《わがまま娘はやんごとない!~年下の天才と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~》七話「彼の過去に目を向けましょう」
「え、あんたたち勝未かつみに行くのかい?」
富月ふづき村の宿屋の將は、驚いたように言った。
そして付きの良い腕を組んで、同するように言う。
「確かにここから勝未までの距離はあまり無いよ。でも、獣道を抜けて山を一つ越えなきゃいけない。楽な道じゃないから、勝未に行く人が富月に來ることはあまり無いんだけどねえ」
「そうですか……」
平間は肩を落とした。確かに地図上では目的地の勝未村と今いる富月村はすぐ近くなのだが、どうも富月村は三方を山に囲まれた土地であるらしく、そこから周辺の村々に行くのは難しいのだという。
とはいえ、さきほど富月村に著いたときにはほとんど日が暮れかけていて、今から引き返すことは出來ない。背に乗せてくれた大豬おおいのししも、もうこの村の一畫にある施設に返してしまった。
今日のところは、ここで一泊するしかないだろう。
それについては誰も異存が無さそうだったので、平間は懐の財布から宿泊費を取り出し、將に手渡した。
け取りながら、將は平間に不安そうな顔で言う。
「知っているかは分からないけど、勝未って最近変な噂もあるだろう?」
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「それって、ヌエビトのことですか」
「そうそう、その何とかっていう化けね。勝未に最近行った事のある人はまず間違いなく見てるって言うし、こっちのほうまで足をばしてこないか心配だよ」
まず間違いなく見ている……?
そんなに頻繁に遭遇するものなのだろうか。
「ちなみに、このあたりでヌエビトを見た人はいるんですか?」
「いや、それは聞いたことが無いね」
「そうですか……分かりました。ありがとうございます」
平間たちを部屋に通すと、將はさっさと部屋を出て行った。
話を隣で聞いていた壱子が、申し訳無さそうに平間を見上げて言う。
「ここから勝未まで行くのは大変じゃったのか……。知らぬこととはいえ、私のわがままで余計な苦労をかけることになってしまった……すまぬ」
「謝ることなんてないよ。もともと今日皇都を出発して、明後日著く予定だったんだ。それが壱子のおかげで明日には勝未村に著けそうだ。多道が悪くたって、一日歩き通すのと比べたら大した苦労じゃない」
「そうそう、壱子ちゃんが気にすることじゃないって。それにアタシはあの大きな豬に乗るのだって楽しかったよ! 偉い人って、あんな景を見てるんだねえ」
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橫から沙和が口を挾んでくる。そしてしれっと壱子の頭に手をれようとするが、壱子はその手をひらりとかわした。
そんな壱子を見て、沙和は大げさに眉をしかめた。
「もー、壱子ちゃんってば、冷たいなあ」
「お主に冷たくなかったことなど無いじゃろ」
「ひどい! けど冷たい壱子ちゃんも可い!」
そう言うと、沙和は勢いよく壱子に抱きついた。運神経の悪いせいか、壱子は今度は避け切れずにあっさり捕まってしまう。
延々と頬りされている壱子に、思い出したように平間が言う。
「ああそうだ、風呂があるらしいから、先にってきたらどう? 二人で」
「ば、馬鹿を言うな! こんなやつと二人で風呂にでもってみよ、何をされるか分かったものではないわ!」
そうは言っても、壱子の生活環境からして一人で風呂にれるかは怪しい。
だからといって平間や隕鉄が一緒にるわけには……いや、隕鉄ならいいのかもしれないか。
しかし、同姓同士なら問題も無いだろう。ふざけてはいるが沙和も決して悪い人間には見えないし、壱子も沙和の距離に慣れておいたほうが良い気がする。
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「何されるか分かったものじゃないって……そう壱子は言っているけど、沙和さんはどう?」
「うふふ……優しくします♪」
「だってさ。良かったね壱子」
「あからさまに良くないじゃろ!! おい、そんなところるな! 平間、後で覚えておくのじゃぞ!」
