《【電子書籍化】殿下、婚約破棄は分かりましたが、それより來賓の「皇太子」の橫で地味眼鏡のふりをしている本に気づいてくださいっ!》第48話 皇太子の溺、もしくは策略、もしくは幸福

「失禮します」

口にした室の挨拶に、ソファにだらりと腰掛けていたヴィクター様が顔を上げた。

「やはりヴィクター様の私室なんですね……」

「お前がここにいると落ち著くからな」

「私は落ち著かないんです」

「なぜだ?」

不満な顔を隠さないまま、ヴィクター様は隣を軽く手で叩いた。來い、と言うことらしい。

ヴィクター様の重みで沈み込み、しばかり斜めになっているそこに、無造作に腰掛けた。噓だ。本當は、結構、しっかり、未だに張している。

エルサイド帝國、帝都。

あの後、當然のごとく大騒ぎとなったガーディナ。特にヴィクター様は大忙しで、ガーディナでの事件の後始末に加えて、ありとあらゆるところから問い合わせの手紙が殺到していた。私も手伝える範囲で手伝ったけれど、ヴィクター様本人でないとどうしようもないものも多く、さすがのヴィクター様もしばかりげっそりしていた。そんなヴィクター様の肩を、ライアン様が良い笑顔で叩いていた。

それでもどうにか山のような仕事をある程度片付け、ようやくエルサイドへ戻ってきたのだ。だがそれからも、公務に次ぐ公務。ヴィクター様も他國に呼び出されたり、今度こそ本の視察にも呼ばれたり。時折會って軽くれ合うことこそあるし、寢室も一緒だけれど、お互いに忙しくて落ち著いて會話をする時間がなかった。ようやく、お互いの休みが重なったのだ。本當に、何月ぶりだろう。二月以上は経っただろうか。

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私自はまだ常識の範囲の仕事量だったが、ヴィクター様がおかしかった。それもこれも、突然死んだふりなどするからだ。城中のありとあらゆる業務の大混に対処していたヴィクター様は、元気そうに見えてもさすがに疲れ切っているだろう。ただでさえ、変薬の負擔があったところなのだ。

「ほら、來い」

「…………分かりました」

そう思うと、抵抗はできなかった。強引に私のを引き寄せる手に抗うことなく、私はヴィクター様にを預ける。今は、下手に暴れない方が良い。

満足したように、ヴィクター様が笑った。先程までの不満な顔はどこへやら、楽しそうなヴィクター様は、指先で私の髪を弄ぶ。

じっとそれを見つめていると、ヴィクター様に頬をつつかれた。

「やけに大人しいな」

「そうですね」

「疲れたか?」

「まあ、さすがにそれもあります。ところで、ヴィクター様。私を私室に呼んで、何をしたかったんですか?」

「ん? ああ、アイリーンを堪能したかった」

「真面目に答えてください」

「分かったよ。知っているかもしれないが、一応々と伝えようと思ってな」

苦笑した後、ヴィクター様が思案するように顎に指先を當てる。

「ヴァージルとユースタスだが、まあ知ってるとは思うが、まずはエルサイドに監視つきで強制送還という形になっている。罪狀は、俺の暗殺未遂及びエルサイド帝國への反逆だ。ヴァージルに関してはお前の暗殺未遂もだな。レオが証言した。罰については、ようやく決まったところだ」

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「時間がかかったのは、しでかしたことに的な罪の名前をつけることが難しかったですか? あまりにも前代未聞すぎて的な罪狀を書面にするのは難航しそうですし」

「ああ。結果、ユースタスは俺の暗殺未遂と正を偽って王家を騙ったこと、加えてエルサイドへの反未遂、だな。一度武力反抗の意思を示している以上、そこは罪に問える」

「そう聞くと、すごい罪ですね」

「ああ。今は監視付きで監狀態だな。一応、より正確なガーディナの報を引き出すため、ということになっているんだが、言ってしまえば、國が大混なせいで放って置かれている狀態に近い。今頃本気で忘れられかけている恐怖を味わっているだろうさ。もちろん厳重警戒制で、だぞ。ああ、警戒制といえば。お前の家族にも、すぐに會えるだろう。今、手を回しているところだ」

