《わがまま娘はやんごとない!~年下の天才と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~》十九話「心を強く持ちましょう」二
【皇紀五五年三月十六日、夜】
「ねえ、壱子」
沙和の亡骸の前で、壱子はたたずんでいた。
末な服ながらも凜たる雰囲気を醸し出す壱子だったが、その小さな背中は今にも消えてしまいそうなほどに細い。
漠然とした不安に囚とらわれて、平間は再び壱子に聲をかける。
「壱子、大丈夫?」
平間が肩にれると、壱子のがびくりと震える。
しかし壱子が振り向くことも、答えることも無かった。
――
この日、壱子は沙和の呼吸と鼓が止まるその瞬間まで、片時もその傍そばを離れようとはしなかった。
食事も摂らず、皇都の屋敷から持ち出したいくつかの書をしきりにめくっては、ハッと何かに気付いたような顔をして、しかしすぐに力なく首を振るのを繰り返す。
今になって思えば、そのときの壱子はきっと沙和を助ける糸口を探そうと必死にもがいていたのだろう。
先ほどから聲をかけている平間だが、だからと言って何を言うべきか分かっているわけではない。
ただ、壱子を今のままにしてはいけない、その一心だった。
無策な自分の至らなさに、平間の顔も俯きがちになってしまう。
「……不思議と」
おもむろに出た壱子の聲に、平間は跳ねるように顔を上げた。
それとは対照的に、壱子はやはり微だにせず、続ける。
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「不思議と、涙は出ぬものじゃな」
まるで他人事のように言う壱子の表は、平間からはうかがい知ることは出來ない。
そしてそれに返すべき言葉も、平間は見つけられないでいる。
走行しているうちに、壱子が再び口を開いた。
「平間、これからのことのために、し私の昔話を聞いてくれぬか」
壱子の言う「これからのこと」が的に何を指すか分からなかったが、平間は「分かった」と短く返した。
その返事からし間を置いて、壱子が続ける。
「ありがとう。もしかすると、これを聞いたらお主は私のことが嫌いになるかも知れぬ。そのときは……そうじゃな、明日の朝にまで泊めてくれ。お主が起きるまでには姿を消しておこう」
あまりに突飛な壱子の申し出に、平間は眉をひそめて黙り込む。
壱子が何を考えているか、あるいは何を言いたいのか、平間には皆目見當が付かなかったからだ。
平間が何も言わずにいると、壱子はさらに付け加える。
「それと……一応いまのに言っておこう。お主はまず間違いなく皇都に戻ることが出來る。私は、もしお主の許婚だとしか思われていなかったら。分からぬ」
「壱子、さっきから何を言っているか全く分からない。頼むから、ちゃんと分かるように言ってくれ」
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「すぐに分かるはずじゃ。次に日が昇り、沈んだころには恐らくな。そんなことより、私はお主に今、話しておきたいことがある。済まぬが、我慢して聞いてくれ。これは私と親しくしてくれたお主への、心からの願いじゃ」
そこまで言って、壱子は振り向いた。
彼の顔は青く、小刻みに震えている。
その異様な雰囲気に、平間は思わず壱子の肩に手をかける。
し骨の浮いた、細い肩が跳ねた。
「壱子、何をそんなに怖がっているんだ!?」
「平間、お主は役人じゃ。だから帰ることが出來る。しかし、私や隕鉄は違う。必要とされていない。沙和もそうであった。もしかしたら、既に私も……ああ、考えても仕方ないことは考えるべきではないな。すまぬ、今は私に話をさせてくれ。そして、私を憶おぼえておいてしい」
を青くしながらも真っ直ぐに見つめる壱子に、平間はただうなずくことしか出來ない。
平間の是認をけて、壱子は安心したように息を吐くと、無理やり笑みを作って言う。
「これから昔話をしよう。し長くなるが、聞いておくれ」
それは、どこか上ずった聲だった。
明るい雰囲気を作ろうとしているのか、と平間は思ったが、実際はどうか分からない。
「私はな、平間、今までに泣いたことが一度だけあるのじゃ」
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「泣いたこと? それって、壱子のお母さんが……?」
それは口を付いて出た言葉だったが、「亡くなった時か」と言う前に平間は思いとどまる。
同時に、壱子が驚いたように目を大きく開いた。
