《沒落令嬢、貧乏騎士のメイドになります》第八話 悪、アニエス・レーヴェルジュ
嵐から一夜明け、朝になれば外は快晴だった。昨日の荒れた天気が噓のようだと、ベルナールは思う。
昨晩、一番の被害をけた屋裏部屋は気で使えない。床の板も剝して取り替えなければならない狀態になっている可能もある。修繕にかかる費用など、考えたくもなかった。
エリックが淡々と語る報告を、自棄になりながら聞き流す。
アニエスは一時的に客間を使うようになった。
ベルナールはちょうどいいと思った。彼の処遇を決める間は、丁重な扱いをすることに決める。
「それで、アニエス・レーヴェルジュですが」
「ああ」
「どうやら風邪を引いているようで」
「はあ?」
「昨晩、全雨に濡れていましたから」
「……」
雨に濡れただけで風邪を引くなんて、ベルナールには信じられない話であった。
現在、セリアとキャロルが看病していると言う。
「どういたしましょう」
「どうって、醫者を呼べば――」
そこまで言ってハッとなる。
この屋敷の者以外にアニエスの姿を見られるのはよくないことだと。
だがしかし、病人は放置出來ない。
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「醫者を、お呼びすればいいのですね?」
「あ、ああ。だが――」
金を握らせてきつく口止めしておくように命じる。
エリックはお辭儀をして、部屋を出る。
修繕費用に醫療費、口止め料。ベルナールの多くない財産はどんどん削られていく。
次から次に問題が起きるものだと、深いため息を吐いた。
◇◇◇
騎士の裝いに著替え、勤務時間が始まるまで休憩所で過ごす。
ベルナールの所屬する『特殊強襲第三部隊』は二十代前半から半ばまでの若い騎士達が所屬している。
今日は朝から妙な盛り上がりを見せていた。
彼らが囲むは、安っぽい作りの週刊誌。容は貴族達の噂話が書かれた、極めて下品なものであった。
今週號は品切れになるほど売れているらしい。苦労をして手したのだと、隊員の一人が自慢するように言いながらベルナールの前に差し出した。
「何が書かれてんだよ」
「噂のご令嬢についてですよ」
「!」
ベルナールは揺を顔に出さないようにして、雑誌に視線を落とす。
表紙は婦畫だったが、そんなことなどどうでもよかった。
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見出しには、『元伯爵令嬢の、派手な暮らしと、奔放過ぎる異遊の全て~関係者が語る、真なる姿~』と書かれている。
それを見ただけで嫌悪を覚えていた。
興味を示さないように見えるベルナールに、同僚の一人が記事の容を語り始める。
アニエス・レーヴェルジュ。
名家生まれの十九歳で、引く手數多あまたな社界一のである。
彼は自らをしく保つことに、熱とお金をかけていた。
ドレスは絹製の繻子織りサテンや琥珀織りタフタなど、一級品の素材を使った品にしか袖を通さない。ある日、誤って綾織りサージで作られたドレスを持って來た侍を首にしたこともあると言う。
そんなアニエス・レーヴェルジュを、社界の人々は『麗しの薔薇』と呼んでいた。
お金をかけているので、彼がしいのは當たり前のような気もすると、記者は自らの意見もえつつ、アニエスの贅沢三昧の暮らしを赤々に書いていた。
男との付き合いに関しては、ベルナールが元同僚ジブリルより聞いた話でもあったが、詳しい話が當時の自稱関係者より語られていた。
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「すごいですよね〜。一年ごとに男をとっかえひっかえって」
「捨てられた側はたまったもんじゃないよな。たくさん貢がされただろうに」
「アニエス嬢、可哀想に思っていたけれど、話を聞いてみれば自業自得と言うか……」
「夜會の時、見かけたけれど、すっげえ人だったぜ」
「けどさあ、金がかかって、格も悪ければ、嫁にするのはごめんだろうよ」
ベルナールは會話に加わらずに、黙って雑誌を見下ろす。
以前ならば、悪口にも參加をしていたかもしれない。
だが今は、噂話を前に首を捻るばかりだった。
アニエス・レーヴェルジュ。――気位が高く、見かけで人を値踏みするような最低最悪の。
しかしながら、ベルナールの知るアニエスの姿は、大きく異なっている。