「ありがとうございます」

「ヴァージルに関しては、同じく俺の暗殺未遂と、お前の暗殺未遂、か。確実に言えるのが、それだけなんだな。それだけでも廃嫡までは確定だとは思うが、それも継承権を持つ人間が今エルサイドにないせいで即決できない」

とはいえ、それもまた、ヴィクター様が自ら殺されにいったからであり、私がレオをあえて呼び寄せたからなのだから、笑ってしまう。

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しばかり悔しいが、狀況には狀酌量の余地が大きい。そもそもユースタスは変した狀態でヴァージルと渉し、ヴァージルはその正を知らなかった。ヴァージルとガーディナ國王が會話することも、自治の約束をすることも別に罪ではないからな。言ってしまえば、他の人間同様騙されたようなものだ、殘念ながら」

「殘念なんですね」

「俺は、お前が思っている以上に、恨みを溜め込む格なんでな」

「はい。知ってます」

「そう斷言するな。悲しくなる」

「思ってもないことを。ところで、ヴィクター様」

「その前置きには不安しかじないがなんだ?」

「どこまで、ヴィクター様の手のひらの上だったんですか?」

そう問いかけた瞬間に、楽しげにヴィクター様の口元が持ち上がる。何だか既視のある表だった。そういえば、前もここでこんな會話をした。

そのまま無言で続きを促され、私は言葉を続ける。

「今回の件の結果を整理しましょうか。まず、エルサイドです。ヴァージル殿下は継承権を失う可能が高いでしょうし、もう二度と私が暗殺されかけることもないでしょう。邪魔されることもないわけです。ヴィクター様の皇太子としての地位は盤石なものになりました」

「ああ。初夜の件は一生恨むがな」

「加えて、私です。どうやら変薬の研究をしていたことがあちこちに広まったようで、々な研究所から私宛に手紙が屆いています。ヴィクター様の死に一度泣き崩れたことで、何だかヴィクター様のことが好きで好きで堪らないと思われているようですし」

「事実だな」

「黙ってください。要するに、今回の件で、私の皇太子妃としての評判も上がったようです」

しばかり照れる言葉を、一気に言い切る。それを分かっているらしいヴィクター様は、揶揄うような笑みを浮かべてこちらを眺めている。腹が立つ。

「次にスレニアに行きますよ。ヴィクター様、いえエルサイドを拒んでいた保守派貴族は、今回の件で一掃されました。今はエルサイドで監視している狀態ですか? 逆に、勢を正しく読み解けた貴族はエルサイドに亡命しています。そうでなくても、私を當てにしてこっそりとエルサイドに逃げ込んできた人はいるでしょう。つまり、スレニアの中でも特に優秀な人材が、自然とエルサイドに集まっているわけです」

「そうだな」

「殘るは抜け殻となったスレニアですね。ゆっくりエルサイドの支配、この言い方は語弊があるかもしれません。しずつ、ヴィクター様がしっかりとした國に変えていくつもりなのでしょう?」

「まあ、そんなところだな」

私の話を珍しく真面目に聞いているらしいヴィクター様が、こちらに手をばしてくることはない。それがしばかり寂しくて、しだけ距離を詰めた。

「あとはガーディナですか。言うまでもないですね。皆ヴィクター様に心酔してます。それもそうでしょう、信じていたはずの王太子が偽だった、という狀況で、その正を暴き斷罪し、あんなことを言えば誰でも信者になります」

