《【電子書籍化】殿下、婚約破棄は分かりましたが、それより來賓の「皇太子」の橫で地味眼鏡のふりをしている本に気づいてくださいっ!》第36話 第58條の進言、またの名を文句

「ヴィクター様」

「なんだ」

「私の腰には、何もついてませんよ」

私の言葉を無視して、ヴィクター様はわざとらしく私の腰を抱え込む。その指先が時折脇腹を掠るものだから、何ともくすぐったい。

お披目式、いや、もはや夜會か。夜會もあの後は何事もなく終わり、どうにか部屋に帰ってきたところを、ヴィクター様に捕獲されたのだ。そう、捕獲である。

私を捕まえたヴィクター様は、不機嫌極まりない、と言った様子だ。返し損ねたユースタス様のハンカチを私から奪い取って、指先でくるくると回している。

「アイリーン」

「何でしょう」

「……」

名前を呼ぶだけ呼んでおいて、答えれば無視。勝手な人だ。理由を問い詰めたところで、どうせ呼びたかっただけ、と言われるのは分かりきっているので諦める。

「そんなことより、ヴィクター様、いつから聞いてたんですか」

「ああ、最初から、だな」

「よく隠れられましたね」

「存在も地味なんだよ。誰にも気づかれない」

「で、どうでした?」

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「ユースタスが、か?」

「他に誰がいますか? 私の想なんて言われても困ります」

「ああ、珍しく可かったな」

あの時の私の様子を思い出したのか、ヴィクター様が楽しそうに笑う。やめてほしい。しでも早く、記憶から抹消してほしい。らしくないことをした自覚はあるのだ。

「珍しく、ってなんですか」

「ああ悪い。普段も可いぞ」

「っそういうことを言ってるわけではありません!」

「そうやって照れる姿も」

「黙ってください!」

ぶ私に、渋々ヴィクター様が口を閉じる。けれど、明らかにこちらの隙を伺っている様子なのだ。話を逸らした方がいい。違う、そもそもこれは話を逸らされた結果だ。

「で、ユースタス殿下はどうでした?」

「見かけほど単純ではなさそうだとは思ったが、スレニアでのきと照らし合わせれば予想通り、と言ったところか」

「あの、國の再建に熱を傾ける王太子、という姿が、どこまで本當か気になるところです」

「國を再建したいのは本當だと思っているが、その機だな。今までのきからするに、そこまで純粋な人間とも思えん」

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「はい。スレニアとの詳しい関係も気になるところです」

「ああ。スレニアと言えば、俺の暗殺に関して、スレニアには、王太子とエリザの柄を要求した上で一度話し合いを提示したんだが、結果は知っての通りだ。拒否された。完全無視だ。そろそろエルサイドの軍がき出す頃だろう」

「そうなる気はしていました。……ヴィクター様の暗殺の主犯は、ユースタス殿下と見て良さそうですか?」

なくとも、関わってはいるだろうな。ヴァージルについて、詳しかった」

「……どういうことです?」

どうして、ここでヴァージル殿下の名前が出てくる。本當に分からなかったので聞いたけれど、心底不可解だ、という顔をされた。なぜ分からないのか、という心の聲が伝わってきそうだ。

悔しいけれど、私も大人しく、教えてください、という顔をする。

「気づかなかったか? 會場の一角に、明らかにヴァージルの好む料理がまとめて置いてあるところがあった。部屋も、二部屋あるうちの、間取りからしてし小さいと思われる手前がヴァージルだっただろう? 大抵逆だと思うが。位置から察するに、ちょうど手前の部屋の窓から庭が見下ろせるはずだ。あいつは庭を鑑賞するのが好きだからな、そこに配慮したんだと思うぞ」

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々と言いたいことはありますが、ヴァージル殿下の趣味が予想外すぎて容が頭にってきませんでした」

「知らなかったのか? 初めてお前に會った時も、庭園にっただろう」

「そういえば、そうでしたね」

會に便利だから選ばれたのかと思っていた。まさか本人の趣味だったとは。意外すぎる。

「俺が死んでから、慌ててヴァージルの接待の準備をしたにしては、用意が良すぎる。こう言っては何だが、元は第二皇子だからな。俺の報は々と出回ってたはずだが、ヴァージルの報を得るのはそれなりに苦労するはずだ。本人もどちらかと言えば隠す方だしな。そのはずが、いざガーディナに來てみれば、完璧にヴァージルを歓迎する制が整っている」

