《不用なし方》第2話

「栗林さん」

背後から聲を掛けられて、亜は足を止めて振り返った。

「……佳山くん」

笑顔で近付いてくる佳山にどんな顔を向けていいのか分からなくて、亜は視線を床に落とす。なにを言われるのか不安でもあった。

彼が、優希と亜の微妙な関係に気付いているからだ。できるなら、あまり関わりたくない。

「おはよう。同じ講義だし、一緒に行ってもいいよね?」

笑顔だけれど、斷りにくい言い回しをされて返答に迷う。

「そんなに困らないでよ。僕もね……あれから考えたんだ」

あれから、というのは……先日のやり取りを指しているのだろう。

「栗林さんって……彼のこと好きだよね?」

聲のボリュームを下げていたとはいえ、あまりにも唐突な言葉に心臓が大きく音をたてた。言い當てられた恥ずかしさもあって顔が熱い。

彼の名前を出さなかったのは佳山の優しさなのかもしれない。

「やっぱり……そんな気はしてたんだ。でも……彼と一緒にいるときの君は幸せそうに見えない。彼についての噂を知らないわけではないみたいだし……」

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「噂なんて面白おかしく意図的に尾ひれが付けられて語られるものでしょ?」

「彼の噂も全部造?」

「……優しいのは本當だよ」

困っている人を見たら無視できない、そんな人だった。自分もその優しさに助けられた一人だと亜は思っている。

屋外に優希が友人と談笑している姿を見つけて亜の視線が釘付けになる。

「優しい? 僕には理解できない」

「昔は……あんな風に、笑顔で聲を掛けてきてくれたの。あの笑顔を奪ったのは……私なの……」

楽しそうな優希の姿を、悲しげな顔で彼は見つめていた。

の目の前で優希が笑顔を見せることはない。そして、亜もまた優希に笑顔を見せることができないでいる。いつも顔を窺い、神経を逆でしないように勤めるだけで一杯なのだ。

「一緒にいて楽しそうに見えないのに、どうして一緒にいるのか、僕には不思議でならないよ。きみの中に、彼から離れるという選択肢はないの?」

夢を失った優希への贖罪はそう簡単に終わるはずがない。い頃からの夢を優希がきちんと吹っ切れるまで続くだろう。もしくは、優希が亜に飽きるまでずっと……。

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優希の未來を奪ってしまった自分が、未來を差し出すのは當然のことだと思う。

は小さく嗤った。

「選択肢と選択権が……あったとしても、その選択はしないと思う」

「え?」

の小さな聲を聞き取れなかった佳山が問い返したけれど、彼の口から同じ言葉が語られることはなかった。

「なんでもない。あ、早く行かなきゃ遅れちゃうね」

は肩に掛けたバッグのハンドルを強く握り締めて逃げるように窓から離れた。自分に向けられている冷たい視線には気付かないまま……。

優希は、亜と佳山が並んで窓から離れていく姿を見つけて眉間に深い皺を刻んでいた。

「優希どうしたの、怖い顔して?」

友達が放漫なを押し付けながら優希の腕に手を絡めてくる。

「うっせぇ」

絡められた手を暴に振り払って、優希は不機嫌な足取りで建の中へとっていった。

もともと、佳山と優希に接點はない。言葉をわしたのも亜と佳山の間に割り込んだときが初めてだ。……なのに、佳山は優希を見掛けると親しげに聲を掛けてくる。

のことを訊いてくるわけではない。ただ挨拶をして、他ないことを一方的に一言二言話して去っていく。

 佳山には裏表がない。表も言葉も正直だ。現在の優希の傍にいる友人たちとは明らかに違うタイプの人間で、周囲の噂を聞いているはずなのに真っ直ぐな視線を向けられると居心地の悪さをじてしまう。

しかし、変な奴だと思ってはいても不快ではないし嫌悪も抱かない。亜の傍にいることを除けば。

佳山が亜に対して告白のような言葉を口にしたのは一度きり。それも、はっきりと"好きだ"と告げたわけではない。

あの日、その場で"ごめんなさい"と言っていたはずだけれど、佳山は聞いていなかったのか気にしていないのか……変わらず亜を見つけると聲を掛けている。その點は優希に対するものと変わらないので、友達が増えたような覚なのかもしれない。

