《【書籍化】捨てられ令嬢は錬金師になりました。稼いだお金で元敵國の將を購します。》空中散歩と異界の門 4

アストリア王國北の魔の山とは反対側の南側にラシード神聖國の國境があり、北の魔の山の向こう側にはイルザリオ王國、陸には広大な面積を有しているディスティアナ皇國があり、逆方向には海が広がっている。

王都があるのはおおよそ國土の中心である。

地図でしか見たことのないアストリア王國は空から見ると楕円のような形をしていた。

ディスティアナ皇國のある國境付近まで近づくと、ヘリオス君はくるりと向きを変えて反対方向へと飛ぼうとした。地平線の向こう側に何か不気味なものが見えた気がして、私は目を凝らしたけれどよく見えなかった。

「ジュリアスさん、ディスティアナ皇國の方に何かありませんでしたか……?」

「……ん?」

私が尋ねると、ジュリアスさんは手綱を軽く引いた。

ヘリオス君はもう一度回旋して國境へと近づいていく。ディスティアナ皇國には行ったことがないけれど、國境を守るように幾重にも敷かれた丸太を組んでできた馬防柵と、辺境の地を守る砦がいくつか見える。

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國境警備兵に姿を見られないようにだろう、ヘリオス君が高度を上げる。

雲に隠れるようにして飛ぶヘリオス君の長い首の向こう、ディスティアナ皇國の國土の空に黒い點のようなものが見えた気がした。

「気のせいでしょうか、……空に、何か」

「クロエ、これ以上は近づけない。戻るぞ」

「はい、……気のせいですよね、多分」

背筋がぞわりと寒くなるような、妙なじだ。

覗いてはいけないと言われたものを覗き込むような、そんなじ。

『クロエ、怖いものを覗き込むとね、あなたも怖いものから見られてしまうの。だから、怖いと思ったら逃げるの。覚えていて?』

優しい言葉が脳裏に響いた気がした。いつかお母様が私に言った言葉が唐突に思い出されて、私はを噛んだ。私が十三歳の時に亡くなったお母様のことを、私はあまりよく覚えていない。

優しくてとても綺麗で、良い香りがして、よく私の髪をでてくれていたような気がする。お父様は寡黙だったけれど、お母様と不仲だったという記憶はない。

どうして今、そんなことを思い出すのだろう。ディスティアナ皇國には近づくなと、お母様が警告をしてくれているのかしら。

ヘリオス君は大きく國境の縁を辿るようにしながらぐるりと飛んだ。かなり長い時間空を飛んでいたから、そろそろ疲れたのかもしれない。王都に戻ろうとしているのだろう。

ずっと空の上にいたいけれど、そういうわけにもいかない。

雪深い北の魔の山の上を通り抜けようとした時、眼下に見えた景に私は慌ててジュリアスさんの服を引っ張った。

「ジュリアスさん!」

「今度はなんだ。何か見えたのか」

「北の魔の山の山頂に、あれは……、大きな異界の門ですよ!」

「だからどうした? お前の話では、異界の門からは魔が湧くんだったな。閉じに行くのか? 人助けか、それとも素材集めか?」

慌てる私とは正反対に、ジュリアスさんの聲音はとても落ち著いている。

北の魔の山の雪で覆われた山頂に、扉としか言えないものが現れている。それは何もない空間に唐突に浮かんだ扉で、門の前後には何もなくごく普通の風景が広がっている。

空の上からはっきりとそれは扉だと分かるぐらいに見えるぐらいだから、かなりの大きさなのだろう。

よく晴れた日なので、白い雪景の上により鮮明にそれを見ることができた。

「異界の門を閉じるためには門番と言われるそれはもう危険な魔と戦わなきゃいけないので、そんな大それたことは私はしないんですけど……、でもジュリアスさん、人が倒れてるんですよ……!」

「あぁ、……殺されたのか」

門の前に、何人かの人間の姿が見える。

數人は倒れ、雪景に赤い染みを作っていた。

「ど、どうしましょう……、ジュリアスさん、どうしましょう……!」

「どうするもなにも、俺にもお前にも関係のないことだ。たまたま、通りかかっただけだろう」

「でも、でもですね……、放っておけないじゃないですか……」

素材集めの魔討伐は何回も行ってきたけれど、異界の門を目にするのは初めてだった。

がざわざわする。近づいたら危険だと、知らせてくれているようだ。

異界の門を見かけて立ち向かっていくのは、傭兵で結された討伐部隊か、騎士団の方々か、もしくは賞與金目當ての冒険者の方々か。

ともかく王國の為に魔の被害を最小限にしたいと願っている良心的な人達なはずで、それを見かけたのに捨て置いてしまったら私は極悪人なのではないかしら。

助けるべきよね。でも、それはジュリアスさんやヘリオス君を危険な目に合わせるということで、そんなことを命じるのは間違っている。

「……ジュリアスさん、私だけ山頂に降ろしてください! 知らない人たちですけど、助けなきゃ。大丈夫です、私強いですし、クロエちゃんの作った戦闘用錬金は、王國最強なんですよ!」

うん、それが良いわね。

私だけをヘリオス君で山頂に送り屆けてもらって、ジュリアスさんにはヘリオス君と一緒に空で待ってて貰うというのが一番良いわ。

そうしたら、二人とも危なくないし、私は多分ーー多分だけれど、大丈夫。

「何を言っているんだ、阿呆。……何故お前だけを降ろす必要がある」

「だ、だって危ないですし! 異界の門の門番のことは魔に詳しい私でもよく知らないので、一緒に來たらジュリアスさんやヘリオス君が怪我しちゃうかもしれないじゃないですか」

私はジュリアスさんを見上げて言った。

素材集めの為の討伐対象の魔は、知識がある分大丈夫だという安心がある。よく分からない存在は、怖い。私はジュリアスさんを守りながら戦えるほど、強くはないのだ。

「良いか、クロエ。俺はお前の奴隷だ。……門の魔を殺せと、そう命じるだけで良い」

「でも、……駄目ですよ、私……」

「錬金店を大きくして、家を買うんだろう? 飛竜が三匹飼えるぐらいの家だと言ったな。……異界の門の門番とやらは、さぞ良い素材を落とす筈だ。金になるぞ、クロエ」

「ジュリアスさん、そんな、私みたいな事言って……!」

ジュリアスさんの神に守銭奴の私が乗り移ってるみたいだわ。

口角を吊り上げて言うジュリアスさんはとても頼もしくて、が高鳴るのをじる。

ーーこんな時なのに、私は何を考えているのだろう。

「クロエ、邪魔だ。俺の後ろで落ちないようにしがみついていろ」

「は、え……?」

ジュリアスさんは前に抱いていた私の服の首元を摑むと、背中側へとぽいっと放り投げた。

軽い浮遊と衝撃がに走る。ヘリオス君の背中から落ちる恐怖を味わいながら、私は必死にジュリアスさんの背中にしがみついた。

ぎゅうっと抱きつくと、再び馬の効果でが固定される。ほっと安堵したのも束の間、ヘリオス君は北の魔の山の山頂に向かって急降下を始めた。

ジュリアスさんはヘリオス君の背中にある槍立てから、それはもうお高い久遠の金剛石で作られた黒い槍を抜いて右手に軽々と握る。黒い柄と、切先のある私の長ほどありそうな長く細の槍だ。

竜騎士だったジュリアスさんはずっとこんな姿で戦っていたのだろう。

私はジュリアスさんにしがみついてなるだけ邪魔にならないように小さくなりながら、その背中を見つめていた。

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