「――って言う事が、あったんですよ」

「なんてこと……郁さん、平気だったの？」

「はい、そこは千鶴さんが助けてくれたので」

「本當に嫌な人！　無理やりおし倒すなんて！」

「コンプラ違反どころの話じゃありませんよねぇ」

「彰さんには言ったの？」

「言ってません。最近忙しいみたいで、あまり會っていなくて」

庭いじりの手をかしながら、郁は西田さんとそんな會話をしていた。忙しい花園や三ツ矢さんに変わって、郁は休日に庭園の様子を見にきつつ、継続的に西田さんを手伝う事にしたのだ。

（今日はあっくんも休みだったから、おうと思ったんだけど――）

彼はどうも、新しい職場の友関係で忙しいらしく、今日も仲間と練習すると言って出かけてしまった。

最近、一緒にご飯を食べる日もなくなった。郁も休日、こうしてなんのかんのと忙しくしているからだ。それはお互いに良い変化だと、郁は思う事にした。

（お互いに、外でやる事を見つけたのかもね）

西田さんと一緒に居るのは、郁にとっても楽しかった。草花に関しての知識はさすがに庭師で、郁はさながら弟子のようにガーデニングの事を教えてもらっていた。

「ふぅ……そろそろ、休憩にしましょうか」

日が高くなって、だんだん汗ばむ時間になってくると、西田さんは休憩をれる。と言っても家の中でお茶を一杯飲んだあとは、掃除や片付けを行うのだが。

「誰も住んでいないと、すぐにあちこち傷んできちゃうのよね」

「でもこのお家は、とても綺麗ですよね。ずっと西田さんが管理を？」

「ええ。一応お家の中もし、ね。電気も水道も止まっていないし、持ちもずっとそのままだから……」

「それは、敦子さんの希、だったんですか？」

「ええ、なくとも庭に関してはね。ずっと薔薇を咲かせておいてほしい、って私に言っていたわ」

「たしかに、そのお気持ちはよくわかります……。この見事な草花たちが枯れてしまうところなんて、想像なんてしたくないですよね」

「そう。どれも手塩にかけて、長年育ててきたものだからねぇ。でも、本當はお家も、布団を干したり、屋の掃除をしたり本格的な手れもしたいんだけれどね……」

ふうとため息をついた西田さんに、郁は提案した。

「なら、今日のお掃除の前に布団を干しませんか？　それで帰る前にちゃちゃっと取り込めば」

「あら、いいの？」

「はい、手伝いますよ！」

――數分後、郁は自分の言ったことを若干後悔していた。

（ふ――布団が、こんなに重いなんて！）

昔の時代の、贅沢な布団なのだろう。どれもぎっしり綿が詰まって刺繍がほどこされており、掛布団も敷布団も重い事この上ない。それがお客様用とあわせて、何枚も何枚もある。

（防犯カメラ取付より……重労働かも！）

すべての布団を引っ張り出した時には、郁は汗だくだった。西田さんがバルコニーでパンパンと布団を叩く音を聞きながら、気が遠くなりかけた。

（ふぅぅ……とりあえず、私もバルコニーで手伝いを……）

やっとの事で立ち上がり、押しれを締めようとした郁はふと、隅にぬいぐるみがちょこんとおいてあることに気が付いた。

「あれ、ワン太ちゃん？」

何かれを抱きしめたワン太ちゃんのぬいぐるみは、しあせていた。郁はそれを手に取って、外に出してあげた。

（誰のだろう？　もしかして、子どものころの花園さんの……？）

だったら、寫真を撮って送ってあげたら喜ぶかもしれない。郁はなんとはなしに、ワン太ちゃんの抱きしめている筒のようなものの蓋を開けた。

（なんだか卒業証書みたい。これって……）

筒の中には、丸まった紙がっていた。

『あきらくん

にゅうがくおめでとう。きょうからしょうがくせいですね。たのしみにかざっていたランドセルもいよいよでばんですね。まいにちげんきにつうがくしてね。

おばあちゃんより』

（これは……小學校學のお祝いの、電報だ…）

8歳の時、祖母は亡くなった、と花園は言っていた。という事は、彼が亡くなったのはこの電報を送って間もなくの事だろう。

（これ……すごく大事なものじゃない！）

布団を干したら、思いがけないものを発掘してしまった。このワン太ちゃんの存在を、花園は覚えているだろうか。郁はとりあえず祝電を丁寧に丸めて、再びしまおうとした。しかし、底に何かがつかえてうまくしまえない。郁は筒を持ち上げて、覗き込んだ。

