《【電子書籍化】殿下、婚約破棄は分かりましたが、それより來賓の「皇太子」の橫で地味眼鏡のふりをしている本に気づいてくださいっ!》第38話 全然、我慢できるではないか
「ヴィクター様」
「なんだ」
「私の部屋のソファはヴィクター様のベッドではありません」
「そうだったか?」
深い、ため息をついた。
あれから、ありがたいことに特に事件が起こることもなく。無事エルサイドに帰國できたことは良かったのだけれど。
だらりとソファに橫になるヴィクター様を、じとりと見つめる。
「調が悪いんですか?」
「いや? お前のおかげで、最近は調子が良い」
私がエルサイドに帰國して真っ先にしたことは、私の研究を委託していた研究所と連絡を取ることだった。
もちろんヴィクター様の事を話すわけにはいかないが、しばかり改良に著手してもらったのだ。簡単な案だけは殘してきたが、全てが使えるわけでも、すぐにできるわけでもない。とはいえ、この生活がいつまで続くか分からない以上、時間がかかっても打てる手は打っておいた方が良い。
しばかり量も増やしたし、別の種類も持ってきて調整した。そのおかげか、しはましになったようで安心した。
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久しぶりの研究所についつい長居してしまったが、どうやら想像以上に私の薬はよく売れているようだった。おかげで、わずかだが収もある。自分の好きなようにかせるお金があるというのは、安心できる材料だ。このような狀況では尚更。もうし売りたいところなので、顧客リストもお願いしている。近日中に屆けてくれるらしい。楽しみだ。
「だったら、ここで寢ないでください。ヴィクター様の部屋にもあるでしょう?」
「こっちの方が寢心地が良いんだよ」
「そんなわけないでしょう」
抱き枕があるわけでもあるまいし。
そう言いかけて、咄嗟に口籠る。
あれ以來、ヴィクター様は宣言通り、私に指一本れてはいない。人がいるところでは、という條件だったが、私たちが2人きりになる機會などそうそう転がっているわけもない。必然的に、常に、あの58條を守らなければいけなくなる。
今まで邪魔なくらいに、面倒なくらいに、うるさいくらいにあったヴィクター様からのれ合いが、ぴたりとなくなった今の生活は、端的にいって怖い。かなり、怖い。
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あれほど足りないだ、繊細だ、などとほざいていたくせに、一切私にれたい様子を見せないのも怖い。全然、普通に我慢できるではないか。妙に腹が立つ。
「どうした、急に黙って」
「どうもこうも、疲れていただけです」
「おう、寢るか?」
そうは言うけれど、前のように私に手はばさない。今までだったら、きっと気がついた頃にはヴィクター様の腕の中、という流れだった。
「ヴィクター様」
「なんだ?」
「……いえ、なんでもないです」
なぜ、今私はヴィクター様の名前を呼んだ。なんというか、口が勝手に、というじで。
止める間もなくこぼれ落ちた言葉に、ヴィクター様が訝しげな顔をする。けれどそれきりだ。それで會話は、終わり。
なんとなく、腹が立つ。毎度の如く、堂々と寢息を立て始めたヴィクター様にも。いちいち気にしているのは、こちらだけのようで。
ヴィクター様の向かいのソファに腰を下ろし、手紙の束を開いた。今朝屆いたものだ。どうせ何を言おうとも、こうなったヴィクター様はかない。もう諦めた。
だが、最初の一枚を開いて、その文字を追い始めた瞬間、とこん、と扉が叩かれた。
「っ殿下!」
短い呼びかけ。けれどそれは明らかに切羽詰まっていて、ヴィクター様の方を見れば、既にを起こした後だった。
「ライアンか。レオまで、2人してどうした」
「聞いてください」
ちらり、とライアン様が窓の外を確認する。ライアン様と一緒に部屋にってきていたレオが、ふわりと飛んで扉の近くに立った。そのまま、片耳を扉に押し當てる。どうやら、外の様子を窺ってくれているらしい。