大人しく控えめで、なけなしの金を使って父親に差しれを持って行っていた、どこにでも居るような家族思いの。
悪なアニエスと、ごくごく普通なアニエス。
ベルナールはどちらが本當の姿なのか分からなくなる。
まだ、短い期間しか関わっていない。答えを出すのは早過ぎると思った。
勤務時間になれば、隊長であるラザールが朝禮をしにやって來る。
下品な週刊誌は隠すのが遅れ、沒収をされてしまった。
一日の訓練を終えて、果の報告をしに上司の執務室に向かう。
勤務時間終了を知らせる鐘が鳴れば、ラザールはベルナールに「ご苦労様」と言って、帰るように言ってくる。
「――ああ、そうだ、オルレリアン。これを処分しておいてくれ」
差し出されたのは、アニエスの噂話が書かれた週刊誌。苦々しい顔で、それをけ取る。
「全く、酷いものだよ」
「……」
ベルナールはあまり厚くない雑誌の表紙を、側に丸めて握り締める。
どこかで燃やして帰らなければと考えながら、ラザールの話を聞いていた。
「出來るなら、家で彼を保護したいところだが、消息が摑めん」
「……大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「國王から不興を買っている家の娘なんか助けて」
「良くはないが、こんな記事が出ていたら、彼を取り巻く境遇は悪化するばかりだろう」
ただでさえ父親の起こした事件で冷遇されているのに、今度は本人の悪い噂も出てしまった。事態はどんどん悪い方向へ転がっていると言う。
「もしかしたら、彼は街の孤児院にを隠しているかもしれん」
「それは、どうして?」
「姪がアニエス・レーヴェルジュと付き合いがあったのだが、彼は週に一度、孤児院に通っていたらしい」
慈善活を積極的に行うだったとラザールは話す。雑誌に書いてあることは、多分デタラメだろうとも。
「一度だけ家に來て、挨拶をしたことがあったが、禮儀正しいお嬢さんだったよ。雑誌の売り上げをばすために、こういうことを書いたのだろう。しようもないことをする」
こんな雑誌が売れる嫌な世の中だと、吐き捨てるように言う。
それから、しばらく沈黙の時間が過ぎていく。
先に口を開いたのは、ラザールだった。
「オルレリアン」
「なんでしょう?」
「私はこれから會議に行かなければならない。それで、頼みがあるんだが」
ラザールは頭を下げて願う。今から孤児院に行き、アニエスが居たら保護をしてしいと。
「もしも居たら、馬車で私の家まで連れて行ってしい。報酬も出そう」
「いや、いいです」
「そう言わずに、頼む」
「……孤児院には、行きます。帰り道の途中にあるので、報酬はいりません」
「そ、そうか。助かる」
王都の孤児院は馬車乗り場の近くにあった。帰りに寄るだけなので、お金は要らないと斷る。
上司の住む屋敷の住所が書かれたメモ紙をけ取り、著替えをするために更室に向かった。
◇◇◇
騎士団の駐屯地より徒歩十分。中央街にある馬車乗り場よりしだけ離れた所に孤児院がある。
手ぶらでは行けないので、近くにあった店で焼き菓子を買って向かった。
教會に併設された孤児院は、貴族からの寄付で運営されている。
しかしながら、そこで暮らす子ども達の生活は恵まれたものではない。
集まったお金がどれほどで、誰が管理をしているのかは明らかにされていなかった。
ベルナールは柵の外から孤児院の中を覗き見る。
五歳から十歳位の子どもが、元気よく走り回っていた。
かな暮らしをしていないことは、服裝などを見たら分かる。足の子どもも居た。
今まで恵まれた環境で生きて來たベルナールは、目を背けたくなるような景であった。――かと言って、このまま帰る訳にはいかない。出り口に回り込んで、中にった。
「わあ、お客さんだよ!」
「こんにちは!」
さっそく、子供たちに発見されて囲まれてしまった。良い匂いがすると言って、手にしていた紙袋を覗き込まれてしまう。
「ちょ、ちょっと待て」
子供たちにもみくちゃにされていると、建の中から修道シスターがやって來る。
「あなた達、お客様に何をしているのですか!」
怒られた子どもたちは一言謝って、散り散りになった。
「申し訳ありませんでした」
「いや、構わないが……」
とりあえず、手にしていた焼き菓子を渡す。修道シスターは皆が喜ぶと、笑顔でけ取ってくれた。
