「もったいないですね」

「何が？」

「髪ですよ。綺麗なのに、あんなにしてしまうの、もったいなくないです？」

「……」

返事が返ってこないのが心配になって、殿下の方を見た。けれど、ちょうど彼は向こうを向いていて、その表が見えない。

「そんなことを言うのはお前だけだ」

「そうですか？　誰の目から見ても、綺麗なだと思いますけどね」

「……誰も、皇太子しか見てないからな」

そう呟く殿下の聲が、しだけ沈んでいるように聞こえた。

その聲に今までにない空気をじ取って、私はゆっくりと近づく。その気配をじたのか、殿下がこちらを向いた。

真っ直ぐに私を見るその瞳に、見たことのないが宿っていて、しだけ驚く。

「顔なんて何も変えてないのに、軽く弄っただけで、誰も俺だとわからなくなる。周りが見てんのはヴィクターじゃなくて、エルサイド帝國皇太子なんだろうさ」

「……」

「別に、それが悪いとか言うつもりはないからな？　それが普通だろうさ。……あー、悪い、辛気臭くなったな」

ぐしゃり、とかき回された髪が、らかくを反した。

その手を、捕まえた。驚いたような瞳が、こちらを抜く。

「私が見てるのは、変わらずヴィクター様ですよ」

「……勵ましはいらないぞ」

「素直じゃない人ですね」

やっと、殿下の本心をしだけ覗くことができたのだ。

殿下は基本的に、國のことを大切に思っている人だ。皇太子としての覚悟も自覚もある、申し分のない人だろう。そんな彼が、自分のを思わない無茶な変薬の飲み方をしていたことに、ずっと違和があったのだ。

その一端を、ようやく、覗いている気がした。

「良いですか。殿下たちがってきた時、私は舊友に會えるかと思って皇太子殿下の顔を見ました。そして、明らかに別人だと察し、やったなこいつと思いながら地味眼鏡を探しました。分かります？」

「さらっと失禮だな」

「今更でしょう。皇太子として扱ってしいならそうしますが」

「いや」

深くため息をついた殿下が、苦笑した。

「俺の負けでいいから、ヴィクターとして接してくれ」

「言われなくても」

微笑んだ。しだけ弱みを見せてくれたような気がして、嬉しかった。

「――どうして、私が変薬に手を出したか、話したことはありましたっけ？」

「いや、ないな」

「は、生まれた瞬間から、子供を産む道なんですよ」

「……」

「ああ、殿下と一緒で、それが悪いと言うつもりもありませんし普通だと思いますよ。でも私は、それが嫌だったんです」

懐かしい思い出だった。男になれる薬を扱っているという怪しげな魔の元に、使いをやったこともあった。

「けれど、男になれる薬なんてありませんでしたから。自分で、作ってやろうと思いました」

「お前らしいな」

「ええ。それに一番近かったのが、変薬です。まあ、研究するにつれて、流石に無理だと悟りました。々と、の構造が違いすぎます。そこから後は、半分趣味ですね」

あとは、放っておくとすぐにを顧みない飲み方をする、この人のため。それを言うつもりはないけれど。

「……ここは、殘念だったなって言うべきかもしれんが、俺はお前がでよかったと思ってるぞ？」

「どういうことです？」

ぐいと、を引かれた。ソファに座っていた殿下の膝の上に無理やり座らされる。本気の殿下に抵抗しても無駄であることは、この前悟ったばかりだ。諦めて、力を抜く。

「心地いいだろ、こうしてると。らかいし、可いし、いい匂いするし」

「……っあの」

「なんだ、お互いに婚約者もいないし、いいだろう」

「いい加減言おうと思ってましたが、年頃の男に許される距離ではないと思うのですが」

「いいんだよ、誰もいないだろ」

「いなくはないですが」

「側近はいないようなものだろう？　口外もしないだろうし」

だろう、と言っているけれど、その口調は有無を言わせぬもので。確かにこれなら、口外の心配はないだろう。私が側近だったら、怖すぎて無理だ。

「もうしだけ、こうさせてろ」

そう言う殿下の聲音に、かつてない縋るような響きをじ取って、私は黙る。

なんとも言えない、甘い空気が、そこにはあった。なんとなく、口を開くのを躊躇って、結局黙ってその溫をじている。

かつては、私には婚約者がいた。けれど、今はいない。

その事実がに染み込むにつれ、しだけ溫が上がる。

この関係に、名前がついてしまうのが怖かった。

私のむ名前は一つだけれど、それは到底気軽にめるようなことでもなく、私から乞うことが許されるようなものでもない。嫌われていないと思ってはいるけれど、殿下のを履き違えて、思い上がるようなことはしたくない。

だから、このにそっと蓋をして、今のままの関係で。

溫かな溫をじながら、私は重をふっと後ろに預けた。