《【完結】辛口バーテンダーの別の顔はワイルド曹司》9.タクミの本は
それから三週間ほどは仕事が忙しく、なかなか飲みに行ける時間が取れない日が続いた。
今日も土曜だというのに休日出勤をしているためオフィスにほぼ人影はない。道香は時計を確認して溜め息を吐き出す。21時半だ。
本來なら夕方には上がるはずが、上がる直前で取引先とのトラブルが発生してしまい後処理に追われた。とりあえず今日できることは全て終えたので、家に帰るか気晴らしにバーに寄るか迷っていた。
マサはあの日、家の前まで道香を送ると、自分は行くところがあると言って代金をけ取らずに他の場所に向かった。あやのところだろうか。そう思うとがチクリと痛んだ。
今日は土曜なので遅くまで飲んでいればマサが來るかもしれない。たかが半月ほど前までタクミに夢中だったのが噓のように、マサのことばかり考えている自分にけない笑いが込み上げる。
「タクミさんよりややこしそうなのにな」
電車のつり革を握り直すと、騒音に掻き消されるような小さな聲でそう呟く。
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道香は悩んだ挙句、人がごった返すターミナル駅で電車を降りた。
人混みをすり抜け、喧騒からし外れた裏手の細い道にり『アスタリスク』を目指す。
珍しく重い扉は開け放たれ、階段を降りると扉に貸切の札が掛かっていた。
「あちゃー。失敗したな」
ドアの前で肩を落とすと道香は方向転換し、すぐにまた階段を登り始める。
「あれ?道香ちゃんじゃない」
階段を降りてきたのはタクミだった。
「タクミさーん。お久しぶりです。今日は貸切なんですね。また別の日に來ます」
幅の狹い階段なので、道香は一旦下まで降りると、タクミが階段を降りられるように場所を譲る。
「道香ちゃん一人くらい大丈夫だよ。貸切って言ってもカウンター埋まらない程度だから。ってって」
タクミに肩を抱かれて一瞬ビクリとする。何気ないことかも知れないが、タクミからは甘い匂いがした。
チリンとドアベルを鳴らしてタクミが扉を開けて中にる。
貸切の客はそれを気にする様子もなくシート席で盛り上がってダーツや會話を楽しんでいる。服裝を見る限り結婚式の二次會だろうか。
カウンターの中には、マサでなく慎吾が立っている。道香も何度か話したことがあるスタッフだ。マサがいないことにどこか殘念な気持ちになりながら、タクミに勧められるままカウンターの端の席に座った。
「さて。ピーチフィズで良いのかな」
「いえ、ロングアイランドアイスティーを」
「そんなに気にった?」
「実は飲めないんじゃなくて、酔ってしまうのが嫌で外では控えてるだけなんです」
「なるほど。それは大人な判斷だね」
タクミはとびきりの笑顔で道香を見ると、手元に材料となるボトルを揃えてカクテルを作り始める。
白くしなやかで細長い指がカクテルをステアする。クラッシュアイスがグラスの中で混ざるキラキラする音が耳に心地好い。
「はいどうぞ。一気に飲まないようにね」
「分かってますよ」
タクミに笑って答えると、甘く飲みやすいカクテルがを熱くした。
「おつまみ頼めます?」
実は腹ペコでと道香はお腹をさすりながら苦笑いでタクミに話し掛ける。
タクミは生ハムやスモークハム、チーズやクラッカーの盛り合わせをすぐにサーブしてくれた。
「空きっ腹にそれだと酔いが回るだろうから、しっかり食べて楽しんで」
そう聲を掛けると、道香の手にそっと手を添えて手の甲を指の腹ででた。
急に艶めいた仕草をされ、どう反応すれば良いのか分からず、道香は曖昧に笑って逃げるように手を避けてつまみのハムを頬張った。
名目上は貸切のため、背後のテーブル席はすこぶる盛り上がっている。途中から男一組が遅れて參加してきたのは、多分新郎新婦だろう。一気に場が盛り上がった。
タクミや慎吾は、貸切の客の相手でバタバタと忙しなくき回っている。
道香は合間をってカウンターに戻る二人にドリンクを注文しては、しばらく一人でんなカクテルを楽しんで飲んでいた。
その時不意にスマホが鳴った。畫面を見ると見覚えのない番號だ。本來ならば知らない番號は出ない道香だが、なぜかその時は出ないといけない気がして席を立った。
「どうしたの?」
タクミに聲を掛けられたのでスマホを指差して電話してくるとジェスチャーで店の外に出た。
「もしもし?」
『ああ、出たか』
「もしもし?どちらにお掛けですか?」
『人の腕に抱かれて寢たくせに半月以上も音沙汰ないとか案外遊んでるのかお前』
低く響く男らしい聲とその言葉に、電話の相手の見當がついた。
「なんで番號知ってるの!」
『お前……本當に酔っ払ってだんだな。番號書いて渡したのお前だろ』
「う……覚えてません」
『はは。まあ良い、今どこだ?』
「アスタリスクだよ。なんで?」
『そうなのか。俺今日は休みだぞ』
「べ、別に!會いにきたわけじゃないから!仕事がバタバタしてて久しぶりに寄ったの。なんか今日は貸切みたいだけど、タクミさんが大丈夫ってれてくれて一人で飲んでる」
『……そうか。飲みすぎるなよ』
「分かってるよ」
『じゃあな』
そう言うと電話はプツリと切れた。マサはなんの用事で電話を掛けてきたのだろうか。
首を捻りながらドアを開けて店に戻る。
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