《沒落令嬢、貧乏騎士のメイドになります》第三十二話 穏やかな晝下がり
眼鏡屋に店する。
ベルナールが扉を開き、アニエスに先にるように言った。
カランカランと、扉に付けられた鐘が鳴る。幸いなことに、今回も眼鏡屋に他の客は居なかった。
「いらっしゃいませ」
人の良さそうな店主はアニエスを見て微笑みかけ、ベルナールを見て再訪を喜ぶ。
「お待ちしておりました」
「ああ。以前言っていた品を」
「はい。奧様の眼鏡ですね」
店主に「奧様の」と言われた瞬間、ベルナールは顔を赤くする。自分でもそれが分かったので、帽子を深く被って顔を隠し、目線を逸らした。
ガラスケースの上に、つる付きの眼鏡が並べられる。
「こちらの銀縁の眼鏡は最新型で、がかけても華やかな印象になるかと」
縁が銀の派手なでは変裝にならない。ベルナールは他の品も見せるようにと頼む。
「では、こちらは――」
様々な形狀の眼鏡が並べられる。
異國で流行しているという品は、つるに花模様が彫られており、おしゃれだった。その分、値段も高くなっていた。
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鼻眼鏡や柄付き眼鏡も見たが、作業をしながらかけたいので、つる付きの眼鏡の購を決める。
いくつか見て、最終的に選んだのはレンズの丸い眼鏡。
現在、楕円形が流行りだという中で、時代遅れの一品となる。
値段も処分価格となっており、お値段は金貨一枚。
レンズも分厚くて重たいが、掃除や料理を手伝う時など、視力を必要とする時にだけかければいいとアニエスは思った。
「では、こちらでよろしいでしょうか」
「はい、よろしくお願いいたします」
その場で會計を済ませ、店主は木箱の中にれた眼鏡を紙袋に詰めている。
アニエスはけ取った眼鏡をに抱き、ベルナールにお禮を言った。
「ベルナール様、ありがとうございます」
「……ああ」
二人の姿を見た店主は、「仲がよろしいですね」と言う。
再びカッと顔が熱くなったベルナールは、手にしていた帽子を被り、また來ると言って店を出る。店主に會釈をしたアニエスもあとに続いた。
外に出れば、周囲は閑散としていた。
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行きとは違い、ゆっくりとした足取りで進んで行く。
アニエスは初めて通る下町の道を、珍しそうな目で見る。
世話になっていた宿屋は裏手にあり、職人系の店が並ぶ商店街には來たことがなかったのだ。
ふと、一軒の店が気に留まる。
「あら、あのお店は?」
アニエスが見ていたのは、三階建ての細長い建で、皆本を持って出て來ていた。王都に書店は一軒しかないと言われていたので、首を傾げる。
「あれは貸本屋だ」
「貸本、ですか」
「ああ。貴族とは違って、庶民からしたら本は贅沢品なんだ。だから、皆ああやって借りて読むんだよ」
「そうなのですね」
貸本屋は會員登録をして、一定期間本を貸し出す代わりに、賃貸料を取って商売をする店である。気軽に書籍を買えない庶民の間で流行っており、人気の本は予約だけで半年待たなければならないもあると言われていた。
ベルナールは従騎士時代、暇潰しに本を借りに來ていた。
仕事が忙しくなれば、休日は疲れていて家で過ごすことも多くなっていたので、貸本屋へやって來たのは數年ぶりだと話す。
「覗いて行くか?」
「いいのでしょうか?」
「大丈夫だろう。貴族や記者はこんな所に出りしないだろうからな」
「でしたら、見てみたいです」
ベルナールは扉を開き、中にるように手で示した。
「ありがとうございます」
アニエスは初めて行く店に、張の面持ちで一歩踏み出した。
まず、店を見て驚く。隙間なく置かれた本棚には、ぎっしりと本が詰まっている。
「まあ、こんなにたくさん本が――」
想を言いかけて、咳き込むアニエス。
「埃っぽいからハンカチか何かを口に當てておけ」
店はあまり綺麗な狀態に保たれていなかった。本自も古いものばかりで、あせたばかり並んでいる。
店の陳列は數年前と変わっていなかった。ベルナールは戦記の本棚へと歩いて行く。
年時代に読んでいた作品の続きが出ていたので、二冊借りることにした。
「お前はどうする?」
「わたくし、ですか?」
「代金は一冊銅貨一枚位、だったような気がする」
「お安いですね」
新品で本を買えば安くても銅貨十枚ほどかかる。
貸本屋は十分の一の価格で借りることが出來るのだ。
「読みたい本があれば借りるといい」
「ですが、返卻が出來ないので……」
「通勤の帰りにでも返すから気にするな」
