オフィーリアがアドニスと初対面を果たしていた時、バーンホフ侯爵夫人は屋敷の自室で一人たそがれていた。

まさにこの親にしてこの子あり。

「頭痛がする」と言っては自室にこもり一人鬱々と過ごす……それが夫人の日常であった。

アドニスの母であるニコラ・バーンホフは王族のを引く貌の侯爵夫人だ。

父親が前國王の弟であり、現在の國王は従兄弟で気心の知れた馴染だ。

子供の頃のニコラはおしゃれとしいものが大好きな夢みがちなであった。

箱り娘の彼の夢は大をすること。

將來は絶対に結婚をしたいと強く願っていた。

だから新興貴族であるバーンホフ伯爵と結婚した。

自分を心から想ってくれていると聞いたからだ。

しかし結婚のはずの夫はいつまでも下僕のように低姿勢でよそよそしい。

彼は失した。夫が好きなのは自分ではなく自分の家柄なのかもしれないと。

……実の所、全くそんなことはなく、バーンホフ侯爵は妻にぞっこんだったのだが、悲しいことにすれ違ったままの夫婦なのであった。

結婚後、バーンホフ伯爵はする妻のため順調に出世を続け、やがて侯爵となる。

しかし殘念なことに彼は口下手であった。

彼の熱い想いはニコラにはちっとも伝わっていなかったのである。

張り合いを失った夫人はだんだん外出しなくなった。

一人で部屋に篭もりがちになった。

そんな妻を見て、侯爵は彼を幸せにするには自分の分が足りないのだと勘違いし、ますます仕事に沒頭する。

（なんてつまらない人生なのかしら）

彼は窓の外の景を眺めながらため息をついた。

コンコン！

「奧様、オフィーリア・リシュトバーン様がお見えになりました」

「……どうぞ。おりなさい」

（24番目の息子の婚約者ね。今度こそは上手くいくと良いのだけど）

侍に案されておずおずとってきたを見て、夫人は目を見張った。

目の前のは想像を遙かに超えるみすぼらしさだったのだ。

（この子はなぜ破れたドレスを著て、頭に葉っぱをつけているのかしら）

先刻犬に食いちぎられたドレスは見るも無慘な狀態だった。

もっとも、オフィーリアのドレスはもとより末で古臭いデザインのものであった。

犬に食いちぎられていなかったとしても大差なかったかもしれない。

若い頃は王都でもファッショニスタとして名を馳せたニコラ夫人である。

オフィーリアのひどい有様が信じられなかった。

（若いの子がこんなひどい格好をしているなんて……！）

「初めてお目にかかります。オフィーリア・リシュトバーンでございます」

「ニコラ・バーンホフよ。遠いところからよく來てくれましたね。ところでそのドレスの裾はどうしたの？」

オフィーリアは先程犬に追いかけられ木に登って難を逃れたことを説明した。

（木に登ったですって）夫人は絶句した。（ドレスで!?）

まるで農民の男の子のようなオフィーリアの振る舞いに、育ちの良いニコラはうっすらと不快を覚えた。

侯爵家の嫁としては到底相応しいとは思えない行いだ。

苛立った夫人はついキツい口調になってしまう。

「でもオフィーリア。ドレスが破れたのは仕方がないとしても。元のリボンが縦結びになっていてよ。だらしないわ。あなたのお母様はきちんとなりを整える大切さを教えてくださらなかったのかしら？」

