《わがまま娘はやんごとない!~年下の天才と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~》四話「休めるときには休みましょう」
平間と壱子は、隕鉄いんてつに先導されて貧民窟ひんみんくつを抜け、間もなく平間に支給された新居しんきょに到著した。
新居は皇都の東部、開発途上區域に建てられた長屋の一室で、主に一人の役人向けに作られている。
「おお……!」
自分の一室の戸を開けて、平間は小さく歓喜の聲を上げる。
中は六畳程度の一室だけで、それに襖ふすま二枚分の押れがついているだけだ。
裝もありふれたもので、特別なものは無い。
しかし、奧には手狹ながらも庭もあるし、建てられたばかりなので畳たたみから襖ふすままでどれも真新しい。
平間が一人で生活する分には申し分無い。
一國一城の主、とはよく言ったもので、自分だけの家を持てることに、平間はにわかに気分が高揚した。
「でも、さすがに三人がここで寢るのは難しいかな……」
そう、平間に壱子、そして大男の隕鉄が寢泊りするには、この家はかなり窮屈だ。
だからと言って、周囲にあるのは資材が積まれた空き地や、除草もされていない野原くらいなもので、手頃な宿があるわけではないから、別々に寢ることも出來ない。
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さてどうしよう……と思案する平間の頭に、さらなる心配事が浮かんだ。
「しまった、布団も無いぞ」
そう、がらんとした新居には家などの生活に必要なものは何も無く、いわば「ハコだけ」の狀態だったのだ。
今から寢を買いに行くにしても、普通の店は日沒と共に閉まってしまうから、間に合わないだろう。
戸口で平間がウンウンと唸うなっていると、隕鉄がするりと部屋にっていく。
平間と壱子が不思議そうに見ていると、隕鉄は押れの襖ふすまに手をかけ、開けた。
「そんなこともあろうかと、我われが今日の晝に最低限の家を用意しておいた。もちろん、三人分の寢もあるぞ」
見ると、押れには新しい布団が丁寧に折りたたまれていた。
他にも部屋の片隅に置かれた火鉢や炭れがある。これも隕鉄が用意してくれたものなのかもしれない。
暖かくなってきたとはいえ夜はまだ寒い季節だ。
この気遣いはありがたい。
「隕鉄さん、お気遣いありがとうございます」
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「良い良い。お嬢と平間殿のの回りの世話が我の仕事ゆえ」
謙遜する隕鉄に、平間は心の底から謝の念を表す。
それと同時に、今日一日の疲れが平間の全にどっと出てきた。
今日一日々あった。
良く分からない部署に配屬されて、気難しくて頑固な壱子の面倒を見させられて、よく分からないうちに殺されそうになって、豪快でゴツい謎の大男に助けられた。
……々ありすぎだ。
ふと橫の壱子に目をやると、大あくびしている真っ最中だった。
見られていることに気が付いた壱子が、慌ててあくびを噛み殺す。
「眠くないからな」
「まだ何も言ってないでしょ」
平間が答えると、隕鉄が噴き出した。
そんな隕鉄を壱子が睨む。が、すぐにまたあくびと戦い始めた。
よほど疲れたのだろう。
「平間、上がって著替えても良いか?」
「それはいいけど……壱子、著替えは?」
「……あ」
完全に忘れていたらしい。壱子はの回りのことを全てに任せてきていて、今まで自分で著替えの用意をしたことも無いのだろう。
思えば、壱子は手ぶらで祓魔係ふつまがかりを出てきていた。
そんな彼が自分の著替えや寢巻きを持っているはずも無い。
もしや、と思った平間は、ハッとして隕鉄の方を見る。
平間と目を合わせた隕鉄は、目のしわを深くして、大きく頷いた。
きちんと用意してあるらしい。
「さすがですね……気遣いの塊、歩く用意周到」
「そう褒められては照れるわい。あれもこれも梅乃殿の指示ゆえ」
「……梅乃さんも卒が無い人ですね」
「左様、まっこと梅乃殿はお若いのに聡明だ。お嬢もなかなかではあるが、梅乃殿はお嬢の一枚も二枚も上を行っておられる」
「……おい、私の悪口はやめろ」
もともとツリ目がちの壱子が、今は眠そうに眉をひそめているせいで、いつも以上に不機嫌そうに見えた。
「悪口などとんでもない、褒めておるのです。お嬢は賢くて可らしいと」
「そんな分かりきったこと、いまさら口に出す必要も無かろう。さ、頼む」
息をするように自らを誇ると、壱子は漆塗りの下駄をいで畳にあがり、十字を作るように両手を真橫に上げた。
「……磔刑たっけいされた刑者の真似?」
「たわけ、そんなわけないじゃろ。今から著替えるのじゃ、手伝え」
「……?」
壱子の言う意味をしばらく考えて平間は得心した。
つまり、壱子にとって著替えは「自分一人でするもの」ではないのだ。
「隕鉄さん、手伝えって言われてますけど」
「む、我は平間殿に言っているのかと」
「……そんなはず無いじゃないですか。壱子との付き合いも長い隕鉄さんなら、今まで壱子の著替えを手伝ったことくらいあるでしょう?」
「ある。しかし、我はこの後用事があるのだ。忘れておったわ。きっと著替えが終わった時には戻れるゆえ、平間殿、頼んだ」
そう棒読みで言うと、隕鉄は平間の肩にぽん、と手を置き、土間の高下駄を履いてそそくさとどこかへ行こうとした。