遠慮はしなくてもいいと言うので、お言葉に甘えることにした。
アニエスは熊騎士の冒険シリーズを再読しようと思い、冒険小説が並ぶ本棚を探す。目を凝らしながら、本棚を見上げていた。
「おい」
「はい?」
「眼鏡使えよ」
「あ、そうでした」
アニエスは鞄の中から眼鏡を取り出し、かけてみる。
「これは……!」
眼鏡の向こう側は驚きの世界であった。
視界が鮮明になって目に力をれずとも、はっきりと見ることが出來る。
「どうだ?」
「良く、見えます。とても、嬉しいです」
極まったアニエスは、眥に浮かんでいたものを、そっと拭った。
視界がはっきりしたところで、本探しを再開させる。
「――まあ」
「どうした?」
「こ、こんなに、続刊が!」
珍しく大きな聲を出し、嬉しそうな様子で本棚を見上げていた。
彼が大好きな熊騎士の冒険シリーズの未読本が並んでいたのだ。
「知らなかったのか?」
「はい! 中央街の書店には行ったことがなくて……。本は家庭教師が用意したしか読んだことがないのです」
修道から借りた本は全て寄付された本で、全巻揃っているわけではなかった。
アニエスが読んだ熊騎士シリーズは全部で七冊。貸本屋には、全部でニ十冊置いてあった。
「えっと、どうしましょう」
「貸出期間は一週間。一回で借りられるのは十冊までだが」
「では、三冊だけ」
アニエスは本棚に手をばしたが、あとしのところで屆かなかった。
踵を上げて取ろうとすれば、ベルナールが取ってくれる。
「八巻から三冊でいいのか?」
「はい、ありがとうございます」
アニエスは頭を深々と下げ、本をけ取ろうとしたが、ベルナールはそのまま「行くぞ」と言って付まで歩いて行った。
ベルナールは既に會員登録をしてあるので、一緒に借りると言う。結局、賃貸料も払っていた。アニエスは銅貨を三枚差し出したが、け取らない。
「出世払いにしといてやる」
「そんな……」
「いいから、そういうことにしておけ」
「あ、ありがとうございます。お仕事、頑張ります」
眼鏡代もベルナールが立て替えていたので、アニエスは申し訳なさでが張り裂けそうになっていただが、頑張って働く他はないと気合をれる。
貸本屋を出れば、晝を知らせる時計塔の鐘が鳴り響いていた。
ベルナールは借りた本五冊、小脇に抱えながら歩いて行く。アニエスもすぐ後ろに続いていた。
貴族達も演劇の鑑賞中だからか、道を歩く姿はほとんど見られない。
中央街の円形地帯ロータリーの路肩には、來た時にはなかった店が並んでいた。
売っている品はお菓子や花など、ちょっとした手土産に出來るだった。
マドレーヌに厚焼きガレット、リンゴのパイにくるみとチョコレートのケーキ、メレンゲ焼きに、香辛料たっぷりのクッキー。
手の込んだは売っていない。庶民が好むような、お手頃な価格かつ素樸なお菓子ばかりだった。
「キャロルとセリアに土産を買っていくか」
「はい」
試験前で、休日に街に遊びに行くことをじられていた。不満な顔をしていたので、土産を買うことにする。
購したのはマドレーヌ。雙子の好だ。
焼きたてを店から持って來たようで、け取った袋はほんのりと溫かい。
者が待つ休憩所に行き、ドミニクに馬車の用意を頼む。
ベルナールとアニエスは、馬車乗り場にある木製長椅子に座って待っていた。
本日は晴天。
見事なお出かけ日和であったが、アニエスのことが見したら大変なので、用事が済んだら帰宅をすることになる。
馬車を待つ間、空腹を覚えていたベルナールは、バターの香りを漂わせているマドレーヌを袋から取り出した。
生地は貝の型で焼かれ、手のひらと同じ位の大きさがある。
買ったのは全部で七つ。キャロルとセリアが家族で分けるとしたら、一個余ってしまうのだ。
「一個余れば喧嘩になるからな」
爭いの種は未然に無くさなければならない。ベルナールはそう言って半分に割り、片方をアニエスに差し出す。
「わたくしも、食べてもいいのでしょうか?」
「口止め料だ」
ベルナールはアニエスを共犯者になるように言いながら、一口でマドレーヌを食べる。
ふんわりとした生地は甘ったるく、渋い紅茶がしくなるような味わいであった。
「口の中の水分を全部持って行かれた」
報告を聞いてから、アニエスもマドレーヌを口にすれば、ベルナールの言葉の意味を理解することとなってしまった。
「マドレーヌはお茶の席以外で食べるお菓子ではない」
「わたくしも、そう思います」
意見が一致したところで、ドミニクのる馬車がやって來た。
ベルナールは杖を掲げ、合図を出す。
二人は馬車に乗り込み、家路に就いた。
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