《不用なし方》第28話

「花ちゃん、私……やっぱり陸上の勉強してたのかもしれない」

窓の外を見つめながら亜が呟いた。

「なんで?」

「走ってる人を見てるとね、腕の振りが小さいとか、顎が上がってるとか考えちゃうんだ」

「私は、誰の走りを見てても速いなぁくらいしか思わないけど……違いなんてある?」

の隣に並んで走っている人を見下ろすけれど、花には走り方の違いがまったく分からない。

噓のない花の顔を見て亜がクスクスと笑う。

「あの一番奧の人は顎が上がっちゃってるし、その隣の人は腕を外に振り過ぎてる。分かる?」

「う~ん、分かるような分からないような……?」

「栗林さんは足が速いんだっけ?」

佳山が二人の背後に立つ。

「亜はずっとリレーの選手だったよ」

「それは凄いね」

「意外よねぇ。こんなにおっとりしてるのに足が速いとか」

佳山が二人と一緒にトラックを見下ろしたとき、その中の一人が顔を上げた。視線がぶつかって佳山が小さく手を振ると、相手は心底不機嫌そうに中指を立てる。

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「なにしてんだか……」

二人を見て花が呆れたように溜め息を吐く。

「僕は彼に嫌われているみたいでね」

「佳山くん、あの人のこと知ってるの?」

佳山に中指を立てたのは他の誰でもない優希である。

「同じ講義は取ってないし、流はないはずなんだけど、なんだか目の敵にされてるんだよね。……あ、もしかして栗林さん、彼に一目惚れした?」

 「ち……ちがっ……あ、あの人の走り方綺麗だな、って……思って」

「あぁ……なるほどね。……でも、確か彼にはブランクがあったんじゃないかな? 何年も走ってなかったって聞いた気がする」

「え?」

が説明を求めるように佳山を見上げる。

「詳しくは知らないよ? ただ、そういう噂を聞いたことがあるっていうだけ。陸上部にったのも、つい最近らしいし」

「誰に聞いたの?」

「陸上部の岡部さん。ようやくやる気になってくれたって喜んでたよ」

「本當、遊関係が謎だよね、佳山くんって」

「そう?」

「そうでしょうよ。佳山くん自が陸上をやってるならまだしも、やってないでしょ?」

「そうだね、運が苦手なわけではないけど、進んでやりたいとは思わないなぁ」

「でも陸上部に知り合いがいるんでしょ?」

「部活とか同好會に一人くらいは知ってる人いない?」

「いない」

「そうかなぁ……」

は、さらっと紡がれたオカベという人に心當たりがないけれど、花との會話を聞く限り、知らなくても不思議ではないのだと解釈した。

報を與えすぎると亜を混させてしまうだろうと、花と佳山は視線をわして會話を終わらせる。

「さぁて……頭を使うと糖分をしてしまうよね。お嬢様方、帰りに駅前のカフェでお茶でもいかがですか?」

「賛!」

佳山の提案に花が元気に手を挙げる。それに釣られるように亜も小さく挙手をした。

「じゃあ、いきますか」

花と亜は窓の施錠を確認してから佳山を追い掛けた。

三人は建を出て、陸上部の練習風景が見える道を選んで歩く。それは、亜のためでもあり優希のためでもあるからと岡部に頼まれたせいだ。

優希は亜の姿をこっそりと窺いながら練習をしている。とはいえ、三人に聲を掛けることはない。彼には亜が生きてそこにいてくれることが大事なのだ。亜の姿を見て日々安心し、それを活力としている。

「優希~っ」

の上の方から聲が降ってきた。

聞き覚えのあるようなないような名前に心臓がドクンと音を立てる。

「?」

自分のに手を當てて亜は小さく首を傾げた。

「亜?」

「栗林さん?」

気付かないうちに足が止まっていたらしい。花と佳山は亜の數歩先で足を止めてこちらを振り返っている。

「あ……ごめん。なんでもない」

そう返事をしながら、聲の主を見上げた。

派手ななりのが窓からを乗り出すようにして陸上部の誰かに手を振っている。他にも數人の男が一緒にいた。友人を応援しているのかもしれないけれど、トラックでその聲援に応えている人は見けられない。

知らない名前のはずなのに……心が反応する。

焦るつもりはない。けれど、心の反応を無視することはできない。そんな自分ができることとはなんなのだろう?

は二人に追い付くと再度トラックに視線を向けた。走り終えて間もないと思われる男が地面に大の字になって寢転んでいて、を激しく上下させている。苦しそうな顔をしているだろうと予測していた顔は、意外にも楽しそうに笑みを浮かべていた。

「どうかしたの?」

花が亜の隣にやってきて彼の視線の先を見た。そこには優希がいる。

「あの人……笑ってる」

が優希を見つめていることに気付いた花は困の表を浮かべている。

記憶がなくても彼を見つけてしまうのは……それだけ二人の絆が強かったということなのだろうか?

「……走るのが好きなんだろうね。私は疲れること嫌いだから理解できないけど」

「本當だ、幸せそうだね。でも、自分をいじめて喜んでいるとしたら……彼はちょっと危険な趣向の人間かもしれないね」

佳山の言葉に花が噴き出した。

 聲を出して笑う花が気になるのか、チラチラとこちらを見る視線があることに気付く。

「……え?」

どうしてこんなに見られているのだろう? 練習の邪魔になる程大きな聲ではないと思うのだけれど……。

こちらを見ているのは、先程聲援を送っていた集団と、トラックにいる陸上部の數人だ。

岸さん、笑いすぎ。みんなビックリしてこっちを見てるよ」

する亜に気付いた佳山が、二人の背中に優しく手を添える。早く行こうという合図だ。

は視線から逃げるように俯き、背中にれる手に導されるように足をかした。

なにか言いたげな上からの視線に佳山が冷たい視線を送ると、その集団は勢いよく顔を背けて佳山の視界から消える。

「……面倒なことにならなきゃいいけど」

人がいなくなってもなお開けっぱなしの窓を見上げて、佳山は小さな不安をじながら溜め息を零した。

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