「ガーディナに素晴らしく優秀な人が揃っていたという可能は考えないんですか?」

「會話してみたが、ライアンの足元にも及ばないな」

「ライアン様と比較するのは可哀想な気もします」

あまりの人の良さと悲痛な表で忘れがちだが、実はライアン様はとてもすごい人だ。忘れがちだが。

「と、いうわけで。俺が殺されることを、ある程度早いうちから摑んでいたのでは、と予想している。確実な証拠があるわけでもないが、それも絞って調べていけばおいおい見つかるだろう。一番いいのは保護しているであろう王太子とエリザを捕まえることなんだが、さすがに居場所が摑めなくてな」

「最重要機じゃないですか。それも摑んでいたら、本気で怖すぎます」

「そのうち見つけるさ。俺だからな」

「期待してます」

おう、と短く答えたヴィクター様が、私の腰に回したままだった腕に力を込めた。そういえば忘れていた。完全に意識の外にあったことを悟られたのか、ヴィクター様が不満そうに私を引き寄せる。

相変わらず容赦のない力のかけ方に、抗いようもなく捕まった。

「そんなことより、アイリーン不足で死にそうだ」

「もう死んでますね」

「分かってるだろ、比喩だ。気も緒もない言い方をすると、抱きたい」

「……っ馬鹿なんですか!?」

あまりにも直接的というか、単純すぎる言葉に一瞬で顔が熱くなる。その反応を面白がられているのは分かっているけれど、勝手に頬が赤くなるのだ。私は悪くない。

「そんなに煽るな。さすがに俺もこの狀況で手を出すほど馬鹿じゃないからな、我慢するのが辛い」

「なっ、そんなこと!」

「殿下、やめてください」

信じられない聲に、私はぎこちなく振り返る。部屋の隅には、いつの間にか戻っていたライアン様の姿。

今のを、聞かれたのか。聞かれた、だろう。恥心が限界だ。一瞬ヴィクター様の腕の力が緩んだ隙を見計らって、どうにか逃げ出した。ソファの、ヴィクター様から一番離れた向かいに腰掛ける。

「あー、ライアンか」

「あーって何ですか。僕は殿下に言われた馬鹿みたいな量の仕事をこなして、疲れ切ってるのですが」

「おう、お疲れ」

「……」

ヴィクター様には何も答えず、ライアン様は小聲で繰り返し、怒るだけ無駄、と呟いている。そのまま一つ大きなため息をつくと、ヴィクター様の背後に立った。

どんなに適當な態度を取られても自分の仕事を放棄しないあたり、ライアン様はやはり真面目だ。ヴィクター様も、見習ってほしい。

「殿下、しは自重してください。人目を気にしてください」

「なぜ?」

「殿下には恥心というものがないんですか?」

「見せてやろうか? この溢れんばかりの恥心を」

「どの口が言ってるんですか。そんなことばかりしているから、こんなものを作られるんです」

そう言うと同時に、ライアン様は一枚の紙を突き出した。使われている紙からして、今度は重要書類ではなさそうだが。

ぐっとを乗り出したヴィクター様が、その紙をけ取る。そして一目見るなり、放り出した。続けて、一言。

「卻下」

「僕も殿下はそう仰ると思うと、言ったんですよ? ですが、分かってください。どこかの誰かが馬鹿みたいなスケジュールで人をかすので、皆に飢えてるんです。新しくってきた誰かがほとんどのを獨占しているというのもありますが」

2人の言い合いを聞き流しつつ、ヴィクター様が放り捨てた紙を拾う。お世辭にも綺麗とは言えない字で書かれたそれの一番上に書かれた文字を見た瞬間、危うくびそうになった。

「何ですかこれ!?」

「何も、見た通りだろう? 當然、卻下だ」

「いや、待ってください、ここに書かれた全部、目撃されていたってことですか!?」

それは、何というか、私とヴィクター様へのお願い、のようなものだった。お願い、と言ったけれど、実際は不満に近い。文句と言ってもいいかもしれない。殿下と配下の人の距離が近いのはいいことだけれど、けれど。

例えば。自分たちがいる前で抱き合わないでほしいだとか、好きだしてると言わないでほしいだとか、駄目だ、これ以上は言えない。恥心が限界。

「分かります? どこかの誰かのせいで人ができないのに、當のどこかの誰かは綺麗な奧さんと目の前で幸せそうな顔を曬しているんですよ。耐え難いのも分かってください。加えて、最近殿下の威厳が消えかけているので、最の妻が目の前にいるのは理解しましたから、もうし落ち著いてください。新婚のうちだけだと思っていましたが、いつまで経っても変わらないじゃないですか」