騎士の腕を見せて分を明かし、アニエス・レーヴェルジュについて話を聞きたいと言えば、建の中へと案をしてくれる。
「最初に言わせて頂きますが、アニエスさんはここには居ません」
それはそうだろうと、ベルナールは心の中で言葉を返す。
「……今日までに、たくさんの記者が來ました。アニエスさんの話を聞くために」
修道シスターはどの記者にも同じことを話したと言う。
「アニエスさんは週に一度、こちらまで足を運んでくれました。とても優しく、慈に満ちたです。子ども達も、アニエスさんに會うのをとても楽しみにしていました。……誰も、私が話をしたことは、記事に書いてくれなかったみたいですけれど」
週刊誌の記事を見て、とても悔しい思いをしていると話す。
ベルナールは黙って話を聞いていた。
「――それで、騎士様はどうしてこちらに?」
「いや、まあ、アニエス・レーヴェルジュがここに居るなら、上司が保護をしたいと言っていて」
「まあ、それならば、心配はありませんわ!」
何が心配ないのか。アニエスはベルナールの家に居る。修道シスターがどうしてそう言い切るのか、気になったので質問をした。
「アニエスさんは、とある騎士様の家にいらっしゃいます」
「はあ!?」
どこで報がれたのかと、額に汗を掻くベルナール。ドクドクと、鼓が激しくなっていた。
「ど、どこの、誰――」
「私も詳細は知らないんです」
「え?」
「母から聞いた話なので」
「は、母親から?」
「はい。私の母は宿屋を経営しているのですが――」
『野山の山羊亭』。修道シスターの母親は、そこの將だと言う。
「私の家は大家族で経済的にいろいろ厳しかったんです。……結婚適齢期になっても不量な貧乏宿屋の娘を妻にと思ってくれる人も居なくて、二十歳の時に修道になりました。って、こんな話はどうでもいいですね」
そんな彼と同じように、行くあてのないアニエスは、修道になるために、まっ先に教會へとやって來た。
それを止めたのが修道シスターだったのだ。
「修道になれば、神にお仕えすることになるので、結婚は出來ません。……あんなにも優しくて、子ども達に好かれていたアニエスさんが一生結婚出來ないなんて、あんまりだと思いました」
けれど、アニエスの決意はしっかりと固まっていた。これから先の生涯、神に仕えると。
「でも、お慕いする方が居るのではと聞いたら、頬を染めて、俯いたんですよ」
アニエスには好きな人が居る。
すぐにを就させるのは難しいが、しばらくの振り方を考えたらどうかと勧めた。
彼シスターはアニエスに、自らの実家である『野山の山羊亭』で働かないかという話を持ちかける。
役に立たないかもしれないと言ったので、宿泊代を半額にして、代わりに働くのはどうかと助言したのだ。
「それで、つい先日、アニエスさんはお慕いする騎士様と出會い、手と手を取り合って宿を出たと――」
「慕ってないし、手も繋いでねえよ!」
「え?」
「い、いや、なんでもない」
修道シスターは興をしていたので、ベルナールの指摘を聞き逃していた。
危なかったと、ほっとをで下ろす。
「すみません、私ったら、喋り過ぎてしまい……」
「構わん」
「このお話は、どうかに」
「ああ、口外するつもりはない」
「ありがとうございます」
「そちらも、誰かに言うなよ」
「ええ、もちろんです。神に誓って、この件については黙いたします」
外はすっかり暗くなっていた。最後の馬車の時間も迫っている。
アニエスについて書かれた週刊誌は、一言斷ってから暖爐の中に投げ捨てた。
ベルナールは修道シスターに別れを告げ、馬車乗り場まで歩いて行く。
今日も吹く風は冷たい。
空を見上げれば、黒い雲が風に流れていた。
アニエス・レーヴェルジュについて大きな誤解があったのかもしれないと、ベルナールは考える。
しかしながら、一つだけ分からないことがあった。
五年前、どうしてアニエスはベルナールを蔑んだ目で見たのか。
実際にアニエスと接し、彼を知る者から話を聞けば、他人を馬鹿にするような行為はあり得ないことだった。
いくら考えても、答えは出てこない。
それに先日アニエスが言っていた、ベルナールへのお禮の意味も分からないままだった。
手っ取り早く、本人に直接聞いた方がいいことに気付いた。
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