《沒落令嬢、貧乏騎士のメイドになります》第十六話 アニエスの誠意と

朝、貓のミャアミャアという鳴き聲でアニエスは目を覚ます。

まだ、も昇っていないような時間だ。

起床時間ではなかったが、お腹が空いているようなので、起きようかと瞼をる。

貓、ミエルは母貓からをもらっていた時の癖で、アニエスの辺りを腳で何度も圧迫ふみふみしていた。これは、の出を良くするための行である。

は一生懸命なミエルに対し「おは出ません……」と申し訳なさそうに謝罪していた。

毎晩一緒に寢ているので、このような狀態になっているのだ。ちなみに、ドミニクが作った貓用の寢床はあるが、そこを抜け出してアニエスの布団に潛り込んで來ている。

ミャアミャアと餌の要求をするミエルに、アニエスはし待つように言った。

引き出しから仕著せ替わりの灰のワンピースを取り出して、寢臺の上に置く。の線を細くする鎧のような矯正下著も隣に並べた。

まず、ぶかぶかな寢間著をぐ。絹製のしか纏ったことがなかったアニエスは、初めこそ著心地の悪さを覚えていたが、一週間もしたら慣れた。案外、適応に富んでいるものだと、自らのことながら心していた。

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寢間著の下は何もに著けていない。それは、子供の頃からだった。

下ばきを穿き、ずっしりと重い矯正下著を著込んで前から紐を通す。綺麗に最後まで紐を通したら、力を込めてギュッと絞った。

矯正下著を纏う作業も、隨分と上手くなっていた。アニエスの家に仕えていた侍ほど絞れるわけではないが、及第點には達していると鏡を見ながら思う。

地味なワンピースを著て、上からエプロンをかける。

鏡の前で髪を一つに纏め、洗面所で顔を洗い、歯も磨く。

最後に、化粧臺の前で薄い化粧を施し、髪のを綺麗に結べば支度は完璧なものとなる。

隨分となくなった化粧品を見て、アニエスは小さなため息を吐いた。

ミエルを籠にれ、三階にある使用人用の簡易臺所へと向かう。

貓の餌作りは、ここでするように言われていた。今まで使っていなかったようで、今は完全な貓の餌作り専用の臺所となっている。

アニエスは慣れない手つきで包丁を握り、ミエルのために食事を作る。

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待ちきれないのか、籠の中でミャアミャアと元気よく鳴いている。