ができないのは、本當に俺のせいか?」

「……本人たちに全く責任がないとは言いませんが、殿下も大きな要因でしょう! 僕に大量の悲鳴が回ってくるんです! そんなこと言われても、僕だって……いや、とにかく! しは自重してください!」

「僕だって?」

「……っ話を逸らそうとしたってそうはいきませんから」

相変わらず、巻き込まれ質らしい。ヴィクター様に関する不満が、全てライアン様に流れていっているようだ。さすがに申し訳なくなってきた。

「ヴィクター様。……これは、自重しませんか」

「斷る。俺は繊細なんでな、抱き枕がいないと眠れん」

「抱き枕扱いするのはやめてください。抱き枕にも意思があるんです」

抱き枕も、抱かれたい気分の時と勘弁してほしい気分の時があるのだ。いい加減理解してほしい。

「初めて知った」

「何言ってるんですか」

「お二人とも、それくらいにしてください。この、第37條を見てください。それも自重対象です」

「そんなところまで読んでいるわけがないだろう? というか、どこまであるんだ」

「第58條です」

「怖いな」

58條。多すぎる。割と本気で、控えた方がいいかもしれない。

けれど思い返してみれば。私からヴィクター様にれたことなど數えるほどしかない。いつも一方的にヴィクター様が捕まえてくるのだ。つまり、私は悪くない。ヴィクター様が自重すれば良いだけだ。

「ヴィクター様、せめて目を通しましょう? 自分の配下の方でしょう? 本気で迷がられているかもしれません」

「こんなの、酒の席の冗談に決まっているだろう。そういう奴らだ」

「そうかもしれませんが。私も、さすがに控えた方がいいと思います」

そう言った瞬間、ヴィクター様が骨に嫌な顔をする。これは、どちらかといえば本気よりの方だ。言葉を間違えたかもしれない。

「お前も、嫌か?」

「……その聞き方は、狡いと思います」

「その答えは、嫌ではないと取っていいか?」

「あのですね!」

ライアン様の指が、真っ直ぐに紙を指す。あれは、第7條か。

「分かったよ」

「え?」

「我慢すればいいんだろ?」

「……殿下、本當に、我慢するんです?」

「なんだ、自分で言っておきながら期待してなかったのか?」

「はい」

「そうきっぱり答えるな、悲しくなる」

「自業自得ですね」

まさか、本気で言っているのか。ヴィクター様が、私にれることを我慢する?

有難い、かもしれない。なくとも人前でまとわりつかれることはなくなるし、作業の邪魔をされることも、急に抱き枕にされることも、なくなるのだ。恥ずかしい思いをすることもない。

これは、ヴィクター様の気が変わらないうちに言質を取りたい。

「ヴィクター様、自重するんですね?」

「ああ。俺からは、しばらく人前でお前にれないと約束する。それで、良いだろう?」

「……良い、ですが」

いやに素直だ。一周回って嫌な予がする。何か企んでいるのでは、と疑いたくなる。

ヴィクター様は、ゆっくりとソファに橫になった。いつもはその後私に手をばしてくるのだが、宣言通りその様子はない。

ふっとこちらに視線が投げられ、ぴたりと目があった。その瞬間、その薄いが楽しげな笑みを形作る。

確信した。この人、絶対に何か企んでいる。

もしかして墓を掘ってしまったか、と思いつつも、これからの平穏な生活を思って心躍らせていた、その時。

とこん、と扉が叩かれた。

「ただいまー。もしかして、俺のこと待ってた?」

「誰も待ってない」

「ほんと、相変わらずジェクター殿下は口が悪いなあ」

扉を開けて姿を現したレオは、その薄い水の瞳をすっと細めて笑う。

「全く。レオ、どこへ行っていたんです?」

苦笑するライアン様の雰囲気が想像以上にらかくて、驚いた。知らないうちに、この2人、かなり仲が良くなっていたのかもしれない。

「え? 可の子たちが俺のこと離してくれなかったから。一緒に過ごしてたよ?」

「そうですか」

すたすたと、軽い足取りでレオが部屋にってくる。その姿を何の気無しに目で追っていた、その瞬間。

レオの姿が、消えた。

がん、と耳障りな音が聞こえて、びくりとが震える。一拍置いて、ようやく私の目は狀況を捉えた。

ソファにだらしなく寢転がるヴィクター様。そしてその前で短剣を振りかざすレオと、それを腰にさしていたはずの剣でけ止めたライアン様。

「全く。そうも殺気を漂わせていては、殺すものも殺せませんよ」

先程と全く同じような口ぶりで、まるで遅くまで帰ってこなかったことを咎めるように、ライアン様は言った。

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