一歩森へ踏み込むとぞくりとするような濃い瘴気に襲われた。再び戦場に戻ってきた気がして一瞬怯む。

しかし、後ろには、まだ見送るレオンがいるだろう。リアはレオンの視線から逃れるように足早になる。

すると追放されるのは自分なのに、なぜか彼をおいてきてしまったような不思議な覚にとらわれた。

しばらく黙々と歩いていると、奇妙なことに気付いた。森は奧へ進めば進むほど瘴気が薄くなっていく。それどころか西の方から、瘴気を洗い流すような清涼な気が漂ってくる。

（これはいったい？）

リアはいつの間にか駆け足になっていた。森には魔が住む気配はあるものの。濃い瘴気は奧へればるほど晴れてくる。西へ向かうほど、が軽くなっていく。

脅威となるものが消えた途端、死地へ赴くようにこわばっていた肩から力がすっと抜けた。

森の奧から流れ込んでくる新緑の爽やかな香りを吸い込む。

すると腹の底から、強い衝が湧いてきた。

「ふふふ。アハハハ！」

リアは唐突に笑い転げた。なぜだか笑いの発作が止まらない。ひとしきり笑うと今度は駆けだした。まるで風に乗ったように速く走ることが出來る。周りには彼の奇行を咎める者はいない。

（いの森は瘴気の森？　一誰が言いだしたの？）

ほどなくして、この森の構造に気付いた。西から清らな気が流れこみ、瘴気は東にあるアリエデ王國の結界付近に淀んでいるのだ。

「やったーー！！　私は自由よ」

結界を越え一歩森の中へったとき濃く淀んでいた瘴気は、森の奧へり西へ向かうほど薄くなる。

たしかに魔の気配もあるし、ところどころ濃い瘴気も殘っているが、リアの脅威にはなりえなかった。これは森の中にってみた者でなければ分からないのだと思うとまた笑いがこみあげそうになる。

（護國聖となったお姉さまも、カレンもきづかない。誰も知らないいの森の。皆この森が瘴気に満ち満ちていて一度れば待つのは死だと思っている）

戦場では食料が足りず狩りをすることもあった。最初の一年は資が足りず自給自足の生活を余儀なくされたのだ。

リアは傭兵たちについて狩りをならい。食べられる木の実やキノコを覚えた。自給自足の生活ならばお手のものだ。

その上結界もはれるから、夜休むときは危険な魔や盜賊も遠ざけられる。いいことずくめだ。

鼻歌を歌いスキップをした。追放から一転、こんな解放を味わえるとは思ってもみなかった。國はリアの死をんで、このいの森へ追放したのに……。

（お様で、私は自由です）

確かに仲間と信じて戦った皆に裏切られたのはショックだった。地下牢では食事ものどを通らずふさぎ込んだ。

いままでずっと王太子妃となって國をささえる努力をしようと思っていたし、ニコライに淡い心をいだいていた。それを思うといまだにがチクリと痛むが、もうあの國には二度と帰れない。帰らない。

（勝手に皆で幸せに暮らせばいい。私は私でこの森で自由で幸せな暮らしをする）

リアは早速食料の調達を始めた。この森は素晴らしい。誰にも荒らされていない自然の寶庫だ。魔が出沒することをのぞいてはだが。

アリエデ王國では高価で貴重なキノコが手つかずの狀態で群生し、木の実が富になっている。いろいろ探してみれば、デザートのフルーツまで手にるかもしれない。

リアは火をおこし、野営の準備を始めた。ただ一つテントがないので雨が降ると困ることに気付いた。雨をしのげるテントがほしいところだ。

いの森は一度ると抜けられないと聞いたが、今となってはこの話が本當かどうかも疑わしい。何せここにはアリエデ王國の者は數百年もの長きにわたり立ちっていないのだから。

森から出られようが出られまいが構わない。小屋でも建てて永住しようか。などとリアは真剣に考え始めた。

し気持ちに余裕の出てきたリアは、今度はレオンが心配になってきた。罪人に餞別など渡して大丈夫だろうか？　彼にこの森が安全だと知らせられたら、いいのに。

追放されたリアは二度と故郷の地を踏むことは許されないから、彼の行く末を見守ることは出來ない。

リアが思いにふけっていると近くの茂みでカサリとが音がした。

何かいるのだろうか？　獣？

「う、ううっ……」

苦しそうなうめき聲が聞こえてきた。

ひょっこりと茂みを覗き込むとだらけの男がうつぶせに倒れていた。

リアは慌てて、茂みを越え、そばに走り寄る。彼のには魔にやられたと思われる傷が無數にあり、背中のを一部抉られていた。

出がひどく、意識がもうろうとしている。このまま出が続ければ、間違いなく彼は死ぬ。すぐにヒールをかけた。

しばらくすると男の呼吸が規則正しいものに変わる。どうやら一命はとりとめたようだ。

「合はいかがですか？」

男に聲をかけるも時々低くうめき聲は上げるだけで、まだはっきりと意識は戻らない。傷は塞いだもののが足りないのだろう。

それに彼にはあまりヒールが効いていないようにじる。こんなことは初めてでリアは不安になってきた。

（私は罪人となって、霊の加護を失ったのだろうか。多くの人を恨んで心が濁ってしまったの？　だから、傷ついた人をきちんと癒せない……）

フリューゲルの心ない言葉を思い出し、リアは悲しくなった。信心が足りないから、この人を完璧に治癒できないのだろうか。

男ので汚れた顔を丁寧に拭うと、白いとすっと鼻梁の通った端整な面立ちが現れた。男が微かにぎをする。

「……ありがとう、隨分気分がいい。……早くここを離れろ」

苦しそうな聲、長いまつげの間から、焦點が定まらないサファイヤのような青い瞳がのぞく。

「え？」

「魔の群れがいる……。逃げろ……」

自分はけないのに、相手のを先に案じる彼の言葉に、リアは驚いて目を見はった。傭兵には時々こういうタイプの人がいたが、自國の兵士や騎士にはいなかった。しかし、なりから彼が傭兵とは思えない。

ここは國境で隣國との緩衝地帯、彼は二つ接する隣國のどちらかの人だろう。言語が同じなので分からない。

「おい、娘、何をぼうっとしている。逃げないか！」

苦しそうにそれでも聲を振り絞り、リアに危険が迫っていることを警告する。そんなことに力を使わなくていいのにとリアは切なく思う。