「おはよう。朝から元気ねえ」

「おはようございます。ジジルさん」

途中でジジルがやってくる。手には朝食が載った皿を持っていた。

ミエルの『ササミのくったり煮』を鍋の中で煮込んでいる間、朝食の時間となる。

「ミエル、あなたはもうちょっと待ってね」

ジジルはそう言って、ミエルがっている籠に布を被せていた。こうすると、大人しくなるのだ。

皿の上には、昨日の殘りの三日月パンに、バターの欠片、炒ったふわふわ卵、皮が弾けた腸詰め、梨が一切れ。

アニエスはジジルが來ることを分かっていたので、沸かしていたお湯とミルクでカフェオレを淹れていた。それをカップに注ぐ。

手を洗い、膝の上に朝食の載った皿を置く。食卓はないので、このような狀態になってしまうのだ。

「貓、まだ布団に潛り込んでくる?」

「ええ。今朝がたも、ふみふみされて……」

「それ、大人になってからもするからね」

「そうなのですね」

布団の中で貓が居ると、ぬくもりにホッとしてぐっすりと眠れるのだ。大きくなっても一緒に眠れることが分かり、アニエスは嬉しくなった。

お喋りをしながらジジルはカフェオレに一口大にちぎった三日月パンを浸し、滴らせずに口の中へと放り込む。アニエスも砂糖とミルクたっぷりのカフェオレにパンを浸した。

昨日のパンといっても、竈で溫めているので表面はカリカリ、表面にまぶしてある砂糖が溶けて甘い香りを漂わせている。

そんなパンと、カフェオレの相は抜群であった。

味しい……」

思っていたことが口に出てしまい、アニエスは恥ずかしくなる。ジジルは「これが一番の食べ方よねえ」と返していた。

貴族として暮らしてきた頃はありえない食べ方であったが、キャロルとセリアに教えられて食べてみたら、驚くほど味しかったのだ。

「外の世界はいろいろと、知らないことばかりで……」

「楽しい?」

アニエスはコクリと頷いた。

◇◇◇

朝食を終えたアニエスは、ミエルのササミを更に押して潰し、食べやすいようにする。

冷えるのを待って、與えた。

の食事の時間となって、ミエルは興している。だが、まだ皿を出しても自力では食べられなかった。

アニエスは指先でササミを掬い、口元へと持っていく。舐める子貓の舌先をくすぐったいと思いながら、食事風景を見守っていた。

食後、貓の排泄を促すのも忘れない。子貓は自力で出來ないので、溫い布などでおなどを刺激する必要があるのだ。

ミエルはこのまま臺所の片隅でお留守番となる。三十分おきに見に行くようになっているが、念には念をれて危険がないか確認した。それが終われば、一階に降りて行く。

ジジルに手伝える仕事がないか聞いた。

洗濯に床掃除、風呂掃除など、使用人の仕事は山のようにある。

一つ作業を終わらせて、ミエルを見に行き、また手伝いに行く。それらを繰り返せば、あっという間にお晝になるのだ。

ミエルに餌を與え終わったのと同時に、ジジルが食事を持って來た。アニエスはお禮を言って、お皿をけ取る。

「そういえば昨日、旦那様から聞いた?」

「お母様がいらっしゃるお話でしょうか?」

「そう。それと、作戦について」

作戦とはアニエスに婚約者役を頼むという話。本當に大丈夫なのかと、ジジルは聞いてくる。

「上手く出來るか分かりませんが、一杯努めようかと、思っています」

「……アニエスさん、無理はしなくてもいいのよ?」

「無理はしていません。わたくし、嬉しかったのです」

「婚約者役が出來ることが?」

「はい。わたくしでも、お役に立てることがあるのかと」

「あ、そっちね」

「?」

ジジルはてっきり、お役目でも婚約者になれるのが嬉しいという意味かと思ったのだ。そうではないと分かり、若干がっかりする。

「でもどうして、旦那様のためにそこまでしてくれるの?」

「ご主人様に、ご恩があるのです」

「元々、知り合いだったってこと?」

「いえ、一方的にわたくしが……」

「わたくしが?」

「な、なんでもありません」

思わず口にしそうになった極めて個人的なを呑み込み、アニエスはベルナールよりけた恩を語り出す。

「とあるお茶會で、助けて頂いたのです」

界デビューより一年後。

アニエスは第二王子主催のお茶會に招待された。彼の父はまたとない機會だと言い、王子と接するように命じていた。

父親曰く、デビューは大失敗だった。夜會の場で、王子より見初められることを想定していたらしい。

なので、今回は失敗をしないようにと、強く言い含められていた。

お茶會の前夜、アニエスは全く眠れなかった。

神的な負荷が、彼の安らかな睡眠を妨害していた。

朝食もまともにを通さず、フラフラな狀態でお茶會會場まで向かった。

まず、人の多さに酔ってしまう。

それに加えて、付添人ともはぐれてしまった。アニエスは目が悪いので、見つけだすことは至難の業だった。

付添人は早々に諦めた。本來の目的を優先させる。

目を凝らし、どこに王子がいるのか周囲を見渡す。

大勢の人だかりが出來ているので、居場所は分かりやすかった。

早足で會場の中を進む。

もうしで取り巻きのの中に辿り著こうとしていたのに、突然背後から腕を摑まれる。

驚いて背後を振り返ったが、目が悪いので誰だか分からない。

困っていれば、相手から名乗った。

――エルネスト・バルテレモン。

侯爵家の次男で、あまりいい噂を聞かないので、関わらないようにと付き添う人が言っていた人だった。

見目がいいことを自覚していたエルネストは、アニエスの反応を新鮮に思い、興味を持つ。

単に視力が低くて相手を識別出來ないだけであったが、彼にとって初めて見るものだったのだ。

思わず後ずされば、腕は手から離れる。

その警戒するような様子を見て、エルネストはアニエスのことを子貓のようだと言い始めた。

どこか靜かな場所で話そうとってくる。アニエスは知り合いを探している最中なのでと言ってお斷りをした。

だが、エルネストは引かなかった。

だんだんと恐怖を覚えたアニエスは一禮してその場から去ったが、エルネストはあとを追って來る。

早足は駆け足となり、アニエスは薔薇の庭園へと逃げ込んだ。

「そこで、ご主人様に助けて頂いたのです」

「そうだったの」

出會った時、騎士を見つけて安堵したが、エルネストは悪事を働いているわけではない。助けを求めるか、逡巡する。

だが、よくよく見てみれば、相手が見知った顔だということに気付く。

―― 熊騎士ベルナール様!!

アニエスは語の中に出ていた憧れの熊騎士とベルナールの姿を重ね合わせ、助けを求めたのだ。

「それが恩なのね?」

「はい」

「でも、旦那様は騎士としての仕事をしただけで、そこまで謝することもないと思うけどね」

「ええ、そうかもしれませんが、お恥ずかしい話ながら、助けて頂いたのはその時だけではなくて――」

界デビュー三年目。

アニエスはまたしてもエルネストに追われていた。慌てて庭に逃げ込み、なんとか撒くことに功したが、今度は會場への帰り道が分からなくなってしまう。

「その時、偶然ご主人様と會い、會場まで送って下さいました」

「そうだったの」

「薔薇園で助けて頂いたことも含めて、お禮を言いたかったのですが、すぐに去って行ってしまって……」

「恥ずかしかったのね、きっと」

「そう、なのでしょうか?」

「殘念ながらそうなのよ。二十歳前後の男なんて、みんな子どもなんだから」

ジジルの個人的な見解を、アニエスは困った顔で聞いていた。

界デビューから五年後。

家が沒落し、お金も盡きかけ、困窮していたアニエスに助けの手を差しべたのは、ベルナールだけだった。

「わたくし、修道になる決意を固めていたのです」

「え!?」

「でも、孤児院の修道様に止められて、今、ここに居ます」

『熊騎士の大冒険』という語の中で、貓のお姫様が危機的狀況に陥れば、どこからともなく現れて、颯爽と助けていくのだ。

それと同じように、ベルナールはアニエスの危機から何度も救ってくれた。

「――ご主人様には、本當に、何度謝をしても足りないくらいです」

アニエスは頬を染めながら話をしていた。

その表をする乙のそのものだったが、ジジルは気付かない振りをしていた。

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