「なかなか、良かっただろう?」

「照れ隠しですか。かなり本音が混ざっていたのは、分かってますよ」

そう返せば、ヴィクター様が苦笑する。本當に、何も隠し事ができん、という呟きは、ひどくらかかった。

「いざ全て終わってみれば、驚くほどに全てがヴィクター様に都合よく収まっているんです。どこまで、計算ですか」

「さあな?」

そう言ったきり、それ以上のことを言おうとしないヴィクター様。こうなったヴィクター様に何を聞いても無駄だ。知りたかったら、自分で調べるしかないらしい。

ヴィクター様は、だらりと姿勢を崩す。そこに寄りかかっていた私も、當然一緒に崩れ落ちた。ヴィクター様に覆い被さるような狀態になって、慌ててを起こす。

「なんだ、つれないな」

「……勘弁してください」

ヴィクター様が、崩したばかりの姿勢をすぐに戻し、私を抱き寄せた。

「アイリーン。分かるか」

「何がですか、とか聞きませんからね」

「前にこうしたの、いつだったと思う?」

思い出せない。私のここ最近の記憶にあるのは、書類の山に埋もれるヴィクター様と、書類の山の中で睡するヴィクター様と、書類の山と戯れるヴィクター様だけだ。書類を見つめる真剣な橫顔が、しばかり格好良かったなんてことは、斷じて無い。

「そういうことだ。つまり俺はな、今、強烈にお前に飢えている」

教訓。ヴィクター様を、我慢させてはいけない。

かつての自分の言葉を、冷や汗とともに思い出す。

「ま、待ってください」

「諦めろ」

「諦めません! 待ってくださいって」

「アイリーン」

耳元でけた聲で囁かれる。ふ、とかけられた吐息が、耳の奧で反響してひどく大きく聞こえた。

そのままぐっと抱きしめられ、指先で背筋をでられる。

限界だ。もう無理。

「ヴィクター様!」

「何だ、また気のない」

「ところで、陛下はお元気ですか」

「……ああ、元気なようだな」

「病気だったのが噓かのように、力的に今回の騒の後始末をなさっていると聞いているのですが」

「……あれは後始末というよりも、最後に殘った利益をかき集めていると言った方がいいんじゃないか?」

「隨分と都合の良く変する調なんですね?」

強引に言葉を重ねると、ヴィクター様が溜め息をついた。ゆるりと、その腕が解ける。ようやく、息がつけた。

「……なぜ」

「いくら病気とはいえ、ヴィクター様があれほど言う方です。ガーディナとの渉なんていう重要なものを、あのヴァージル殿下に丸投げします?」

「なかなか言うな」

「だってそうでしょう。私だったら、ヴァージル殿下が國をかすと言われれば病気だろうが何だろうが執念できます」

「そこまで言ってやるな。俺が関わった時限定だ」

「それでも、です。よく考えれば、今回は全て、なぜかヴィクター様とヴァージル殿下の中で話が終わっているんですよ。陛下はずっと何もしなかったんですか? 大人しく病気で倒れてたんですか? あれほどの國の一大事だというのに?」

「……恐らく、お前が察してる通りだな」

苦笑したヴィクター様が、ぐしゃりと髪をかき回す。その表は何だか見慣れないもので、しばかり新鮮だった。

「試してたんだろうよ、俺を。いや、俺たちを、か」

「……なんというか、やはり、ヴィクター様のお父様なんですね」

「それはどういう意味だ?」

「人を手のひらの上で踴らせることが大好きだという意味です」

「褒められているのか、それ」

「さて、どうでしょう」

どこからどこまでが、陛下の手のひらの上だったのか。陛下は、どこまで察していたのか。それは、私には分からない。

「いつから、ヴィクター様は気付いていたんですか」

「ほぼ最初から、だ。だがそれでヴァージルを泳がせられるなら、利用しない手はないと思ってな。まあそれも、気づかれていただろうが」

「お互いに全てを理解した上で利用しあっていた、というところですか」

「利用しあっていた、とまで言えるかは分からんが。本當、いい分だよ。病気だと言って寢ているだけで、全てが丸く収まるんだから。俺は散々に働かされてお前との時間すら取れなかったというのに」

あの人と話していると、全てを見抜かれているような気分になる。

前にヴィクター様が言っていた言葉を思い出した。

「結果として、それなりに認めてもらったようだからな。きっとヴァージルの処分も、陛下が口を出して上手いことまとめるだろう。ある意味で、俺は陛下を味方につけたようなもの、と言って良いか」

