《完璧曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます》

(うぅぅ、背中の筋痛が)

月曜日、郁はいつも通り仕事に勵みながらも、痛みに顔をしかめていた。

この週末は、いろいろあった。土曜日、花園とデートに出かけたつもりがあんなことになって、郁は西田さんと帰り道を共にした。不安がる彼を放っておけず、ずっと勵まし続けた。

(というか、あの綺麗な庭を壊すなんて……犯罪じゃない!?)

その義憤の気持ちもあり、郁は次の日西田さんと一緒に家まで行き、防犯カメラの取り付けなどを手伝った。腳立などを使って背びし、長時間作業したおかげで、この筋痛だ。

(普段使わない筋、使ったからね……。でも)

自分よりも、花園の事が郁は心配だった。

(今日も、出張って言ってたけど……大丈夫かな、いろいろと)

ただでさえ、無理をして頑張っている彼だ。家の破壊という不安材料が増えた今、さらに神的に辛いんじゃないだろうか。

(お晝休みになったら、ちょっとメッセージ送ってみようっと……)

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そう思っていると、お店にお客さんがってきた。郁はいつも通りに30度の角度でお辭儀をした。

「いらっしゃいませ」

何かおさがしですか……と言おうとした郁は、あやうく笑顔が消えそうになった。

(この人……あの、お兄さんだ)

目の前の男は、薄ら笑いで郁を見下ろしている。偶然だろうか。いや、そんなはずはない。心警戒レベルをマックスに引き上げながら、郁は笑顔の武裝をした。

「何かおさがしですか?」

すると彼は、品定めするように郁を見た。

「俺の事……忘れてる、ってわけじゃないよな?」

やはり、彼は自分に何か用があって來たのだ。それも、決して良い用ではない。郁はちらりと周りを見渡した。先ほど休憩に行って加奈はいないし、主任は席を外している。が、聞かれたくない話をするなら、むしろ好都合かもしれない。萬が一何かあれば、隣の店舗に逃げ込めば人がいる。

「ええ、花園さんのお兄様ですよね。何かご用のものがありましたら、ご案いたしますが」

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「いいや? 君の顔を見に來たんだよ」

は控えめな業務用の笑顔を浮かべた。こんな時に落ち著いた対応ができるのも、今まで積み重ねてきた経験のおかげだ。

「私個人に、用があるという事でしょうか」

「そうだな。あいつにしては、いいを連れてるな、と思ったんだよ」

ずい、と彼が一歩距離を詰めた。郁は下がりたかったが、負けのような気がしてぐっと我慢して背筋をばした。

すると、彼は郁をせせら笑った。

「たしかに地味だし、若くもないが……俺には君の価値が、ちゃんとわかる」

褒めているようで、けなされている。高圧的な男によくありがちな事だ。しかし郁は黙ってただ聞いた。

「上っ面だけ派手で中のない磯谷の娘よりも、結婚するなら君みたいながいいね。真面目に仕事をして、決して出しゃばらない。見た目も、人過ぎなくてちょうどいい。プライベートでもそうだろ? 常にわきまえて、男の後ろを三歩下がって歩くタイプだ」

そんなわけあるか。郁はだんだんイライラしてきた。千鶴と比べられて、彼をけなしている事も不快だった。

(そもそも勝手に品定めして比べる事自が、相手に対して失禮な行為なのに……それを面と向かって言うなんて)

なんて配慮に欠けた人だろう。でも、こういう人は確かに居る。特に年上の男の人には。

(自分より上の人にはへつらうけど、立場が下の人には――『こういう事を言ったら失禮だ』という常識的な覚すら働かない……)

おそらく、同じ人間と思われていないのだろう。郁はそう判斷して、押し黙っていた。しかしその沈黙を誤解したのか、彼は郁の肩を摑んできた。

「俺に乗り換えろよ。あんな顔だけの小僧より、満足させてやるよ」

あけすけな、低い聲。郁は全が総気立った。

(この人――既婚者のはずなのに!)

彼の手を振り払う。

「やめてくださいっ」

しかし彼は応えた様子もなく、今度は郁の手首をつかんだ。

「恥ずかしがりだなぁ」

「は、はなしてっ」

無理やり試著室へと引っ張られて、郁もちをついた。しゃっとカーテンを引かれ、その上に、彼がのしかかってくる。

「なにを……っ」

「ここで楽しませてやるよ」

その発言に、郁は信じられない思いで聞いた。

(この人……百貨店の試著室をなんだと思っているの!?)

