあったので、柚子より先に休憩室を出た。柚子は、福に貰った書類をトントンと、テーブルで揃え、クリアファイルに閉じた。ミントの香りがまだ微かに殘る紙コップをごみ箱に捨て、部屋を出る前、柚子は一度振り返り、隨分世話になった休憩室に微笑みかけた。
柚子が休憩室を出ると、ちょうど〈晝いち!〉の放送を終えて、奈がアナウンサー室にやってくるところだった。奈は柚子の姿を見ると、「新見さん!」と聲かけ、柚子のもとにやってきた。奈はこの日、柚子が會社に來ることを知らなかった。
もう大丈夫なんですか、と奈は柚子の顔を確かめた。
「もう大丈夫だよ」
と、柚子は答えた。
柚子は、自分が急に番組に出られなくなってしまった事を謝ったが、奈は、みんな柚子の復帰を待っている、ということを伝えた。二人でMCをしていると苦労が多く、やっぱり新見さんの存在は大きいです、と奈は言った。
「池さん、これ――」
と、互いの話の後で、柚子はトートバックから、手のひらサイズの小箱を取り出して、それを奈に渡した。奈はそれをけ取って、箱を開けた。中は、スノードームだった。
「池さん、好きだって言ってたから」
「え、でも、どうしたんですか?」
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント」
「……いいんですか?」
「うん。池さんにはたくさん心配かけちゃったから。渡せてよかった」
ありがとうございます、と奈は喜びつつも、どうして急に、という疑問も殘った。
「私何も用意してないですよ!? ええと、飴くらいしか」
そう言って、奈はハチミツの飴を自分のデスクの引き出しから出して掌に乗せ、柚子に差し出した。柚子は微笑みながら、その飴を一つ手に取った。
「ありがと」
柚子は禮を言うと、その飴を大事そうにバックのポケットにしまった。
「――池さん、応援してるからね」
「そんな、ファンみたいなこと言わないでくださいよ」
池の言葉に、柚子は笑った。
「それじゃあ池さん、皆によろしくね」
え、もう帰っちゃうんですか、と奈は思ったが、柚子ののことを考えると、お茶や食事にうのも気が引けた。
「はい、言っておきます。――新見さん、本當に待ってますからね」
柚子はそう言う奈に笑みを見せ、「ありがとう」と応え、フロアを出て行った。
奈はデスクに戻り、柚子にもらったスノードームを、機に置いた。
ペンギンに雪が降る。
――やっぱり、食事おうかな。
奈はそう思い立ち、廊下に出た。
しかしもう、柚子の姿はどこにもなかった。
新見さん へ
とても久しぶりです。水上詩乃です、こんにちは。
新見さん、の合どうですか。いつもみんなに見られて、大変だよね。
もし自分で良かったら、話、聞くよ。あれから自分は、借金を返して、今は東京の、また懲りもなく北千住に住んでいます。料理は、昔より上手くなりました。もし新見さんが必要だったら、電話でもメールでも、してください。連絡先は、下に書いた通りです。自分は、やっぱり人と上手くやるのは苦手ですが、自分の中にはずっと、新見さんがいたので、寂しくはなかったです。
とにかく、無事ならいいんです。
必要なら、遠慮はいらないので、連絡ください。朝でも、夜でも、真夜中でもいつでも、電話には出られるようにしています。
連絡先:090-××××-××××
メール:######@####.co.jp
水上 詩乃
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