《【書籍化決定】婚約破棄23回の冷貴公子は田舎のポンコツ令嬢にふりまわされる》5. ネクロフィリア
バーンホフ家の夕食はいつもお通夜のようであった。
しかしその日はいつもと様子が違った。
「オフィーリア! スープをこぼしていますよ」
「カトラリーをそんなにガチャガチャ言わせるのではありません!」
(あれ?)と皆思った。
夫人の様子が今朝と明らかに違うのである。
ニコラ夫人はガミガミ言いつつも、なんだか楽しそうだ。
心なしか眼差しが優しい。
そして食も進んでいる様子。珍しい。
(今日一日で一何があった!?)
「ニコラ、君も外出したら運になって食が出たようだね。安心したよ」
妻家である侯爵は妻の元気な様子を見て喜んだ。
「もうオフィーリアには振り回されっぱなしでしたわ!」
とプンプンしながらも夫人は朝とは別人のように生き生きしていた。
「あっ!」オフィーリアがニンジンを飛ばした。
「きゃ! オフィーリア! もう、あなたという子は……落ち著いてゆっくりフォークを使わないから、晝間もイチゴを落とし……ブフっ!」
夫人はそこまで言うと吹き出した。
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そしてさも可笑しそうにクスクス笑い始めた。
イチゴを落として落膽していたオフィーリアの様子を思い出したのだ。
アドニスは心底驚いた。
母が聲をあげて笑うのをこれまで聞いた事がなかったからだ。
バーンホフ侯爵に至っては極まって目頭を押さえている。
妻はいつも不機嫌で気だるそうにしていたから。
「あ、そうだ。侯爵様、今日はたくさんのドレスを買っていただき、本當にありがとうございます」オフィーリアは思い出したようにお禮を述べた。
「構わない。好きなだけ買うといい。今著ているドレスも今日買ったものかな? 似合っているね」
「私が見立てましたの!」夫人が得意げに言う。
「はい、こんな素敵なドレスを著られるなんて……本當に貴族になったみたいです」
……貴族なのだが。
オフィーリアがおもむろに立ち上がり、ドレスを見せびらかすようにくるっと回ってみせる。
……と、後ろにあった花臺にぶつかり、花瓶が落ちて激しく割れた。
「きゃあ!」
「大丈夫か!?」
「オフィーリア様!」
「あなたという子はどうしてそんなに落ち著きがないのですか!」
ニコラ夫人は慌てて立ち上がるとオフィーリアのところに行ってその手を取った。
割れた花瓶になど見向きもせずに。
「怪我はありませんか、オフィーリア」
オフィーリアを心配するその聲は優しかった。
(たった1日で母を手なづけるとは大したものだ)
アドニスは珍しいものを見るようにその様子を眺めていた。
「アドニス様」
食事が終わって部屋に戻ろうとした時、オフィーリアに後ろから呼び止められた。
「何か?」
「あの……実は街に出たついでにアドニス様にもお土産を買ってきたんです」
「フン」
良くあるパターンだ。
アドニスの気を引こうと贈りをする令嬢はこれまでたくさんいた。
贈りは大抵2パターン。
ものすごく貴重で高価なものか、心がこもっている手作り系。
どちらもその裏にある「気持ちの押し付け」が不快だった。
「贈りなどをしても意味はないぞ。私は君の名前さえも覚えられないだろうから」
「私の名前を覚えられないのですか?」
「ああ。覚える気がこれっぽちもないからな」
どうせこいつも「いつか名前を覚えていただけるまで頑張ります」とかなんとか言うのだろう。
しおらしいことを言いながらも食獣のように追ってくる貴族令嬢たちが大嫌いだ。けばけばしく著飾ってわざとらしいシナを作ってを寄せてくる令嬢達。本當に鬱陶しい。令嬢達も嫌いだが、貴族社會そのものも嫌いだ。何もかも嫌いだ。
……と、アドニスがいつものようにネガティブなことばかり考えていると
オフィーリアがぽつりと言った。
「ネクロフィーリア」
突然インパクトのある単語が飛び出す。
「は?」
「ネクロフィーリアとは死好家のことですの」
「い、いやそれは知っているが、なんの真似だ」
