朝、アニエスはフラフラな狀態でミエルの朝食の準備をする。

食旺盛な子貓は、足元でミャアミャアと元気よく鳴いていた。

途中、ジジルが朝食を持ってやって來る。

「おはよう」

「おはようございます」

「顔悪いわね」

「そうですか？」

「ええ、大丈夫？」

「はい、平気です」

「だったらいいけれど」

ジジルは朝食の載った皿を椅子の上に置き、ミエルを抱き上げて籠の中にれて布を被せた。

アニエスは一晩中ベルナールの看病をしていた。恩返しの一つとして、自らんだのだ。

看病する相手は人男であり、薬を飲んだあとならば悪化することもない。

醫者も一晩安靜にしていれば、すぐに治ると言っていた。

なので、萬が一アニエスが看病の途中で眠ってしまっても、問題ないだろうと思ってジジルは任せることにしていた。

アニエスの顔は青ざめ、目の下には濃いくまがある。彼は酷く憔悴していた。一生懸命看病をしていたというのは見て分かる。

「どうだった？」

「上手く、看病出來ていたかは分かりませんが……」

子どもの頃、風邪を引いたら母が一晩中看病をしてくれたのを思い出しながら、行ったと話す。

「途中、母上様が蜂レモンを作って持って來てくれて――」

それが味しくて、ホッとした気分になっていた。

風邪を引いた時は心も不安定になる。しでも、それを和らげることが出來たらいいとアニエスははにかみながら言う。

「大丈夫。看病、上手くいったみたい。旦那様、すっかり元気になっていたわ」

「ああ、良かったです」

その言葉を聞き、深く安堵した様子を見せていた。

落ち著いたところで、ジジルは朝食を食べようかと聲をかける。

本日の品目は大きなビスケットに、チーズ、ゆで卵、皮付きのリンゴが一切れ。

調理場擔當のアレンが休みの日なので、実にシンプルな朝食が用意されていた。

殘念なことに、徹夜明けのアニエスはほとんど食べられなかった。代わりにジジルが平らげる。

「すみません、せっかく準備して頂いたのに」

「そういう日もあるわ」

しょぼんとするアニエスの背をポンポンと叩きながら、軽い調子で勵ます。

朝食後、このあとの予定が言い渡された。

「アニエスさん、お仕事は午後からお願い出來るかしら」

「え？」

「ミエルの面倒はドミニクが見ているから、安心して」

「そ、そんな。わたくしは大丈夫です」

「昨日から働き詰めだったでしょう？　これは命令」

「……はい、分かりました。ありがとうございます」

命じたことを素直にけれたので、いい子だと頭をでるジジル。

アニエスは言われた通り、午前中は休むことにした。

◇◇◇

ゆっくり睡眠を取ることが出來たアニエスは、張り切って仕著せに著替え、一階まで降りていく。

まず、庭にミエルを迎えに行った。

ドミニクは庭木周辺の土を解し、油かすや落ち葉、家畜の糞などの料を埋めていた。

これらは土の中で発酵し、春になる頃に木々の栄養となる。

忙しそうにしていたので、頃合いを見て、聲を掛ける。

ミエルはドミニクのポケットの中ですやすやと眠っていた。お禮を言ってけ取る。

母親の胎のような場所で丸くなっていたミエルは、ほかほかと溫かくなっていた。

そんな子貓を抱き、三階の當たりが良い場所に寢かせておく。餌はお腹が空いたら食べるだろうと思い、いつもの場所に置いた。つい最近、自力で食べられるようになったので、その辺の心配もいらない。