「これは……？」

週明けの月曜日。一斤で久しぶりに花園と売り場で顔を合わせた郁は、思わず駆け寄ってしまった。

「花園さん、大丈夫ですか？」

「何が」

「とてもお疲れのようですが」

すると花園はふっと笑った。

「平気だけど、そんなヤバそうに見える？」

かろうじてスーツだけはいつも通りぴしっと著ていたが、寢ていないのか目が赤い。顔も良くない。

（今日は三浦さんが非番だから、しばらくひとりになっちゃうけど……）

平日だから、そんなにお客さんが殺到することもないだろう。郁はそう算段して店舗の小さい倉庫スペースに花園を招きれた。

「朝はそう人手もいらないので、ここで仮眠を取ってください。ほら、椅子とクッション」

「ふうん……仕事の鬼の郁が、そんな事言うなんてね」

わずかにからかうようなその聲に、郁は釘を刺した。

「調が悪い中仕事するより、休んで回復してもらってから仕事した方が良いに決まっています。だから」

そう理由を言うと、花園は肩をすくめて素直に椅子に座った。

「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

彼は椅子にもたれて目を閉じた。疲れた無防備な顔を見て、ふいに郁はドキッとした。が、邪魔をしてはいけないとドアを締め、早々に退出したのだった。

數十分後、花園はいくらかすっきりした顔で戻ってきた。

「ありがとな」

「しでも寢ると、違いますよね」

「ああ、まぁ」

郁は商品を畳みなおす手をかしながら、花園に尋ねた。

「やっぱり……お家の件で、忙しいんですか？」

花園は郁を手伝いながら、あいまいにうなずいた。

「それもあるけど、それだけじゃないな。まぁ、あちこち飛び回るのが俺の仕事だから」

彼の目は、まだし赤い。いろいろと、上手くいっているんだろうか。郁は心配になった。

「前言っていた、一斤本店の売り上げを上げる……というお仕事、ですか」

すると花園はにっと笑った。

「よくわかったな」

「それでお忙しいんですね」

「そうだな。いま企畫の大詰めだからな」

その言葉に、郁は心配とは別に興味が沸いた。何といっても郁も一斤本店の従業員なのだ。そこそこに社神もあるつもりだ。

「どんな計畫なんでしょう？　よかったら、私にも聞かせてくれませんか」

「郁なら、興味を持ってくると思ったよ。俺が考えているのは……一階の改革だ」

「一階を、ですか？」

「ああ。ここの一階は、ジュエリーに、化粧品に、特選ブティックがあるけど、それらのスペースを半分にして、食品店を複數れる」

「えぇ！？　食品店？　それも、花園さんが企畫を？」

一どういうことだろう。郁は気になった。

「一言でいえば、良質なフードコートみたいなじだ」

「フードコート？」

「そう。開放的な空間に、ゆとりをもって席を配置して、種類の違うレストランをれるんだ。コートの真ん中にはキッズスペースを設けて、子どもが遊ぶのを見ながら軽い食事がとれるようにする。単的に言えば、これは20～34歳の……Ｆ１層をターゲットにした計畫だ。若年のが一人でランチしやすく、母親層も気兼ねなく利用できる。そんな場所を作って、百貨店の敷居を下げて、最終的には他の階も足を運んでもらえるようにする」

なるほど。エビで鯛を釣る作戦。そう思いながら郁は傾聴した。

「レストランも候補を絞って、改裝デザイン案も上がっている。今までと違う新しい集客が見込めると思うんだけれど、郁はどう思う？」

花園は作業の手を止めて、郁にそう聞いてきた。冗談の一切ない、真剣な表だった。

（たしかに……一階にそんなお店があれば、お客さんは増えるだろうな。の人はよく、複數人で來るし）

じっと待つ花園に、郁はうなずいた。

「百貨店のお客様は年配の方が圧倒的に多いです。もし若い人を呼び込むのならば、ママ世代をターゲットにするのはとてもいい考えだと思います。あと……」

郁はもっとその事について聞きたかったが、お客様が見えたので話は中斷となった。

晝休み、久々に公園で一緒に晝食を摂りながら、花園は企畫書を見せてくれた。ぺらりと紙の束をめくると、一ページ目には改裝後のイメージ図が載せてあった。

ベージュで統一された小粋な空間に、ランダムにソファ席やテーブル席が配置されている。一階の吹き抜けを利用して、自然がたっぷりる中ところどころに緑を配置し、中央には広々としたキッズスペース。今までの化粧品店が立ち並ぶ空間とは違い、全的に明るくて、開放がある。

（これはたしかに、りたくなる。かつ、りやすそう！）

今まで、百貨店のレストランと言えば、厳めしいものや、り口で完全に外と隔てられているものが多かった。しかしこの案は、敷居や壁がない。

周りを取り巻くお店は、デリカッセンやパン屋、エスニック風まで様々だ。どれも今めかしく、郁が名前を知っているような有名なお店もあれば、まったく知らない橫文字の店もある。

「トゥンカロン……？　これはお菓子でしょうか」

「ああ。まだ候補だけど……韓國・臺灣スイーツ専門のお店を一店舗れたくて」

「なるほど、流行っていますもんね。でも、そうなると廃れるのも早いんじゃないでしょうか」

すると花園は、なぜか嬉し気に言った。

「そう思うだろ？　タピオカがはやり始めた時は、一過ものかと俺も思っていた。けれど、なかなか付いていると思うんだ。それに臺灣カステラとかパイナップルケーキだとか、次々と新しいものもってきているし。そういう目新しい店舗が一店くらいしいと思ったんだけど、郁はこういうのあんまり、食べないか？」

