《不用なし方》第31話

事故から半年が経過し、十二月にった。

記憶は相変わらず戻る気配がないけれど、亜の周辺には小さな変化があった。

花と佳山が傍にいないことが増えたのである。

事故の後、できる限り傍にいてくれた二人だけれど、最近はなんだか忙しそうだ。

「栗林さん、だったかしら?」

がフェンス越しに陸上部の練習を眺めていると、背後から聲を掛けられた。聲を掛けてきたのはモデルのような容姿をしたロングへアのだ。

「……はい。えっと……?」

見覚えのない人に戸いながら、どう返事をしたらいいのか考える。こんなに目立つ人と接點があるとは思えない。

「彼の前をチョロチョロしないでもらえる?」

彼とは誰のことだろう? 誰かの前をチョロチョロしている自覚はないので、思わず首を傾げてしまう。

「記憶がないって聞いたけど、正直疑わしいわよね」

「え?」

記憶がないと聞いた? ……誰に?

「あの……」

「なにをしてる?」

二人の會話を遮るように男の聲が飛んできた。その聲はどこか不機嫌そうだ。

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しかし、目の前のは怯えることもなく聲の主に向かって欠點の見當たらない完璧な微笑を浮かべる。

「あら、岡部さん。こんにちは」

「答えになってないな。俺はなにをしてるのかって訊いたんだけど?」

岡部は目の前のから視線を逸らすことなくこちらにやってくる。そして、庇うように亜の目の前に立ってと向かい合った。

「別に……熱心に練習を見てるようだから聲を掛けただけよ。珍しく一人だったし」

は威圧的な眼で亜に同意を求めてくる。反応に困ってなにもできないでいると、纏うオーラに怒りのが濃くなっていく。

「彼に構うな」

岡部の言葉にの綺麗な顔が微かに歪む。 

陸上部の人がどうして庇ってくれるのか分からなかった。目の前にいる男とは面識がないはずなのに、と疑問しかない。

「隨分と優しいのね、岡部さん。私にも優しくしてくれていいのに」

「お前は必要ない」

岡部の言葉にが笑う。

「記憶喪失って便利な言葉よね」

「おい……っ!」

「本當かどうかなんて本人にしか分からないんだから、言うだけだったら誰でも……」

「よくそんなことが言えるな。そもそも、こんなことになったのはお前の……」

「岡部!」

怒りを滲ませ、早口になっていく彼を止めるように第三者の聲が響いた。キャップを目深に被った優希である。

「……あ」

我に返った岡部が揺したように視線を泳がせる。

一方……の方は、近付いてくる優希に気付いて瞳を輝かせた。あれは……明らかに好意を寄せる人に向ける眼差しだ。

「ゆ……」

「消えろ」

優希はに凍てつくような視線を向けて一言だけ発した。

「ちが……っ」

「聞こえなかったのか? 消えろ、と言ったんだ。目障りだ」

は同から見ても綺麗だと思えるを冷たくたった一言で突き放せる男に恐怖に似たを抱いた。

「アイツらにも伝えろ。俺の邪魔をするな、ってな」

逃げるようにが去ると、岡部が申し訳なさそうな顔で亜に振り返る。

「ごめんね、栗林さん。怖かったでしょ?」

「あ……いえ……ぁの……し、だけ……」

「警戒してたつもりだったんだけど、絡まれる前に助けられなくてごめんね?」

この人も記憶がないことを知っているようだった。……一どれだけの人が自分の記憶がないということを知っているのか……意外と多そうで戸う。

「……本當に怖いのは……記憶がないことです……忘れていることがあるということです」

誰かになにか言われても、どうしてそう言われるのか、分からないことが怖い。

欠けた記憶の中にその答えがあるはずなのに。

「多分、自分に原因があるのに……勝手に忘れて、周囲に守ってもらっていることが申し訳なくて……」

「ち……」

「あれ? 亜さん?」

優希が眉間に深い皺を刻んで口を開きかけたとき、聞き覚えのある聲が亜の背後から飛んできた。

「……くん?」

?」

振り返った亜と優希の聲が重なって、優希の目が驚きで大きく見開かれる。

「やっほぉ、亜さん。數日ぶりだね。こんなところにいるからビックリしちゃった」

、お前……っ」

「取り敢えず練習に戻ったら? 年度の大會に參加できなくたって、ブランクがあるんだからしっかり練習しないと。ですよね、岡部さん?」

は岡部のことを知っているようだけれど、二人に面識はなさそうだ。その証拠に岡部はキョトンとした顔をしている。

「あとでうちに寄って説明しろ」

「はいは~い」

は殺気を帯びたような視線に怯むことなく余裕の笑顔を浮かべながら手を振っていた。

くん、ここの大學に通ってたの?」

「ううん、まだだよ。來年から通う予定ってじかな」

 來年から通う予定……? ということは……。

くんって……高校生なの……?!」

「そ。高校三年生」

公園で會ったときに年下だと言っていたけれど、一學年くらいだと思っていた。おそらく、彼が落ち著いた雰囲気を纏っているせいだろう。高校の制服でも著ていればすぐに分かったかもしれないけれど、彼は前回も今回も私服だ。

「そんなに驚く?」

「うん、驚いた。すごく落ち著いてるから」

自分の高校生の頃を思い出してみると、男子は賑やかだったイメージしかない。

「あ……れ……?」

の脳裏に薄っすらと人の姿が見えた。顔は分からない。分かるのは別が男だということだけだ。

教室の口で足を止めて親しげに亜を名前で呼ぶ。

コノヒトハダレ?

「亜さん……?」

もっと思い出そうと思うと頭がズキズキと痛んで、こめかみを押さえる。

「今……誰かを、薄っすらと思い出したんだけど……」

 説明しようと言葉を発すれば発するほど頭痛は酷くなっていく。

「亜さん、無理しちゃダメだって」

「痛……っ、ぁ……」

今までに味わったことのない強い痛みに襲われた亜は、荒い呼吸を繰り返しながら自分の髪を鷲摑みするように頭を押さえ、その場に膝を突いた。

「亜さんっ!」

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