「ガーディナが、きました。公式に、です」
「というと?」
「エルサイドの軍がスレニアに派遣されていることは當然ご存知かと思いますが」
「ああ」
「その軍より、連絡が屆きました。ウォルド山脈を回ってスレニアへ向かう道、ガーディナ國を通過する街道で、エルサイドの軍がガーディナに攻撃されたと」
「負傷者は」
「ほぼいません。軽傷のみです。向こうも完全に戦闘をする気はなく、単なる威嚇程度のものだったようです」
「実質、スレニアとガーディナが手を組んだ、か」
ぐしゃりと髪を掻き回したヴィクター様。ヴィクター様本來の姿だと様になっているのだが、地味眼鏡がやると違和がすごい。
などと考えているのは、きっと現実逃避だ。
「意味がわからんな」
「はい。同です」
「ガーディナに利益がない。こちらへの要求は?」
「特に何も。スレニアとの同盟関係を示すための攻撃かと」
「ねえ」
レオだった。扉から一瞬耳を離したレオは、早口で言う。
「ガーディナが、スレニアを裏切る可能は?」
一言言ってすぐ、レオは監視に戻った。外の様子を窺いながら、こちらの話までしっかり聞いていたのか。普段の軽薄な好きの態度で忘れがちだが、やはりレオも普通の人間ではない。
「……なるほど、あり得るな」
すっと目を細めたヴィクター様が、思案するように指先を顎に當てる。
「あの王太子なら、考えそうな策だ」
「要求はなんです?」
「まあ、自由だろうな。詳しくはアイリーンに聞いてくれ」
ライアン様の視線をけて、私はあの夜の話をする。
ユースタス殿下が、ガーディナの自由、実質エルサイドからの獨立か自治を求めているということ。その信者は多いということ。そしてそれをエルサイドの人間である私の前で公言して憚らず、目的のためには手段を選ばないだろう、ということ。
「そういうことでしたら、納得です。一度スレニアについたふりをして、エルサイドに対してガーディナを邪魔な存在だと印象付けた上で、スレニアを裏切りエルサイドの味方をするという條件で自治を要求する、と」
「エルサイドからスレニアに大勢で抜けようと思えば、必然的にガーディナ近辺を通ることになります。スレニアの件はエルサイドの沽券に関わる問題ですから、なかなか厄介ですね」
「もちろん戦爭となれば負けることはないだろうが、エルサイドとしては屬國2國と戦うことなど避けたい。結局後始末をするのはエルサイドだ。それに俺は、これ以上犠牲を出したくない。最後のは私だが、な。そういう事を察した上で、エルサイドの味方をすると渉してくるのだとしたら、ガーディナの考えも筋が通るか」
立ち上がったヴィクター様が、大きな地図を出してくる。いつの間に私の部屋にそんなものを持ち込んでいたのだ。全く気がついていなかった。
「ライアン。詳しい場所を教えろ」
「はい」
端を押さえようと重石を差し出した私の手と、同時に同じことをしようとしたらしいヴィクター様の手が、こつんとぶつかった。
悪い、と短く謝って、何事もなかったかのように話を続けるヴィクター様。話に集中すべきだと思うのに、れたところがなんだか熱い。
初めて會った時から、異常に距離が近かったから。こんな些細なれ合いなど、何も気にしたことなどなかった。なかった、のに。
強引に意識を逸らし、會話に集中する。
「エルサイド軍は現在ガーディナ國境付近に待機中です。戦場所はここです。一時撤退し、ヴァージル殿下の指示待ちの狀態です」
「……また、陛下の調が?」
「どうやら、そのようです」
「待ってください、なんですかその報。聞いていません」
「ああ、言っていなかったか。最近は落ち著いていたようだったから忘れていた、悪い。あまり大きな聲で言える話でもないんだが、陛下の調は、ここ數年、芳しくない」
「一大事じゃないですか」
「そうだな」
ヴィクター様にしては珍しく、大きなため息だった。そのまま、ゆっくりと言葉を続ける。
「だからこそ、俺の死んだふりなんていう滅茶苦茶な策を呑んだところもあるんだろうさ。俺とヴァージル、2人の皇子を見極めるという意味ではなかなか良い手だからな」
