しかし、聖がいなければ、話にならないのでカレンを王都に帰すわけにもいなかない。

「ならば、広範囲に治癒魔法(ヒール)をかけろ。それだけで、兵の疲れもとれ、彼らのきも変わる」

「ふふふ、あはははは。あなたは分かってない。何もわかっていない！」

カレンが突然哄笑し始めた。とうとう狂ったのか？　彼の態度にかっとなるより、その異常さに肝が冷えた。この濃霧のように濃い瘴気にやられたのか？

「カレン、落ち著け。何もかもお前が背負うことはない。皆の疲れをとるだけでいい。補助的なことだ。簡単だろう」

「聖のことなど何も知らずに、勝手なことばかり！」

カレンが奧歯をぎりぎりと噛みしめ悔しそうにく。

彼はもうこの戦場では役に立たない。別の聖と代してもらうしかない。新たな聖の補充が必要だ。そこまで思考をすすめたときカレンがいきなり激昂しはじめた。

「馬鹿のひとつ覚えみたいに、兵士もあなたも瘴気を払え、疲れを取れとそればかり、いったい聖を何だと思っているの？

聖の仕事はね。一対一で病を癒したり、傷を治したりするものなのよ。広範囲にヒールをかけるなんて、出來るわけがないじゃない！　そんな方法習わないのよ。出來たらとっくにやっているわ！　こんな濃い瘴気を払えですって？　だったら、いますぐここに護國聖を連れて來なさいよ！」

カレンが怒りの形相でぶ。今の彼には気品やしさの欠片もない。

しかし、それよりもジュスタンはカレンの語る容に衝撃をけていた。

「瘴気が払えない、広範囲にヒールをかけられない。ならば、お前は、お前たち聖はいったい何なのだ？」

それならば魔導士よりも回復系の魔法がし優れているだけになる。彼たちの存在意義がわからない。

「あなたたち兵隊は聖のことを本當に何も知らない。広範囲にヒールをかけたり、広い土地を浄化したりするなんて、リアにしか出來ないのよ。あんな異常な力が聖のものであるはずないじゃない。人の領分を遙かに超えてる。だから、神長はリアの力を恐れた。それなのに、なんでこの國の男達はよってたかってリアを追い出したのよ！　牢にでも繋いでおけばよかったじゃない！」

そうぶ、カレンの瞳は狂気にみちていた。

「何を言う。お前が聖追放に加擔したのだろう！」

しかし、ジュスタンの聲はカレンに屆かない。鬼気とした表でジュスタンを睨み上げる。

戦場に行く前カレンは怯えていたが、まだ正常であった。もう以前の彼は戻ってこない。すっかりおかしくなってしまった。これも濃い瘴気の作用だろうか？　だとすると長くさらされているのは非常に危険だ。

ジュスタンは、カレンをすぐさま兵に拘束させた。とても彼らの前には出せない。聖があのような言をすれば、戦場の士気はさがる一方だ。

カレンを娶ろうなどと一度でも思った自分が恥ずかしい。

聖などいなくともどうにかなる。ジュスタンは強く、聖騎士団を率い數多(あまた)の魔を屠ってきた。

黒の森から流れる瘴気は濃いが、魔はそれほど多くない。十分にこの森を鎮められると思っていた。

しかし、その後、すぐに思いもよらないことが起こる。傭兵達がごっそりと逃げ出したのだ。

そのうち逃げ遅れた數人を捕らえ理由を聞く。

「癒しの聖様が、リア様がいない場所で、魔と戦えるわけがない！　手足がもげたらだれが治療する？なんなんだ、あの気位ばかり高く役に立たない小娘どもは。ヒールもろくにかけられない上に瘴気すら払えない。俺たちは死にに來たんじゃない！　戦って金を貰うために來たんだ」

それが彼らの主張だ。

傭兵達の間では、リアは神のように稱えられていた。素晴らしい聖様と。そしてその噂は他國の傭兵達の間に広がっているという。だから、彼らは再びこの地に集まった。ところがリアはいない。