沙和は満面の笑みで壱子をひょいと擔ぎ上げ、風呂場のほうへ歩いていく。晝間は平然と大きい荷を持っていると思ったが、沙和は見た目は細い割に力持ちだ。
擔がれた壱子はしばらく足をばたつかせていたが、抵抗しても仕方ないと悟ったのだろう、諦めて途中で大人しくなった。
……まあ、壱子はああ言っていたがそこまで変なことはされないだろう。
平間は部屋に雑に置かれている座布団を取り、隕鉄の橫に腰を落とした。
「お嬢は著替えを持たずに行ってしまったな。後ほど、我われが持って行こう」
「お願いします。行ってしまったというか、持って行かれてしまったってじでしたけど」
「確かにそうであるな。それと、こんなことを言いたくはないのだが……あの沙和という娘、お嬢が狙いで近付いてきた可能もある。あまり目を話すのも心配だ」
「でも、沙和さんには壱子が貴族の娘だってことを言っていないでしょう?」
「そうだが、どこぞで聞き、目を付けたのかも知れぬ。それに先日、貧民窟で平間殿とお嬢を襲った男も気になる」
確かに、あの男と沙和の関係を否定することは出來ない。そうでなくても、何かしらの企みがあってもおかしくない。向こうから近づいてきて、向こうから同行を希してきたのだ。
沙和の様子からだと、あまりその可能が高いとも思えないが……。
「幸い今晩は四人全員で一部屋だ。これならある程度の監視は可能であろう」
「代で番をしますか?」
「いや。我一人で十分だ。修行の果で、多寢ずとも數日は問題ない。それに平間殿には明日からの調査を頑張ってもらわねばならぬからな」
隕鉄は髭の中から白い歯を見せて笑う。
そうは言っても、今日は丸一日移しっぱなしだった。実際平間もかなり疲労が溜まっているし、いくら隕鉄のが常人離れした強靭さを持っているとしても、眠らないでいられるというのは眉唾だ。
「いずれにせよ、我が著替えを持って行くついでに風呂場の様子を見てこよう。覗きにならない程度に、であるが」
「お願いします。そういえば、隕鉄さんは壱子との付き合いは長いんですか?」
「左様。我はもともとお嬢のお母上にお仕えしていて、それからの馴染みだ。お母上は、たいそうしい方だった」
「壱子のお母さん、ですか?」
思えば、壱子から両親の話を聞いたことが無かった。
隕鉄は懐かしそうに目を細めて続ける。
「才兼備とは、まさにあの方のためにあるような言葉だ。無論、お嬢もそのを濃くけ継がれておる。あの子は將來人になるぞ。我が保証しよう」
「はは、僕に保証されても……」
「む、平間殿はお嬢のことはお嫌いか」
「嫌いではないですよ。むしろ好きです。し変わり者ですけど、基本的にはいい子ですし、素直だし、優しい」
「そうであるか、良かった。お嬢はずっと孤獨であったから、平間殿のような友人が出來て、きっと喜んでおるだろう」
「そんなことは……。って、壱子が孤獨だったというのはどういうことですか?」
貴族の娘ならば、周囲に沢山の人がいるものだと思うのだが。
平間の問いに、隕鉄はしばし考え込む。そして、重々しく口を開いた。
「お嬢は々特別なお生まれでな。周囲の人間との関わりを極端に絶った環境で過ごしてきたのだ。一年のほとんどを屋敷の中で過ごし、周りにいるのは世話役のと梅乃殿、そしてお母上くらいのものであった。しかし、八年前にお母上が亡くなられた」
「亡くなっていたんですか……」
「うむ。あの方は最後までお嬢のことを気にかけられていて、我にお嬢をよろしく頼むと命じられた。しかしお母上の死から、お嬢はひどく塞ぎ込むようになってしまった。終始一緒に過ごしていて、仲も良かったから仕方あるまい。それ以降もお嬢にはつらい事が続いて、周囲の者も、そしてお嬢自も壁を作るようになってしまった」
隕鉄は視線を虛空に向け、そのかな髭をでる。
壱子が夜、何かに抱きついてしまうのは、無意識に母親を求めてのことなのかもしれない。そう思うと、平間はの片隅がえぐられるような心地がした。
難しい顔をした平間を勵ますように、隕鉄は強いて明るい聲で言う。
「しかし、平間殿、貴殿と一緒にいるときのお嬢はすごく生き生きとしておられる。我や梅乃殿が何をしても、あのように楽しそうな笑顔を見せることはなかったのに、だ」
「それは、屋敷の外の世界に興味を惹かれているからでは――」