自分の一族の経営する事業だというのに、それを擔っている自覚はないのだろうか。仕事に対する責任は、ないのだろうか!?

なくとも彰さんは……一斤の建の中では、手すら握ってこなかった!)

それは、彼が仕事に対して、心を削るほど一生懸命に取り組んでいるからだろう。

(彰さんの、風上にも置けない……っ!)

は全力で、のしかかるを押しのけた。

「ふざけないで! 人を呼びますよ!」

「ああ、呼べばいいさ。俺は花園清だぞ? 誰もお前も味方なんてしないさ」

「あなたは……仕事に対する最低限の責任すら、ないんですか!? こんな事、彰さんは絶対にしません!」

「あんな奴の事、口にするな。知っているか? あいつは親父の人の子どもなんだ。本來花園を名乗って言いの立場なんかじゃ、ないんだよ。だからひいこら仕事をしてる」

その言葉に、郁は絶句した。そんな家族のプライバシーを軽々と口にする彼にも呆れたが、それよりも。

(そうか……彰さんのプレッシャーは、そういう事だったんだ)

ことあるごとにこの兄に、出自を蔑まれてきたに違いない。そう思うと、郁の中に怒りが沸き上がった。

「ほら、がっかりしたろ? お前もどうせ付き合うなら、嫡男の俺がいいに決まってるだろう」

得意げに言う相手に、郁ははっきりと言った。

「嫌です! あなたよりも、彰さんの方が100倍いい人です! どいてください!」

「へぇ、どこが? 顔以外でね?」

「彼は私たちより上の立場にいますが、ひなたなく仕事をして、一斤の皆に評価されています。それは彼が努力をして、真剣にこの百貨店の仕事に取り組んでいるからです!」

言いながら、郁はどんどん自分の口から言葉が出てくるのを止められなかった。普段では考えられない事だが、燃える怒りが自制心を上回っていた。

「千鶴さんだって、たくさんの売り上げを出している外見に中が伴った人です! 私だって、どんな男でも三歩下がるわけじゃありません! そんな事も、わからないんですか?」

その言葉に彼の顔が獰猛に歪んだ。

「ただの従業員のくせに。言わせておけば――っ」

恐ろしい表に、郁は思わずぎゅっと目をつぶってくした。するとその時、カツカツとハイヒールの音がした。

「ちょっと中野さん、いるのー? 主任が呼んでるわよ!」

千鶴の聲だ。それを聞いて、彼ははっとを起こした。郁はその隙に試著室を飛び出して走った。

(逃げなきゃ!)

必死に走って走って、郁はバックヤードへと逃げた。ドアをしめて、やっとふうと一息つく。しかしその時、千鶴も走ってきたのかドアを開けてってきた。彼はちらりと郁を見た。その視線で、郁は察した。マヌカンの千鶴が、紳士服売り場に郁を呼びに來る役などするはずがない事に。

「あ……! た、助けて、くれたんですか……?」

「違うわよ。勘違いしないでよね」

「あの人は……!?」

千鶴はふんと鼻を鳴らした。

「私が睨んだら、慌てて逃げてったわよ」

千鶴のおかげで、すんでの所で命拾いした。郁は頭を下げた。

「ありがとうございました……!」

「だから違うって!」

「でも、千鶴さんのおかげで、助かりました」

千鶴はふうとため息をついた。

「あなたを助けたわけじゃない。私もあいつの事、嫌いだから。今姿を見かけて、また彰さんの邪魔しに來たのかって思って。それで」

「あ……面識が、おありだったんですね。それなのに……すみません」

今日郁を助けたことで、後日千鶴がまずい目に合わないだろうか。しかし千鶴はどこ吹く風で、ぽつりとつぶやいた。

「あなた、ちゃんと彰さんの事、好きなのね」

いきなりの言葉に、郁は目が點になった。

「えっ!?」

「それに……いざとなったらいい子ぶらないで、ちゃんと反撃できるのね」

そう言い捨てるようにして、千鶴はバックヤードを出ていった。

その聲の響きは、今まで郁が聞いた中で、一番らかかった。

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