《不用なし方》第1話

大學での講義を終え、隣の席の友人と笑顔で話しながら荷を纏める亜あいの傍に近づいていく人がいた。

「栗林くりばやしさん」

名を呼ばれ、彼は手を止めて顔を上げる。

そこにいたのは亜よりも頭ひとつ分ほど長が高くて、やや下がり気味の目が優しい印象を與える男だった。

彼、佳山かやまは同じ講義をけているので、話をすることはあるけれど特別親しいわけではない。

「……?」

聲を掛けられる理由を考えたけれど、心當たりがなくて亜は首を傾げた。

「ちょっと時間ある?」

そう問われて、自分の腕時計へと視線を向ける。待ち合わせの場所に移することも考えると、五分が限界だろう。

「五分くらい、なら……多分、大丈夫……」

俯きながら答えて止めていた手を再びかし始める。

「お邪魔しちゃ悪いから退散するわね。また明日!」

「お邪魔って……なんか、違うと思うんだけど……うん、また明日」

隣の席にいた友人が無駄に気を遣って亜から離れていく。苦笑いで手を振った彼も、忘れがないことを確認してからバッグを肩に掛けた。

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「えっと……なに、かな?」

俯きながら佳山に尋ねる。彼が男と視線を合わせないのは今に始まったことではない。

「あ、すぐに済むし外でもいいかな? ごめんね、無理言って」

「ううん、すぐに済むなら別に……」

爽やかで優しそうな笑顔を視界の隅に映しながら、亜は落ち著かない気持ちにさせられた。経験はないけれど、異のこの種の視線には覚えがあるからだ。

佳山と並んで廊下に出ると、反対方向から賑やかな集団がやって來る。それに気付いた亜はハッとして逃げるように壁際にを寄せた。

「栗林さん?」

「あ……」

怪訝そうな眼を向けられて、俯きながら困ったような笑みを浮かべる。

賑やかな集団を見掛けると、その中に彼がいるかもしれないと思ってしまうのだ。冷たい視線をじなかったということは、あの中にはいなかったということ。

は小さく息を吐いた。

「亜

隣の教室から聲を掛けられて、聲のした方向に顔を向ける。そこには高校時代からの友人がいた。

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「あ、花はなちゃん」

「もう終わり?」

「うん、花ちゃんは?」

「トナカイの講義……そろそろちゃんと出ないとヤバそうなんだ」

「あはは、頑張って」

「今度お茶でもしようね」

「うん、是非」

花と笑顔で手を振って別れ、し先で足を止めている佳山の許へと急ぐ。

が男を追う姿に花は小さく眉を寄せた。今まで彼が男と並んで歩いている姿など見たことがなかったからだ。

気になった彼は窓側の席へと移して外の様子を窺った。

二人はすぐに姿を見せ、あまり人目につかない木々に囲まれたベンチへと向かっていく。そこがあまり知られていない場であることを花は知っていた。

友人のを案じ、立ち上がろうとした花の視界に見覚えのある人が映る。その人は二人を尾行しているように見えた。

……アイツがいるなら、大丈夫かな。

信用はしていないけれど、その人が彼をずっと見つめてきたことを知っている花は、視線を前に向け、いつの間にか始まっていた講義に耳を傾けたのだった。

一方……佳山が人気のない方へと向かっていることに若干の不安を抱きながら、亜は一定の距離を保ちつつその背中を追っていた。

木々に囲まれたベンチに辿りつき、佳山が腰を下ろす。亜は彼からし離れたところで足を止めた。

「よかったら、隣……」

「ううん、すぐに行かないとだから」

  異と並んで座っているところを見られたら、なにを言われ、なにをされるか分からない。

「で……話って……?」

佳山の口から出てくる言葉はなんとなく予測できたけれど、それが正解かどうかは聞いてみないと分からない。

「栗林さんって、いつも松澤まつざわと一緒にいるよね? 彼と付き合ってるの?」

「え……?!」

予測外の質問に亜揺して視線を泳がせた。

付き合っているのかと言われたら、それはノーだ。彼の口から好きだなんて言葉を聞いたことはないし、彼も否定するに違いない。

學してからずっと不思議だったんだ。いい噂がない松澤と君が一緒にいるのはどうしてなんだろう? って。何度か見たから偶然とかたまたまってわけじゃないよね?」

"偶然"という逃げ口を封じられて亜は一層落ち著きを失う。

まさか、見られているとは……気付かれているとは、思ってもいなかった。外では隣を歩かないし、話もしない。だから、一緒にいるとは誰も思わないし気付かないと考えていた。