しばらくそうしていたが、迷うように視線を上に泳がせると、さっきよりはしだけ上手な微笑を作った。
「知っておったのか。梅乃から……ではないな。隕鉄から聞いたのか?」
なぜか後ろめたさをじた平間は、無言でうなずく。
「そうか。いや、別に言う機會が無かっただけで、隠すつもりは無かったのじゃ。しかし、違う。その時ではない」
「違う?」
「ああ。私はな、母上が死んだときにも涙を流すことは無かった。心の底から慕っていたのにも関わらずじゃ。しかしいま思えば、私もかったから、母上の死の意味を分かっていなかったのかも知れぬ」
「だったら……」
「どうして泣いたのか、じゃな。まあ、もったいぶってする話でもないが……」
そう言って、壱子はなぜか恥ずかしそうに片側の口角を上げる。
「私の母はいわゆる後妻ごさいでな。梅乃は一人目の母の胎はらじゃから、私にとっては異母姉妹ということになる。ああ、義理の母は生きておるし、恐らく悪い人間ではない」
恐らく、と言うのは、あまり流が無いからだろうか。
平間にはよく分からないが、貴族の義理の親子の間柄はそんなものなのかもしれない。
「しかし昔の私は引っ込み思案で、歳の離れた梅乃とすら中々打ち解けられなかった。八年前に母上が死んだあとは、その人見知りがもっと酷くなってしまってな。そんな時、一人のが私に付いた。その時の父上は私にあまり心を持っていなかったから、梅乃が気を使って父上に働きかけてくれたのかも知れぬ」
「もしそうなら、梅乃さんは妹いちこ思いなんだな」
「ああ、自慢の姉じゃ。當時の梅乃と同じくらいの歳になったが、私が同じように気を回せるとは思えぬ。しかし自分ではなくを付けさせる辺りは、肝心なところで自信の無いと見える。そういうところは、今も昔も梅乃らしい。いざと言うときにしり込みするから、量よしなのに婚期を逃すことになる」
かすかにだが、作りでない笑顔を壱子は浮かべる。
その表に、平間はし安心する。
「話を戻そうか。そのは若く、裏表の無い格じゃった。名は和泉いずみと言っていたが、本當の名かどうかは分からぬ。貴族に下仕えする者には、名などあって無いようなものじゃからな。和泉と私が出會ったころは多分、和泉は今の平間と同じくらいの歳だったはずじゃ。決して知的ではなかったが、快活で明るく、正義が強かった。間違っていると思ったことは、相手が誰であろうと意見するようなじゃった」
言葉を切って、壱子は息を吐く。
長く話して疲れたのか、あるいは次にどう言葉を紡つむぐべきか考えているのか。
恐らく後者だろう。
平間は「和泉はまるで沙和みたいだ」と思ったが、さすがに今それを口にするのは憚はばかられた。
どう相槌を打つか迷っているに、壱子が再び口を開く。
「それに対し、私は見ての通り口下手で暗ねくらじゃ。屋敷のはずれにある一室に篭こもって、母上がのこした絵巻ばかり読んでおった。そんな私に、和泉は『ちゃんと食事を摂とれ』だの『暗いところで本を読むな』だのと口うるさく言って來おったのじゃ。一介のが、大貴族の娘にじゃぞ? まるで考えられぬ」
「その和泉さんに、壱子はどうしたんだ」
「無視したり、睨んだり、逃げたり、まあ々じゃ。今ならそんなことはせぬが、私もまだ若かったからのう」
「若かった、ねぇ……」
壱子より年上の平間は、突っ込む気も起きない。
平間の呆れ顔を、壱子は怪訝そうに眺める。
「まあ良い。しかし、無遠慮に人の領域にぐいぐいとり込んでくる彼奴きやつの分は意外に私と合って、次第に私も和泉に気を許していった。それに、私に注意しに著た和泉と一緒に本を読めば、小言を聞かなくて済むことにも気付いていた。その辺りでは、私もソツが無いじゃろう?」
いたずらっぽく笑う壱子は、しかし、すぐに悲しそうに目を伏せた。
「そうやって打ち解けていったある日、父上は醫事方いじかたと私に目を付けた。平間は醫事方について、どの程度知っておる?」
壱子の言う醫事方いじかたとは、皇國の役所の一つだ。
その名の通り、醫學や疾病しっぺいについての知識を集約したり、研究を行ったりしていると聞く。
しかし、平間は醫事方が的に何をしているのかを知らなかった。
そのことを平間は正直に壱子に伝えると、予想通りだといわんばかりに頷く。
「そうか。まあ仕方があるまい。醫事方に蓄えられている知識はほとんど外部には持ち出されておらぬ。ツツガムシについての報も開示されたのは九年前じゃが、調査自は十五年前に終わっておった」
「ちょっと待ってくれ。素樸な疑問なんだけど、どうして隠す必要があるんだ? 病気について分かっていることがあるなら、広く知らしめて対策を取った方が良いと思うんだけど」