「……陛下って、ヴィクター様より容赦なかったりします? 目的のためには手段を選ばないところがあったりとか」

「まあ、な。今から楽しみではある。……ところで、すっかり話を逸らされてしまったが」

離れていた手が再び私を抱き寄せる。その顔が肩に埋められ、さらりと髪のが私の頬をった。

「お前にれたくて辛い」

「もうれてるじゃないですか」

「足りない」

その一言とともに降ってきた口づけを、必死でけとめる。いつになっても、慣れはしない。あっという間に上気してしまった頬を、潤みかける瞳を隠すように、両手で顔を覆った。けれど、それもすぐに強引に引き剝がされる。

燃えるような熱を持った青い瞳と、ぴたりと目が合う。

そのまま私の腰をなぞった不埒な手を、強引に捕まえた。し意外そうに目を見開いたヴィクター様に、挑戦的に微笑んで見せる。

こっそりと、隠し持っていた紙を取り出す。

『これであなたも完璧! 誰でもわかる、子供の育て方からし方まで 初級編』

かなり前、初級文に配られる門書をくれた彼の読書らしい。無言で、ヴィクター様の目の前に突き出した。

「……何だ、これは」

「これであなたも完璧! 誰でも分か」

「それくらい、分かってる」

その聲は、しだけ震えている、ような気がした。ゆっくりと、ヴィクター様が私を抱きしめていた腕を離す。そのまま、まるで壊れれるかのようにそっと、ヴィクター様の指先が私のお腹の上をなぞった。

「ヴィクター様。あなたの子です」

本當は、もうし改まって伝えたほうが良かったのかもしれないけれど。私も、つい先程知ったところなのだ。いざこうして伝えようと思ったら、張してしまったというか、照れてしまったというか。レオあたりに言ったら素直になれ、などと言われるだろうけれど、これくらいの方が私らしいのかもしれない。

「……」

てっきり、照れ隠しで揶揄われると思っていたけれど。そのための反論の言葉も用意してきたのに、ヴィクター様は口を開こうとしない。震える指先で、優しく私にれるだけだ。私に、か。その中の新しい命に、か。

突然、くるりとヴィクター様が向きを変えた。私に背を向けるような形になってしまって、その表が見えない。

「ヴィクター様」

「……見るな」

その短い一言で、そのしだけ震えた聲で、ヴィクター様の表が分かってしまったから。

私はゆっくりと回り込み、下からヴィクター様の顔を覗き込む。そこに、真っ赤に染まった頬と、しだけ潤んだ青い瞳を見つけて、私は微笑んだ。

「……ありがとう」

私を見て、目を細めて、ヴィクター様は囁いた。

「はい」

囁き返せば、らかく、しだけ遠慮するように、そのが私にれた。

溫かくて、心地よくて、私は目を閉じる。私を抱き寄せた腕の力は、弱すぎるくらいに弱かった。れている、と言った方が良いかもしれない。

「さすがに、そこまで遠慮しなくても大丈夫ですよ」

「だが」

それでも全く力をかけようとしないヴィクター様に、しさが込み上げる。この人なら、間違いなく、私も、この子も幸せにしてくれる。そして私も、ヴィクター様も、この子も、絶対に幸せにする。

ソファに寄り添って座った。ヴィクター様も、見たことがないくらいしい姿勢で座っていた。見慣れないその姿に、しだけ笑ってしまう。

隣のヴィクター様の溫をじながら、ゆっくりと目を閉じる。こんなところで寢るつもりはないけれど、もうしだけ、このゆらりとした幸せに浸っていたかった。

數刻後。皇太子の私室を訪れたとある苦労の男と、元暗殺者の護衛騎士は、らかく幸せそうな微笑みを浮かべ、頬を染めて寄り添う3人の姿を見ることになる。

これにて完結となります。

面白かった!と思っていただけましたら、ブクマ、評価いただけますと勵みになります。

長い間お付き合いいただき、ありがとうございました!!

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