「……まさか、ヴィクター様はそこまで予想して陛下に話を持ちかけたんです?」
「そうだが、それも陛下は読み切っているだろうな。あの人と話していると、全てを見抜かれているような気分になる。俺はまだまだだと思い知らされる相手だな」
「ヴィクター様にそこまで言わせるとは、相當ですね」
「エルサイドの皇帝だぞ? 生半可な人では務まらないだろうさ」
怖い。さすがはヴィクター様の父、というべきなのだろうか。
けれどそんな人の調が優れない、となれば、相當に危ない狀況だろう。そして考えたくもないが、萬一のことが起こったときに、今皇族としてける人間はヴァージル殿下しかいない。言葉を選ばずに言えば、心配だ。心配極まりない。
そう言えば、ヴィクター様は楽しげに笑った。
「相変わらずで何よりだ。安心しろ、もし何かあれば、俺も姿を現す。ガーディナの追及など後回し、という事態が起こらないことを願ってくれ」
「らしくないですね。起こさせないんでしょう」
「そうだな」
ふっと微笑んだヴィクター様が、ゆっくりとをソファにもたせかける。
「様子を見るしかない、か」
「そうですね。ガーディナが本気でエルサイドと戦うつもりなのか、見極めるべきだと思います。普通に戦闘をしたら敵う相手ではないのは、ガーディナも理解しているでしょうから」
「ああ。後はヴァージルがどうするか、だが」
「はい。ですが、全てがヴァージル殿下の一存というわけでもないでしょう? 大丈夫だと思いますが」
「そうなんだが。しばかり……いや、いい。憶測だ」
「そこで切られると気になりますが、分かりました。そしてヴィクター様、話を変えてもいいですか? もちろん、スレニアに関わることですが」
「ああ」
ライアン様にも視線で確認し、許可を取る。ガーディナについては、ここでどれだけ話したところで、今すぐできることはない。ヴィクター様の配下の方もき始めているだろうし、城の他の人間の反応も気になるところだ。なんにせよ、報が足りない。その認識は共通しているようだった。
「スレニアの家族から、手紙が屆いたのですが」
「亡命、か?」
「さすが、その通りです。スレニアとエルサイドの対立が避けられないと確信したので、エルサイドに逃げたいという容ですね」
「それは、お前がここにいるからか?」
「それもあるとは思いますが、一番は、スレニアが負けることを確信しているからでしょうね。私の両親は、沈みゆく船に乗り続けるほど馬鹿ではありません」
「なかなか言うな」
「ガーディナの捨て石にされた可能があるなら、尚更です。今のスレニアに価値はありません。王も、ガーディナの支援をけていると思っている保守派貴族の言いなりのようです。正直、破滅の未來しか見えません。そこから逃れてエルサイドに來たいと思うのは、ごく自然だと思いますよ」
「ああ」
そうだな、と呟いたヴィクター様が、ゆるりと頭を振った。どうやら疲れているらしい。この話が終わったら、強制的に休ませよう。私の部屋を使うことも、許してあげなくもない。
「だが、殘念ながらその許可を出すのは俺ではないな」
「ヴァージル殿下、ですか」
「ああ。本來なら陛下なんだろうが、狀況が狀況だからな。俺の方で手を回してもいいが」
そこで言葉を切ると、ヴィクター様は挑発するような笑みを浮かべる。
「お前なら、あいつの説得くらい、容易いことだろう?」
「ええ。やってみせます」
ヴィクター様の信頼が、嬉しい。
だからこそ、絶対に説得してやる。そして、ヴィクター様を驚かせてやるのだ。
楽しげに笑っているであろう私を見て、ヴィクター様がそのを軽く持ち上げる。
けれどその手は、私にはれない。
我慢、できるではないか。
心の中で呟いた言葉は、先ほどよりもしだけ靜かだった。
そうして、すぐに手紙を送らせて謁見の約束を取り付け。
「何の用だ」
ヴィクター様と同じ、けれど全く違うを持った青い瞳が、真っ直ぐに私を見下ろしていた。
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