《【書籍化】碧玉の男裝香療師は、ふしぎな癒やしで宮廷醫になりました。(web版)》4-4
それは起こるべくして起こったのか。
それとも――
燕明が、何者かに毒を盛られ倒れた。
◆◆◆
宮祀儀禮がいよいよ始まろうとしていた。
千は居ると言われる宮廷吏が、正殿前に居並ぶ姿は圧巻の一言だった。月英達醫も含め、殆どの吏達が今この場に集っている。
月英は見上げた神々しいまでの景に言葉を飲んだ。
橙瓦《だいだいがわら》の正殿が堂々として鎮座し、そこから広場にびる何十段にもなる階《きざはし》は、その上に登る者の地位の高さを表わしているようだった。階の中央には、皇帝を表わす紋である五指《ごし》の龍が天へ昇るが如く彫られ、その細緻さは居並ぶ百の目を奪う。
これが人の手で造られるものなのか、と自分の矮小さを自覚させる建造が、ただ一人の者を賛する為だけのものだと思えば、微かな恐怖が背筋を駆け上がった。
それは畏怖であり敬慕。
「本當に殿下って……殿下なんだ……」
月英がぼそりとらした聲に、隣の豪亮が片眉をひそめる。
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「漸く分かったかよ。殿下は同じ宮廷に居ようと、俺達にも雲の上のお方なんだよ」
「そうそう。民なんかその姿も知らずに死んでいく人が殆どだよ。私達はまだこうしてお側に仕えることが出來るから幸運さ」
周りの醫達が「だから言葉遣いに気を付けろよ」だとか「いやまずは態度だろ」などとぶつくさ言っていたが、どれも月英には馬耳東風だった。
月英はぐるりと広場を見回した。
文、武、醫、その全てが集まっていた。文が中央に並び、武は後方で武を攜え、醫はその數のなさから、文にじって広場端の一角に陣取っている。おで振り向けば全が目にる。
「あれ、月英ちゃ~ん」
特徴的な呼び方というのは、一発で相手に自分だと分からせるのに便利だと気付いた。この人集りの中で姿を見つけられずとも、誰に呼ばれたかすぐに分かった。
「……劉丹殿ですか」
「そうそう、お隣さんだよ」
見回せば、隣の文達の中でひらひらと手を振っている劉丹がいた。どうやら隣は禮部の集まりだったようだ。劉丹は人の隙間をスルスルと掻い潛り、月英の隣までやって來る。
列をす劉丹に他の禮部の吏達が眉を顰めるが、彼が「ごめん」と手を顔の前で掲げれば、吏達は仕方ないといった様子で、劉丹が空けた場所を詰める。禮部でもやはりその人懐こさは発揮されているのだろう。
「禮部って祭祀に関わってるんじゃなかったんです? こんな所に居て良いんですか」
「準備は全員でするけど、當日やる事があるのは上の方達だけだからね。ほら、僕らの長もあそこに座ってるよ」
劉丹が腕をばし、正殿前の踴り場を指さす。緩めの袖が月英の視界で揺れる。
「ん……?」
月英は首を捻った。
「ほらあそこ。白黒頭のお爺さん。あれが孫二尚書《そんじしょうしょ》だよ」
長い階段の上に広がる踴り場に、幾人もの朝廷吏が居並んでる。何人か太醫院で見たことのある顔も混じっていた。劉丹が示したのはその中の小柄な老人だった。
「え、あ……あぁ、あの人が禮部尚書なんですね」
月英は気もそぞろといった様子で、こくこくと淺く頷いた。
「……あの、劉丹殿」と言い掛けた時、場の空気がピリッと引き締まった。燕明の登場である。一瞬で皆が口を噤み、視線は正殿中央に釘付けになった。
先日の裝合わせの時と同じ格好をした燕明が進み出る。その前には臺座があり平たい銀盆が置かれていた。月英の位置からは見えないが、豪亮からの報では、あの中には清水という霊験あらたかな水が張られているらしい。そして今から始まる儀式は水鏡という儀式だと。隨分と灑落た名の儀式だ。
『天の子我ら萬華の民は――』
燕明の儀式の奏上が始まった。玲瓏《れいろう》としたよく通る聲で、月英には皆が黙して聞き惚れているように見えた。
そうして奏上を終えた燕明は銀盆に手をれた。
――えっと確か、このあと殿下があの水を撒くんだったかな。
月英が豪亮に教えられた儀式の流れを思い返している中、その騒ぎは突然に起こった。
「燕明様っ!!」
第一聲は、藩季の聞いた事のないような切迫した聲だった。
「殿下っ!?」
「いかがなされた!?」
続いて朝廷吏達が口々に「殿下!」と聲を上げてた。
階下に居る月英の位置からは、何が起きたのか、起こっているのか分からない。
月英が捉えていたのは、燕明がきと共に地面に倒れ込んだ景のみ。けたたましい音を立て銀盆が臺座から落ち、階段を転がり落ちると月英達の目の前でくるくると回転して沈黙した。
広場に集まっていた吏達は何が起こったのか、ただ自分達の主が突如倒れたことしか分からず唖然としていた。
クワンクワンとした金屬の特有の余韻が消えたあとも、誰一人口を開ける者は居なかった。
「誰ぞ殿下を太醫院へ!」
「しっかりしてください、殿下!」
「急げっ!!」
階上だけが騒がしいのを、階下の者達はどこか別世界での出來事のように呆然と眺めていた。
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