太醫院の奧にある薬草園で、必要な植を両手いっぱいになるほど毟り、醫薬房の隣に建てられた真新しい香療房へと運び込む。

こぢんまりとしているが、『香療』に必要とする竈や棚、隣に施室もあつらえられており、文句なしの職場環境だ。

檜の板で作られた作業機に、大鍋が置かれた一口竈。その橫には機と同じ素材の作業臺が。棚は以前、同僚である豪亮達醫が作ってくれた、お手製の扉付き薬棚だ。扉の一つ一つに油の名前が記してあり、誰でも使いやすい仕様になっている。

「今日も～薄荷は～だ～い人気で～」

良く分からない自作の鼻歌を歌いながら、月英は摘んできたばかりの薄荷を鍋の中に投した。火がった竈の上にその鍋を置き、蒸す。暫くすると鍋の蓋からびた管を通って、隣の作業臺に用意した玻璃瓶の中に滴がポタリと落ちる。

ポタリ、ポタリ、と落ちる滴を、月英は作業臺に顎を置き、顔を橫にして眺めていた。

ゆっくりと溜まっていく滴を、「遅い」と言わんばかりに月英はを尖らせる。

以前までならこの時間は、何だかんだと手伝いに來てくれる醫達と他のない會話を楽しむ時間だった。しかし香療房へと移になってからは、この時間は暇を持て余す時間となっていた。

「香療師……かぁ」

それは燕明が、異國融和策を掲げた政策の第一歩として新設した役職。

異國のである香療を扱う『香療師』という役職を設けることで、萬華國の醫を司ってきた醫と區別し、異國のものをけれるという事を明確にする狙いがある――とか何とか燕明が言っていた気がする。

「今のとこ一人ぼっちだけどね」

とは言えど、特に寂しいということはなかった。なぜなら――

「おい月英、いるか？」

突然、開け放しにしていた房のり口からヒョコッと見知った顔が覗いた。こうしてよくよく、醫の誰かが香療房を覗きに來るからだ。

「ん？　いるよー。どうしたの、豪亮」

月英が間延びした聲で、顔を覗かせた男――豪亮に用件を問えば、彼は醫のくせして無駄にガタイの良いを揺らしながらのしのしとってくる。

「さっき、お前が房にいなかった時に患者が來ててな」

「え、じゃあ診に行くよ」

慌てて竈の火を落とし、醫薬房の方へと向かおうとする月英。しかし、豪亮がその歩みに待ったをかけた。

「いや、忙しいらしくて、もう外朝に戻ったんだよ。だから手が空いたら、その吏の方を訪ねてくれねえかって言いに來たんだ。刑部の翔信(しょうしん)って奴」

「分かった、外朝の刑部に行けば良いんだね。癥狀は何て？」

「腰が痛いんだとよ。まあ多分、布だな」

豪亮は肩をすくめ苦笑した。

月英にも、その苦笑の意味が良く分かる。

座り仕事が多い吏達は、いつも肩だの腰だの腳だのが痛いと嘆きながら太醫院へとやって來る。

今までなら醫が、飲み薬や按で治療をしていたのだが、布という方法があると知った途端、そのお手軽さと爽快さから皆布を求めるようになった。おかげで今まは我慢して我慢して我慢出來なくなった末に、重癥患者として來ていた者が、ちょっと痛いから、という軽癥でもよく太醫院を訪れるようになっていた。

腰、肩、腳が痛いとくれば、ほぼ間違いなく布を求めてだ。

「ったく、俺ら醫の立つ瀬がないぜ」

「へへ、豪亮も疲れたらいつでもやってあげるよ」

月英は薬棚から必要な油を選び取り、布や水桶など必要な道を次々と竹籠の中へとれていく。

「でもやっぱり、最後は醫薬房(そっち)に頼ることになるんだよね。香療だって萬能じゃないし、軽癥だって思い込んで來る重癥患者も多いしさ」

恐らく、慢的すぎて痛みに慣れてしまっているのだろう。吏達の激務が推し量られる。

「ま、醫薬房と香療房二つ合わせて太醫院だかんな」

豪亮は自分で言って照れくさいのか、鼻の下を人差し指でこすりながら、顔をそっぽ向けていた。

「また今度、醫を教えてよ」

「俺にも油について教えろよな」

月英が目を細め歯を見せて笑えば、豪亮も目をらかくして「おう」と月英の頭をでた。

月英の顔の半分を隠していた重い前髪は、今はもうなかった。

「よし、準備萬端！」と竹籠を攜えた月英だったが、香療房から一歩踏み出したところで足が止まる。

「……ねえ……刑部ってどこにあったけ」

豪亮が額を押さえて、「醫の前に覚えることは、まだ沢山あるな」と溜め息をついていた。