その隕鉄の太い腕を、平間は慌ててつかんで引き止める。
「ちょ、ちょっと! なんでそんな分かりやすい上に訳の分からない噓をつくんですか!?」
「はて何のことやら。では我はこれで」
「とぼけないで! 後生ですから!」
「平間、早くせよ。つかれたのじゃ」
おどける隕鉄に平間がすがりつくのを見て、壱子が催促する。
「ほれ、お嬢も平間殿をご所だわい」
「別に平間がいいというわけではないぞ、隕鉄。お主は力が強すぎて、ところどころ雑で痛いのじゃ」
「だそうだ。平間殿」
渡りに船とばかりに壱子に便乗する隕鉄は、やはりどこか楽しそうだ。
対する平間は、猛烈に首を橫に振って言った。
「無理です! そもそもの著の構造もわからないですし――」
「分からずとも、私の言うとおりにすればよい。ひらま、ねむい」
「だそうだ。平間殿」
「だそうだ、じゃない! 壱子も、僕に著替えを手伝わせるなんて何のつもりだ!」
「何もへちまも無い、一人で著替えるのが大変だから手伝ってくれと言うておるのじゃ」
どうも論點がズレている。
平間が言っているのは、まがりなりにも貴族の娘である壱子が男である平間にをさらすことが問題だということだ。
隕鉄くらいの歳の男だったらどうと思うことも無いだろうが、平間はそういうわけにもいかない。
いくら相手が壱子でも、さすがに意識してしまう。
「とにかく、僕は手伝わないから! 隕鉄さん、お願いします」
「そこまで頑かたくなに言うならば、我も無理強いはしない。しかし、いいのか」
「……何がですか」
「我が平間殿の年のころは、老婆のでも見たいような年であった。後悔するぞ」
「しませんから!」
平間はぶように言うと、持っていた荷を置き、庭に出てぴしゃりと障子を閉めた。
心労と疲労のせいか、大きなため息がこみ上げてくる。
中からは、隕鉄のこらえるような笑い聲が聞こえてきた。
「のう隕鉄、平間はなぜあんなに必死に嫌がっておったのじゃ?」
かすかなれの音と共に、壱子の聲が聞こえてくる。
平間と壱子は障子に張られた和紙一枚でしか遮られていないのだから、音が良くれるのは當然だろう。
壱子の疑問に、隕鉄がのんびりした聲で答える。
「我が思うに、それはお嬢が可らしいから、ですな」
あの坊さんは何を適當なことを言ってるんだ。
「ほう。私が可いのは分かるが、それがどうして平間が嫌がるのにつながるのじゃろうか」
だから、そういう時は謙遜するんだって、さっき言ったのに。
「お嬢、男とはそういうものなのです」
「ふむ? わからん」
眠そうに言う壱子の聲に続いて、再び大きなあくびをする音が平間の耳にる。
彼のせいで気をんだ平間の気も知らず、呑気なものだ。
始まったばかりの春の夜は、まだ寒い。
一人で庭にたたずみながら、平間は小さく震いすると、大きくあくびをして壱子の著替えが終わるのを待った。
どこぞの草むらで蛙の鳴く聲が聞こえる。
「まあ、のどかで良い所だな」
平間は一人で呟いて、小さく笑った。
――
「平間、終わったぞ」
庭にいる平間に、壱子が障子を開けて聲をかける。
平間が顔を上げてみると、艶やかな白い絹の寢巻きにを包んだ壱子がいた。
花を模した小さな髪飾りを外し、また鮮やかな著をいだ彼は、晝間のそれとはまた違う印象をける。
に纏っているものが簡素になった分、壱子自の整った顔立ちや、くりっとした大きな瞳が際立って見えるのだろう。
平間が視線を落としていくと布の枚數がなくなった分、壱子の華奢なの線が、らしい緩やかな曲線を描いているのも分かる。
壱子自の持つ素樸なしさに平間がしばし見とれていると、不思議そうに壱子が首を傾げた。
「そんなにぼうっとして、疲れたのか?」
「え? ああ、いや、なんでもない」
壱子の言葉に平間は慌てて首を振ると、なぜかし悔しい気持ちに襲われた。
その理由が分からない気持ち悪さを無理やり頭の奧に追いやって、平間は意図的に真顔を作って、平靜を裝った。
部屋の中に戻ると、隕鉄が布団を敷き終えるところだった。
部屋の隅には、壱子の著ていた著が丁寧に折りたたまれて置いてある。
消去法で、これも隕鉄がたたんだものだろう。
今後壱子と行を共にするために、自分も著の扱いに離れておいたほうがいいかも知れないな、とぼんやり平間は考えた。
だがそれにしても、三人分の布団を敷くと隨分と狹くじる。
こればかりはどうしようもないのだが……。
「では、寢るとするかの。隕鉄、ご苦労じゃった」
「なんのなんの。で、端からお嬢、平間殿、そして我の順番で寢るということでよろしいか。我は図ばかり大きいゆえ、間に寢ると邪魔でしょう」
「それは構わぬ。平間も良いか?」
「いいですよ。でも僕が真ん中なんですね」
何の気なしに言った平間の言葉に、隕鉄は大きく頷いた。
「左様、さもなくば共倒れになるゆえ」
「共倒れ……?」
「いやこれは失敬、忘れてくだされ」
首を傾げる平間をよそに、壱子はさっさと布団にもぐりこんでしまった。
こういう自由なところは、貴族の娘という壱子の貴とうとい生まれのせいだろうか。
などと平間が推測していると、早くも壱子の小さな寢息が聞こえてきた。
「……僕たちも寢ますか」
苦笑して平間が言うと、隕鉄は壱子を起こさないように無言で頷いた。
――――
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