平間の至極まっとうな意見に、壱子は顔をしかめる。
「その通りじゃ。しかしな平間、知識は力なのじゃ。多くを知っている者は、そうでない者に対して優位に立つことが出來る。醫事方を牛耳っているのが一部の貴族であると言うこともあって、醫事方は己が持つ報を開示したがらない。報は広く知られると、その報を得ている優位が失われてしまうからじゃ。それに醫事方が何かを開示したとしても、それを閲覧できるのは薬學院などのごく一部の者たちだけじゃ。おそらく醫事方が得ている報のうち、民草たみぐさが知っているものは極々一部じゃろう。いや、あるいは皆無かも知れぬ」
壱子の言葉に、平間はあることに気付いた。
それは、とても恐ろしい事実だ。
「そんな……だとしたら、勝未村で出たツツガムシの犠牲者は、完全に無駄死にじゃないか。だって、村の人たちがツツガムシについて知っていたら、たくさんの人が死ぬことは無かったのに……!」
「そうじゃな。しかしそれは、もともと薬學院にいた皿江が本當にツツガムシのことを知らなかったら、の話じゃが」
壱子の言うとおり、かつて皿江は壱子の「ツツガムシについてあらかじめ知っていたのでは」という追求に首を橫に振った。
もし本當に知らなかったのなら、村長である彼の後悔のほどは想像を絶する。
しかし、実は知っていたとすると……?
そこまで考えたが、平間が結論を出すことは出來なかった。
平間が考え込んでいると、壱子が話を戻した。
「さて、醫事方じゃ。醫事方を主に取り仕切っているのは枕草まくらくさという貴族の一族で、醫事方の長も枕草の者じゃ。そして枕草は、私の生家である佐田と相爭っている。そこで父上は、枕草の牙城をどうにか切り崩せないかと常に考えていたらしい」
「枕草、ねえ……でも結局対立している同士なんでしょ? その枕草と壱子が、何の関係があるわけ?」
「私も、何も関係ないと思っていたよ。しかし、父上は権力爭いに関しては天才的で、使えるものは何でも使うような人じゃ。無論、私もその道の一つじゃった」
壱子の言葉に、平間はなんとなく嫌な予がよぎる。
貴族の娘を「使う」と言う時は、それは得てして政略結婚を指すことが多いからだ。
平間は知らず知らずに浮かない顔をしていたのか、壱子が怪訝そうに平間を見る。
「妙な想像をしておるのかも知れぬが、多分違うぞ」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
「とりあえず話は最後まで聞け。醫事方では、記録を紙には取らぬのじゃ」
「紙に記録を取らない? なんで?」
平間の問いかけに、壱子はうんざりしたような顔を作る。
「老人にありがちな考えじゃ。紙は技としてまだ新しいじゃろう? そう、なくとも竹簡や木簡よりは。すると、古い人間は新しいに、やれ『無粋だ』だの『軽率だ』だのと言ってけれようとせぬ。そして、この國で古い人間が最も多い人種は何か分かるか」
「……貴族か」
「正解じゃ。そのせいで、醫事方はこの國で最も進んだ知識を有しておるにもかからず、最も古い考え方をする人間によって支配されているのじゃ」
「なるほどね……じゃあ、醫事方では紙を使わずに、竹簡なんかに記録を取っているわけだ」
「殘念じゃが、それも違う。竹簡が使われるのは、一時的に報伝達するときのみじゃ。そしてそれらは、役目が終われば即座に焼き捨てられる」
「だったら、何に記録するって言うんだ? 紙でも竹間でも木簡でも無いんだったら、記録できるものなんて何も……」
平間がそう言うと、壱子は黙って自分のこめかみを、トントンと指で叩いて見せた。
一瞬、平間には壱子が何を意図することが分からなかった。
が、し迷って、ハッと気が付く。
「……壱子、それ本気で言ってるの?」
「本気じゃ。無論な」
到底信じられない平間は、恐る恐る確認する。
「つまり、醫事方の記録は人が記憶することで保たれているってこと?」
「そうじゃ。非効率的じゃろう?」
「うーん、なくとも僕だったらそうはしないかな」
「同じゃ」
しだけ表がらかくなってきた壱子に、平間は浮かんできた疑問をぶつける。
「で、その醫事方が何なの? 今までの話だったら、壱子とは何の関係も無くない? ……まさか」
「勘が良いな。その通りじゃ」
壱子は何でもないことのように言うと、小さく息を吐き、そして口を開いた。
「私の頭には、醫事方の全ての記録がっておる」
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