平間の聲を遮るように、隕鉄は首を橫に振る。
その表は、嬉しさの中にどこか寂しそうなを含んでいた。
「そうかも知れぬ。そうかも知れぬが、我は平間殿の存在が大きいと思うておる。そして願わくば、今後ともお嬢と共にいてやってほしい」
「それは、構いませんが」
「良かった。よろしくお頼み申す」
隕鉄は、顔に刻まれた深いしわをさらに深くして笑い、深く頭を下げた。
そのしぐさ一つをとっても、いかに壱子が隕鉄に大切に思われているかが痛いほどに分かる。
その隕鉄の想いも、壱子の特殊な境遇ゆえなのだろうか。
「さ、我らはお嬢たちが戻ってくる前に寢床の準備をしてしまおう」
「そうですね。あ、壱子の隣は沙和さんでいいですか?」
そうすれば、壱子が抱きつくのは沙和になるはずだ。
平間の意図を察したのだろう、隕鉄はおどけて言った。
「……平間殿、貴殿も悪ワルだのう」
「隕鉄さんほどじゃありません」
二人の男は、蝋燭の燈る部屋でニヤリと笑った。
――
【皇紀五五年三月三日、朝】
平間は、前日と同じような息苦しさを伴う圧迫で目を覚ました。
もしや、と思い掛け布団をめくると、案の定平間の足に引っ付いた壱子がいる。
まだ覚め切っていないを無理やり起こし、戸いながら呟いた。
「どうして……確かに昨日は離れて寢たはず――」
「左様、眠ったときは、であるが」
窓側の壁にもたれて目を閉じた隕鉄が、意味深な口調で言う。そういえば、隕鉄は寢ずに見張っていたんだった。
それにしても、手近なもの(人を含む)に抱きついて眠るはずの壱子が、どうしてまた平間にくっ付いているんだろう。
昨日は、部屋の奧に何も知らない沙和の隣に壱子、手前に隕鉄と平間が寢るという、「二かける二」の形をとっていた。普通なら、壱子は今頃沙和に抱きついているはずだ。
……まさか。
「隕鉄さん、寢ている壱子をかしました?」
「誤解だ。我は昨晩お嬢には指一本れておらぬ」
ということは自分がかされたか、と平間は思ったが、昨日から位置は変わっていなかった。そういうわけではないらしい。
ではなぜ、壱子が平間の近くで寢ているんだ。
「壱子が自分でいた……?」
「その通り。お嬢は夜中に手洗い場トイレに立たれてな。我が起きていることに気付いて付いて來るように言われた」
「それで?」
「ここに戻られたお嬢は、部屋の置くに敷いてある自分の寢床に向かわれた。が――」
無念だ、と言わんばかりに隕鉄は首を振る。
その仕草から、平間はかすかに悪意の臭いを嗅ぎ取った。ありていに言えば、嫌な予がした。
「お嬢はちょうど平間殿の寢ているあたりで力盡き、眠り始めたのだ。お嬢は力が無いから仕方あるまい」
「それは良いんですけど、なんで壱子を自分の布団に戻さなかったんですか?」
「では逆に問おう。我がお嬢を沙和殿の隣に寢かせていたら、どうなっておっただろう」
「まあ多分、壱子は沙和さんに抱きついて眠りこけていたんじゃないですか」
「そうであろうな。しかし我はそうしなかった。何故だ?」
何故と言われましても。
壱子をゆっくり休ませてやりたかったから……ではないな。かさない理由にはならない。
沙和が信用できなかったから? だがそれならば最初から離して寢かせればいいだけのことだ。
いくら頭を捻っても、隕鉄の行に合理的な理由があるとは思えない。
「もしかして……、面白いから?」
隕鉄は平間に向けて指を鳴らした。正解か。
「何してくれてるんですか!」
「シッ、大聲を出したらお嬢が起きてしまうであろう」
まったく、隕鉄のいたずら好きには困ったものだ。
平間は起きて早々ため息をつく。
「あ、そういえば昨日は何かありましたか」
「いや、風呂場でもここでも怪しいことは何も無い。実に靜かな夜であった」
「そうですか……」
何も無いに越したことは無い。
いいことだ。
「あれー? 平間くんと壱子ちゃん、すごーく仲が良いんですねぇ」
いつの間にか目を覚ましていた沙和が、ものすごく嬉しそうに言う。
今から壱子の束縛だけでなく、沙和の誤解も解かなくてはならないのか。
めんどくさい……。
平間は、二日連続で寢床で頭を抱えた。
――――
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