戦場で黙々と己の職務をこなしたリアを思い出す。

彼は次々に湧きでる瘴気をものともせずに払っていった。まるで呼吸するかのように容易く。

常に彼の周りの空気は浄化されていた。すこし、言葉をわすだけで、疲れが取れる。だから、ジュスタンは彼とよく行を共にしていた。カレンよりもよほど親しくしていたのだ。

リアは、誰に対しても平等で、常に助けを必要とする者のそばにいた。そのため自然と前線に送られる傭兵達を癒すことになる。

その反面、軽癥者しかいない騎士や兵士の傷を一人一人癒すことはなかったが、かわりに全に回復魔法をかけ、彼らの疲れをとり士気を高めた。

魔があらかた鎮まったころ、聖を現化したようなしいカレンがやってきて騎士や兵士一人一人の傷を優しくいやした。

そのせいで元々あったリアへの反がますます強くなる。

元々あった反……そもそも、なぜリアは騎士や兵士たちに疎まれたのか。答えは簡単なことで、彼が勇敢で強かったからだ。

切り込み役の傭兵が倒れると彼はそれをそばで癒し、自らの錫杖で魔を打ち據えた。

それは剣士のふるう剣よりも早く重い一撃。最初、その強さを見たときジュスタンは戦慄した。

瞬時に急所を見破る眼力、戦闘センス、並みの兵士はもちろんの事、騎士ですら武力で彼にかなわぬ者達がいる。その事実が、兵士たちのプライドを打ちのめし、聖騎士たちに強い反を抱かせた。

それならば、まだ、聖騎士達とれ替わるように戦場を去った神レオンが、魔法戦士のように強かったという傭兵や兵士たちの噂の方が耐えられる。

聖騎士は本來、聖を守る目的で組織されたもの。それぞれが神聖魔法を剣に付與し、魔と戦う。ところがどうだ。才能を有した者達が、厳しい選抜を潛り抜け、訓練をけてきたのにもかかわらず、あの薄汚れた聖に劣るかもしれないのだ。彼の強さを前に、プライドは打ち砕かれた。

リアが王太子から、婚約破棄されているのを聖騎士達は知っていた。これから先仕える必要のない小娘。そんなものに手柄をたてられるのも鬱陶しい、何より聖騎士の沽券にかかわる。そんな鬱屈した空気が次第にひろまっていった。

幸いリアは謙虛で、自分ばかりが前に出ることもしない。利用するにはちょうど良かった。ジュスタンは存分に彼を活用した。もちろん自分の影として。幸いリアは素直なたちで、人を立てることを知っている。それによく働く。妻にするならば、理想的なタイプだろう。かなり薄汚れているが、よく見れば顔立ちは整っていて、所作にも品がある。

だが、リアは王都に帰っても未來がない。それに何よりもジュスタンは武勲がしかった。他國から戦を仕掛けられることのないこの國ではどうしても戦果をあげにくい。爵位を手にれたかったのだ。

結局、ジュスタンは戦場に後から來たカレンの手をとり王都に戻ることにした。聖のイメージそのもののしい娘。己の凱旋の時、隣にいるのにふさわしい。そのうえ、彼は騎士や兵士にすこぶる人気があった。

別にに落ちたわけではない。それはカレンも同じで、価値観も似ていて、お互いちょうど良い相手だった。

あの時はそう思ってしまった。

しかし、カレンの本を見た今は、冗談ではないと思ってしまう。これほど無能で無様で勝手なとは思ってもみなかった。

前回の戦いで、自分がリアに好意的にけれられていたことは知っている。

彼はいたくジュスタンに信頼を寄せていた。背中を預け合ったと言ってもいい。この戦場には彼の力が必要だ。リアと自分がそろえばすぐにも戦いは終息する。

ジュスタンは半月ほどで、戦場を後にした。リアを連れ戻さなければならない。彼の力は人智を超えている。西のいの森に追放された聖はきっと生きているはずだ。

（國王陛下に進言せねば）

もちろん、カレンは戦場に置き去りにした。

役に立たないとはわかっていても連れ帰るのすら面倒だ。

ジュスタンは聖騎士団を副団長にまかせ、単騎で王都に向かった。リアを連れ帰り、この戦いで彼の立場を修復し、己の妻とするのもよいかもしれない。

國王はそうとも知らず、まがいの聖を娶ることになる。

口の端に、笑みがこぼれた。

赤の丈夫ジュスタンは一路王都へ向かう。