調理場を覗き込めば、ジジルが晝食の準備をしていた。アニエスも手伝う。

使用人全員で晝食を摂る。

品目は焼いたをパンに挾んだものに、山盛りになった揚げた芋。

休みのアレンも一階にやって來て、母親の作った料理に愕然とする。

「今日の料理當番、母さんだったのか……。なんていうか、相変わらず雑い」

「文句言わないの！」

アレンの料理は繊細で、彩りも鮮やか。

一方で、ジジルは大ざっぱで茶い料理しか作らなかった。

ドミニクとエリック、アニエスは、黙って食べている。それを見習えと、ジジルは二番目の息子に指導していた。

「旦那様ですら、私の作った料理に文句を言ったことがないのに」

「旦那様は昔からなんでも食べるいい子です」

「なんですって！？」

まあまあと、無表で間に割ってるエリック。

親子喧嘩はあっさりと終息した。

しんと靜かな食卓で、アニエスは我慢できなくなり、笑い出してしまった。

「ほら、アレンのせいで笑われてしまったじゃない」

「面白いのは母さんの料理で、僕じゃない」

「また、あなたは」

「ご、ごめんなさい……お食事中なのに」

「いいのよ。キャロルやセリアなんかが居る時は、もっと賑やかだから」

アニエスはここに來てからお喋りしながら食事を楽しむことを覚えた。

貴族社會ではあり得ない行為であったが、彼はもう伯爵家のご令嬢でもなんでもない。

様々な柵（しがらみ）に囚われることなく、庶民としてのささやかな生活を満喫している。

今まで味わったことのない、充実した日々を過ごしていた。

午後からは傷薬作りを教えてもらうことになった。

ジジルの指導の元、製薬開始となる。

「まず、材料から説明するわね」

「はい」

まず取り出したのは、蝋に似たくすんだ黃の塊。

「これは蝋。皮の保と抗菌、効果なんかもあるのですって」

アニエスは教えてもらっていることを一生懸命書いていく。

「で、こっちは油」

香りには鎮靜効果があり、消炎、殺菌作用がある薫草。

萬能薬とも言われている茶樹草。

それから、皮の保や抗炎癥作用のある砂漠の実。

夏季に採れる三つの植で、ドミニクがせっせと油を作るのだ。

「作り方はね、本當に簡単」

鍋の中に水をれ、その中に小瓶にれた蝋に砂漠の実の油を垂らしたものを置く。

鍋の湯が沸騰する前の溫度で蝋を溶かす。ある程度溶けてきたら鍋から取り出し、余熱で溶けるのを待つ。

蝋の塊が綺麗になくなれば、薫草と茶樹草の油を數滴垂らしてかき混ぜる。

完したものは煮沸消毒した缶にれて、トントンと機に打ち付けて中の空気を抜く。それから、きっちりと蓋を閉じたら完となった。

「とまあ、こんなじ」

「ご指導、ありがとうございます」

「いえいえ」

他にも、様々な油の組み合わせで薬が作れることを教えてくれる。

筋痛を緩和するものに、日焼けの跡を薄くするものなど。

「この傷薬はアニエスさんにあげる」

「いいのでしょうか？」

「ええ。お好きにどうぞ」

「ありがとうございます！」

初めて作った薬を、アニエスはの中にぎゅっと抱きしめた。

◇◇◇

冬の日沒は早い。

騎士団の終業を知らせる鐘が鳴る頃には、すっかり暗くなっている。

終禮を終わらせ、家に帰ろうとしているベルナールを引き止める者が出てきた。

「やあ、奇遇だね」

「……どうも」

「ちょっと話があるんだ」

行く手を阻むのは、エルネスト・バルテレモン。

ベルナールは話をしたくなかったが、どうせアニエス関連のことだろうと思い、渋々いに応じる。

通された部屋は埃っぽく、が敏になっていたので咳き込んでしまった。

その様子に、エルネストは不快そうな表を浮かべている。

「――それで、話とは？」

「アニエス・レーヴェルジュのことだよ」

「だろうな」

彼は焦っていた。

社界で再びアニエスへの注目が集まり、エルネスト同様に捜索を始めている者達が居ると話す。

「いつの間にか悲劇の聖扱いだよ」

「それはそれは、お気の毒に」

ベルナールはあくまでも「無関係です」と言ったじの言葉を返す。

「こういった事態は面白くない。彼は私が先に目を付けたのに」

社界の者達の鮮やかな手のひら返しに、ベルナールは呆れた気持ちになる。

記事に書かれた話が何倍にも膨らみ、アニエス像をどんどん歪めていた。

彼は聖なんかではない。

ごくごく普通の、どこにでもいる平凡なだった。

「それで？」

「いや、話を聞いてしかっただけだ」

「は？」

「人に話せば、案外すっきりするものだね」

呆然とするベルナールを殘して、エルネストは部屋から去って行く。

訳が分からないと部屋で一人、怒りを覚えることになった。