「オフィーリア、ネクロフィーリア……響きが似ていますでしょ。関連づけて暗記すると覚えやすいかと」
「…………」
「ふふ。アドニス様がネクロフィーリアでなくて本當に安心したんですよ、私」
「……??」
「はい。これお土産です。ではおやすみなさいませ」
衝撃のあまり言葉を失って突っ立っているアドニスを殘し、オフィーリアは自室へと消えていった。
一瞬だが完全にオフィーリアのペースにハマっていた。
(ふ…俺としたことが。やれやれ……)
アドニスはのろのろと渡された包みを開いた。
「ぎゃっ!」
ものすごく趣味の悪いブサイクな犬の置が出てきた。
一どういうセンスをしているのか。
何を狙ってこれを選んだというのか。
……お、驚いた。
衝撃で心臓がバクバクしている。
本當に変な令嬢だ。
「オフィーリア、ネクロフィーリア……」
ーー不覚にも、婚約24回目にして初めて相手の名前を覚えてしまったアドニスであった。
料理長はその夜、廚房で翌日の仕込みに大忙しだった。
料理長はバーンホフ侯爵が王宮の廚房からスカウトしてきた料理人だ。
ニコラ夫人のために、侯爵が破格の待遇で引き抜いてきたのだった。
彼は自分の料理に誇りを持っていた。
決して妥協を許さず、研究を怠らず、常に最高の料理を作るべく努力してきた。
ところがこの屋敷の人たちときたら!
ちゃんと味わって食べてくれないのだ。
何を作っても無表、無反応。それが料理長には悲しかった。
そんな中、田舎から痩せた令嬢がやってきた。
痩せてるくせによく食べる令嬢だ。
彼は料理を味しい味しいと完食してくれた。
素直に嬉しい。
(そうああいう反応! あれがしかったんだよ〜)
涙もろい料理長は布巾で目頭を押さえた。
さらに、先程はこれまでろくに口も利いてくれなかった侯爵夫人に呼ばれた。
明日のおやつに苺をたっぷり使ったスイーツを用意してしいと。
初めてのリクエストに腕が鳴る。
「それで、上に飾るイチゴは必ず予備を用意してちょうだい」
「……予備ですか?」
「ええ。あの娘が落とした時のための予備よ」
夫人は大真面目に言った。
「イチゴを落とした時のあの娘ったらそれは気落ちして可哀想なのよ。ふふ」
「…………?」
なんだかよくわからないが、
「しかと承りました、奧様」
が好みそうなイチゴを使った可らしいデザートを頭の中で考える。
(切った時に、中にもサプライズが仕掛けてあると面白いかも?)
オフィーリアがデザートに瞳を輝かせる様子を想像しながら、料理長はワクワクした気持ちで仕込みをしたのだった。
就寢の準備をしてベッドにったニコラ夫人は、今日一日にあった出來事を思い出して一人クスクス笑っていた。
楽しい一日だった。
聲を出して笑ったのなんて何年ぶりだろう。
たった一日で、夫人はオフィーリアのことが大好きになっていた。
思えば一人息子のアドニスはい頃から手のかからない子供だった。
夫人は溢れんばかりの母をぶつける相手がずっといなかったのである。
しかし突如としてその対象が降って湧いた。
それもとびきり手のかかる子が。
おまけにい頃母親を亡くしているときた。
(私が母親代わりになって、あの子を一人前の淑に育て上げて見せるわ!)
テーブルマナーに、ドレスの著こなしに、あらゆる社……
やることは山積みだが、あの子は磨きがいがある原石だ。
自分がやらずして誰がやる!と夫人は思った。
実の娘だったらいずれは嫁いで遠くに行ってしまう。
でもオフィーリアはこれからこのうちでずーっと一緒にいられるのだ。
(そしてまた二人でケーキを半分こしちゃったりするの……ウフフ)
ああもう可いったらありゃしない!
夫人は嬉しくって、思わずベッドの中で足をバタバタしてしまった。
(私の人生、なんて最高なのかしら。明日が待ち遠しいわ)
今後のプランをあれこれ思い描きながらニコラ夫人は満ち足りた気持ちで眠りについた。
そしてこの日を境に、夫人が偏頭痛と不眠癥に悩まされることは2度となかった。
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