「あっ……申し訳ありません。え…と、母は私がい頃亡くなりまして。ご、ごめんなさい！　私が不用でだらしないだけです」

と言いながら、元のリボンを結び直そうとしたが、再び縦結びになる。

その表は叱られた犬のようにしょんぼりしてしまった。

ニコラ夫人はハッとした。

（しまった！　亡くなった方のことを……私ひどいことを言ってしまったわ）

罪悪を誤魔化すかのように、夫人は侍に自分の裝部屋からもう著なくなったカジュアルなドレスを持ってこさせた。

「スキリオスがドレスをダメしてしてしまったお詫びよ。お古で申し訳ないけれどこれを代わりに著なさい」

「えっ！　こ、こんな豪華なドレスとても頂けません。私のドレスなら後でって直しますのでご心配には及びません」

こんなドレスをってまだ著る気だったことに夫人は驚いた。

「い、いいのよ。もう著ないドレスだから遠慮なくけ取ってちょうだい」

「ありがとうございます。こんな素敵なドレス初めて見ました。夢みたいです！」

キラキラした瞳でお禮を言うオフィーリアが不憫に思え、夫人はちょっぴりが痛んだ。

侯爵夫人に挨拶を終えた後、オフィーリアは自分の部屋に案された。

そしてそのあまりの素晴らしさに腰を抜かしそうになった。

彼に與えられたのは広い広い一室で、天蓋つきのベッドスペース、長椅子とコーヒーテーブルのラウンジスペース、書きをするデスクスペースにゾーニングされており、奧は裳部屋と専用バスルームへと続いていた。

オフィーリアは自分が想像していた侯爵家の暮らしがとんでもなく見當違いであったことに気づき始めた。

（明日から私は何をすればいいのかしら。どうしよう、わからなさすぎる）

なくとも井戸の水汲みでないことは確かだ。

今日は疲れただろうから部屋でゆっくり休むようにとの侯爵夫人の計らいにより、

一人分の食事が運び込まれる。

ミアとデミィというメイドがテキパキと荷を運びこむ。

二人はオフィーリアのなりの貧しさと、荷のなさに驚いた。

アドニスは屋敷の使用人たちには不人気であった。

あんなに形なのにもかかわらず、だ。

格の悪さが容姿の素晴らしさを臺無しにしていた。

いつも眉間に皺を寄せ、話しかけても無視、たまに口を開けば文句ばかりであったからだ。

母のニコラ夫人にしても似たようなものだった。

それでも離職者がないのは給金が抜群に良かったからに他ならない。

だから二人のメイドはオフィーリアには同的だった。

（きっと実家の経済的事により、無理矢理結ばされた縁談だったに違いない）

この可哀想な田舎令嬢がここでしでも心地良く過ごせるよう、一杯お世話しようと心に誓った。

「何かご用があればお申し付け下さい」

ミアがオフィーリアに聲をかけた。

「ありがとう。あの早速だけど一つ聞いていいかしら」

「はい。何でございましょう」

「……私はその……24番目の婚約者だと伺ったのだけど、それ以前の23名の方々は……い、今はどうされているのかしら」

オフィーリアは探りをれてみた。

最優先事項である。

そしてもし23人が行方不明か死んでいるなら今夜にでも逃げ出すつもりだった。

「さあ……詳しくは存じませんが、ほとんどの方が別の方と婚約されて、幸せに過ごしていらっしゃると聞きます」

「そうそう！　なんでもアドニス様と破談になったご令嬢は全員容姿や家柄以外でお相手を選ぶようになるんだそうですよ」

「えっ！　皆さんお元気なのですか」

どうやら死人怪我人はいないらしい。

オフィーリアはホッとをで下ろした。

「それにしてもアドニス様はよほど好みがうるさい方なのですね。23人もチャレンジしたのにお眼鏡にかなう令嬢がいないなんて……」

「いえ、逆です」

「はい？」

「アドニス様からではなくて令嬢がたのほうから婚約破棄されたのです」

「ええっ！」

そう、アドニス本人は異の好みというものが特になかった。

そもそも興味がなくてまともに相手を見たことすらなかった。

オフィーリアは驚いた。

あの容姿でこの家柄……それなのに婚約破棄とは。

一なぜ？　やはり暴力を……？

アドニスが暴力を振るった事はなかった。

怒りをじること自が稀だった。

ーーモラハラを暴力と捉えれば別だが。

アドニスは婚約者に対してひたすら冷淡で無関心だった。

令嬢達は何をしても相手の瞳に自分が映ることはない、の通っていない人形相手に一人で話しかけるような居心地の悪さに耐えきれなくなっただけだった。

そんなことは知らないオフィーリアは

婚約者はもしかしたらDVサイコパスかもしれない。

暴力を振るわれる前に逃げ出すべきだろうか……

と、し迷ったが、出された食事を一口食べた途端

（暴力を振るわれた(・)ら(・)出ていこう）

に考えが変わった。

（んんん〜!! 何これ味しすぎる）

オフィーリアは侯爵家の食事の素晴らしさにした。

そしてデザートまで綺麗に完食したのだった。

ここにいる間に、なるべくたくさん『食いだめ』しよう。

とりあえず、明日からやるべきことが一つは決まったオフィーリアであった。