パラパラ資料をめくると、そこにはいかにも寫真に撮りたくなるような、カラフルなスイーツやドリンクが載っていた。

「なるほど。私はこの中ではタピオカくらいしか知りませんが……トウファとか、どうでしょう」

「トウファ？」

「豆花と書いて、トウファと読むんです。お豆腐で作ったプリンみたいなじで、上にイチゴとかナッツとか、いろいろかけて食べるんです」

花園はスマホで検索した畫像を見て、顔を明るくした。

「こんなのか。たしかに、いいかもな。ヘルシーで、健康そうな見た目で。」

「そうでしょう？　百貨店には10代のの子はあまり來ませんから、同じ臺灣スイーツでも寫真映えするものよりこう、ロハスなものの方が」

「いいね。これ、一度食べたいな。それでよかったら、擔當者に伝えてみるよ」

「はい、ぜひ！」

「郁の行ったお店に、案してくれる？」

「あ……もちろんです」

郁は勢いよくうなずいた。そう言われて、思った以上に嬉しかった。自分の意見が認められた事も、次の約束も。照れ隠しのようにパラパラ再び企畫書をめくる。

「で、でも、今から変更があって、大丈夫ですか？　企畫書、だいぶ完しているように見えますが」

インテリアに、レストランに、集客方法に。し目を通しただけでも、さまざまな分野の専門家がかかわっている力作に見える。しかし花園は首を振った。

「いいや、こうやってなんでもいい意見は取りれて、しづつ企畫書を変えてきてるんだ。だからアドバイスは大歓迎だ。郁はちょうど、Ｆ１層に該當するし」

「まあ、たしかに……。そう言えばこの企畫書は、一斤本店で他に知っている人はいるんですか？」

「いや、基本的に執行委員會に認められてからでないと、企畫は現場には伝えられない。けど……郁にはつい、言っちゃったな」

その発言に、郁のはどきんと高鳴った。

花園は今まで、弱った所は見せはしても、抱えている仕事の容は基本的に郁に言うことはなかった。それを言ってくれたという事は。

（同僚としても、信頼されてる……って、思っていいのかな）

そんな郁の気持ちを知ってか知らずか、花園はふっと微笑んだ。

「自分で言うのも変だけど、けっこういい企畫を作れたかなって思ってさ……ぼろくそに言われる前に、郁みたいな人に見てほしかったのかもな」

「ぼろくそなんて、そんな……。素晴らしい改裝案だと思いますよ」

そう言う郁に、花園は肩をすくめた。

「兄貴はまぁまず、けなすだろうな。それに親父も、頑固だからな。変化が嫌なんだ」

「でも……百貨店だって、いろいろ変えていかないと立ち行かなくなってきてる、というのは、お父様もさすがにわかっておられますよね。これ、とてもいい案だと思います。1階フロアの半分を改裝、ていう所もミソですよね。ランチを終えたたちが、つい奧のお店を見ていくような仕掛けになっていて。目の付け所がいいです」

「そう。気づいてくれたか。さすがだな。……郁に褒められて、何か気が楽になったよ」

そう言って、花園はベンチから天を仰いだ。

「俺、誰かにこうやって、褒めてもらいたかっただけなのかもなぁ」

その聲はし切なさが滲んでいて、郁は思わず聲をかけるのをためらった。

「ほんと、ありがとう」

ふいに郁を見て、花園はそう言った。その切れ長の目は、まっすぐに郁を見つめていた。

最初のころとは全く違う、親しみと尊敬にあふれた眼差し。

「えっ……そ、そんな。私は何も、大したことなんて」

「いや、今回の事だけじゃないよ。最初から……」

しかし、花園はいったんそこで言葉を區切り、郁から目をそらした。

「そういえば、西田さんの事も手伝ってくれてるんだろ？」

「あ、はい。今の所、お家周りに不審なきは見られません。だからいつもお庭の事、いろいろ教えてもらっています。」

「そっか。まぁ、兄貴は諦めたわけじゃないと思うから、近いうちになんとかしなきゃだけど。はぁ……いろいろと山積みだな」

「お家も庭も、なんとか現狀のままで、保存しておきたいですよね……」

郁はそう呟くと、花園は逆に明るい聲で勵ますように言った。

「できるだけの事はやっていかないとな。仕事もそっちも一緒だ」

花園はベンチから立ち上がった。そして前を向いたまま、郁に聞いた。

「もし、全部ケリがついたらさ……その時は郁に、言いたい事があるんだ」

「え……？」

「だから、聞いてくれる？」

今まで聞いた事のないような、その聲は穏やかで凪のような聲だった。

「はい。もちろんです。あんまりお役には立てないかもしれませんが、今だって、何でも聞きますよ」

すると花園は、郁の方を見て微笑んだ。

「よかった」

無邪気なその笑顔は、子どもみたいだった。それを見て、郁は彼に言わなければいけない事を思い出した。

「彰さん、そういえば私、あのお家で……」