二人の関係は決して口にできるものではない。

「不思議だろうとなんだろうと関係ない」

のものではない聲がしてきて、二人は聲のした方に視線を向けた。

大きな桜の木に背を預けながら腕を組み、最高に不機嫌な顔で佳山を睨み付けているのは……彼が口にした松澤 優希まつざわ ゆうき本人だ。木からを離して、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだまましずつ距離を詰めてくる。

「松澤……」

「帰るぞ」

名前を呼ぶこともなく顎をしゃくって亜を呼ぶのはいつものこと。亜はもう何年も彼の聲で名前を呼ばれた記憶がない。

「松澤、君と栗林さんは付き合ってるのか?」

ベンチから立ち上がった佳山が再度問う。

「付き合う、ねえ……俺とコイツはそんな甘い関係ではないな」

優希は意味深に口の端を持ち上げるだけでハッキリとは答えない。

「だったら、僕が栗林さんに際を申し込むのは問題ないと思っていいのかな?」

二人のやり取りに生きた心地がしないのは亜だけかもしれない。

本題にる前に優希がやって來てしまったけれど、亜を呼び出した理由が予想通りだったことで申し訳なさが込み上げてくる。自分には想われる資格などないと思っているからだ。

「コイツを誰かと共有するつもりはない」

優希は手をばし、細い腕を摑むと力強く引き寄せた。バランスを崩し、彼の腕の中へと倒れ込んだ彼は真っ赤な顔をしている。

普段の彼が甘い言葉を口にすることはなく、優しさをじさせるようなこともしない。

そんな彼の"共有するつもりはない"発言は、亜の鼓を速めてしまうほどの威力を持っていた。

優希が自分に執著していることには気付いていても、亜はそこに憎しみしかじたことがない。

が幸せになることを優希は決して許さない。彼はそう思っている。

そんな彼が……ほんの一瞬だけ見せた獨占。それを嬉しいと思ってしまった。

「共有って……彼じゃない」

だろうが人だろうがそんなことはどうでもいい。コイツが俺の所有であることに変わりはない。……って、いつまで寄り掛かってんだよ。さっさと立て、馬鹿が」

優希は抱き締めていた腕を解いて二人に背を向けた。

「行くぞ」

「栗林さん」

振り返ることもなくその場を離れていく優希を追うためにの向きを変えた亜を佳山が呼び止める。

「……ごめんなさい」

深々と頭を下げてから優希を追う。

彼が振り返らないのは亜が付いてきていると分かっているからだ。

彼の姿を見失わない程度の距離を保ちながら……でも、いつもよりも離れて歩いていく。

佳山のように聡い人がいると困るからだ。

優希のマンションに到著すると、優希は正面のエントランスから、亜は駐場と繋がっている裏口から部屋へと向かう。これは二人の関係が始まったときからの暗黙のルールだ。

互いに鍵を所持しているので外で待つことはしない。

が部屋にると、優希は既にリビングのソファに荷と上著を投げてベッドに転がっていた。

は丸められた上著をハンガーに掛けてからリビングのカーテンを引っ張る。

夕飯の支度をした方がいいのだろうか? それとも……。

寢室とキッチンを互に見ながら考えていると、痺れを切らしたように苛立った聲が飛んできた。

「いつまでそこにいる気だ、早くこい!」

を大きく震わせ、言われるままに寢室へと向かった。優希はベッドに寢転んだまま、睨むようにこちらを見ている。

「誰、アイツ?」

アイツといわれて思い浮かべるのは一人しかいない。

「佳山くんは……同じ講義をけてる人……だよ」

特別親しいわけでもないので、それ以外の説明は難しい。

「同じ講義、ねえ。で? お前はアイツと付き合いたいとか思ってるわけ?」

「ま……まさかっ」

よく知らない佳山に際を申し込まれたとしても首を縦に振ることはない。

なによりも、亜には想う人がいる。それが報われないと分かっていても、逃げるように他の異と付き合うというのは不誠実で相手にも失禮だ。

「へぇ、アイツは好みじゃないのか」

「こ……好みとかじゃなくて……よく、知らない人だし……」

「もっとよく知ってから付き合いたいってことか」

険しさを増した瞳が亜る。途端に、蛇に睨まれた蛙のようにその場からけなくなった。

上半を起こした優希が亜の手首を摑んで暴に引っ張る。その際に腕時計の金屬のベルトが皮に食い込んで、亜はベッドに組み敷かれながら顔を顰めた。

「男に告白された直後に抱かれるのは嫌か」

の表を拒否だと思ったのか、優希が冷やかな笑みを見せる。

「ちが……っ」

「ま……どんなに嫌がったところで、自由になんかさせねぇけどな」

慣れた手つきで亜の服のボタンが外され、冷たい手が素れてくる。

二人の歪んだ関係が始まって二年が経とうとしていた。

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