際を迫るわけではないし、ストーカーのように付き纏うわけでもない。わすのはスイーツの味しい店の話や授業に関することがほとんどだ。

最初こそ警戒していた亜だったけれど、徐々に彼の存在に慣れ、最近では張せずに話ができるようになっている。

佳山が亜の傍にいることを知らないはずがない優希が、なにも言ってこないことが亜にとっての一番の疑問かもしれない。

しかし、佳山という人別も年齢も関係なく、誰とでもすぐに親しくなれるようで、知り合いがとにかく多い。一緒に歩いていると、彼はいつもたくさんの人に聲を掛けられている。その姿を見る度に、どうしてたくさんの友人や知人がいるのに、気で楽しい話もできない自分と行を共にするのかと亜は不思議でしかたがない。

さらに驚かされたのは、佳山はいつの間にか亜の友人である岸 花ねぎし はなとも仲良くなっていたのだ。

以上に人に対する警戒心が強いはずの花がラウンジで異の同席を認めるのはなかなかに珍しい。

今も目の前に座る花と二人で味しいスイーツの話題で盛り上がっている。

はあまりスイーツが好きではないというのは亜の勝手な思い込みだったらしい。隣に座る佳山は関東近郊の店に詳しいようで、花が店の名を出すと笑顔で個人的なお薦めスイーツを教えている。無理に話を合わせているようには見えない。

「そういえば、駅前に先月オープンした店知ってる? あそこのチーズケーキが絶品なんだ」

「え、どこ? 行きたい! 私、チーズケーキ大好きなのっ」

都心の話から地元の話になり、亜は小さな不安を抱く。

席を外したいけれど、理由もなくこの場を離れるのは二人に失禮だろう。

 あ、そうか……お手洗いだと言えば怪しまれることなく席を立つことができるかもしれない。

「ぁ……」

「ねぇ、亜。今日って暇?」

「え……?!」

聲を出そうとした瞬間に花に話を振られて亜心激しく揺した。

「もぅ、聞いてなかったの? 駅前のケーキ屋にいこうって話してたのに」

呆れたような花に苦笑を返しながら亜はバッグの中に手を突っ込んで攜帯電話を取り出した。

無料通信アプリを開けば、すぐに優希の名が表示される。

が勝手に誰かと約束することを嫌う優希に、亜が許可を求めるのはいつものこと。こういうときのレスポンスはすぐに返ってくる。

「……ごめん、今日はちょっと無理、かも……」

花と二人であれば、もしかしたら許可されたかもしれない。けれど……噓は吐けない。

今日も優希はたったひとつのスタンプで亜を引き止めた。そして"すぐにこい"というメッセージがスタンプの下に表示される。

「また、今度ってくれる?」

「分かった。やっぱり突然は難しいよね。……あ、もういくの?」

バッグに手をばした亜に花が短く問う。

「……うん」

「そっか。じゃあ、また明日だね」

「うん、また明日」

笑顔で控えめに手を振って亜は二人の許を離れた。

同様に笑顔で見送った花の表が、亜の姿が消えると同時に曇る。

「……岸さん、きみは栗林さんと彼の関係をどこまで知ってるの?」

佳山の控えめな聲の問いに、花は一瞬険しい表を浮かべたけれど、すぐにそれを隠して先程まで亜が座っていた席を見つめた。

「……こういう場所で話すようなことじゃないってことだけは確かだね」

佳山のいう"彼"が誰のことなのか……花は分かっている。

高校に學してから親しくなったので、い頃の二人のことは知らないけれど、二人の関係が変わるきっかけを知る唯一の亜の友人だった。

「あの二人が話さないことを私が話すわけないでしょ。あ……先に言っておくけど、他の人に訊いたところで本當のことなんて絶対に分からないから」

「絶対に?」

「そう、絶対に」

警告の意味を込めて言い切る花の眼には怒りより悲しみのが浮かんでいた。

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