《夜明けを何度でもきみと 〜整形外科醫の甘やかな〜》8

月曜日、いつもより早く外來へ顔を出した樫井は棚原を引き連れていた。

「おはよう〜」

大原と菜胡も応える。

「じゃーん、今日から新しい整形の先生が來てくれました、棚原くんだよ。僕の友人が務める大學病院に居て、今回話に乗ってくれたんだ、よろしくね」

紹介された棚原は、白の下にシャツを著ていて、えんじのネクタイを締めていた。長かった前髪を整髪料で上になでつけていて、土曜とは雰囲気が違う様子に、菜湖はしだけドキッとした。初日という事もあるのか張しているようにも見えた。一見するとタレ目は優しそうに見えるが、背も高く逞しい付きがそれを否定するかのように堂々としている。

――本のお醫者さんみたい……あんな事が無ければ、心から歓迎できたのに!

棚原を見てキスを思い出してしまった自分が嫌だった。初対面でされたキスが忘れられないなんて、思いもしなかった。目が合った気がして、ふい、とそらしてしまった。

「あらー、先生よりいい男じゃないの。大原さち絵です、中學生の息子がいます、どうぞよろしく」

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手を差し出して軽く握手する。菜胡も、おずおずと手を差し出した。

「い、石竹菜胡です、よろしくお願いします」

ニッと笑みを浮かべて、菜胡の手を取った棚原。指先を軽く握られ、背中をさすってくれたあの溫もりを思い出してカァッと顔が熱くなる。その変化に気がついたのか、棚原はわずかに指先に力を込め、そして離れた。

「今日は初日だし、棚原くんは新規の患者さんを診てもらおうかな。どれくらいくるかわかんないけど」

外來診療が開始するのは午前九時で、まだし時間はある。それまでに一通り、外來の説明を樫井が行う。

「土曜もし見たって言ってたからわかるかな」

「あら、土曜にきてたの? 菜胡は會ってないの?」

大原が、気がつかなくていいところに気がついてしまった。焦った菜胡は、棚原が何か言う前に先手を打とうと口を開く。

「外科にお茶に呼ばれている間に來られたようで、私はお會いしてないんです。戻ってきたら機に伝票が置いてあったから、樫井先生が來られたのかと思っていました」

ニコッと棚原に向けて笑む。

「あ、ああ、誰も居なかったけどお邪魔したんだよ。伝票は戻し忘れたかも、すまない」

それから樫井は説明を続ける。

「処方箋もここ。スタンプはここにあるのだけ。しいものは言って、買ってもらうから。それからうちで使ってる薬品はここ。これも使いたい薬品があったら僕と院長に申請してもらう必要があるけど、大抵はれてもらえるから気楽に相談して」

休憩用のお菓子やコーヒーセットを仕舞っている棚の説明も抜かりなく行った。食べたい茶菓子や飲みは持ち込んでいい事になっていて、その管理は菜胡だと紹介もされた。だからしいものがあれば菜胡に言えばいいし、置きたい菓子があったら渡せばいい、と。

「へえ、わりと自由なんですね」

「そうだね、僕がこんなじだから緩いよね。大學病院とは規模が違うから驚いたんじゃない? 古い病院だから不便かもしれないけど良いところだよ。看護師さん達もよくやってくれてる」

「そうですね、気にりました」

言葉の後半は菜胡を見て言った。

「あ、そうそう、カルテはここに置かれるから、上から呼んでもらうよ」

「マイクじゃないんすね、彼達が呼ぶんですか」

「そうなの、大原さんは聲が大きいし、菜胡ちゃんはお年寄りに人気だからどっちみち皆、言うこと聞いてくれる」

なるほどと棚原が笑った。その笑顔に視線がいってしまう。

「よし、じゃあそろそろ始めるか。よろしくお願いします。わからないところは都度聞いてね」

――なんであの人あんなに平気なの……こっちは笑顔を保つのが一杯なのに……

午前九時、診察が開始された。大原が樫井を、菜胡が棚原を擔當し、それぞれに廊下に出て患者を呼ぶ。樫井を慕う昔からの患者が多く、彼らを相手するのは大原が上手い。だから自ずとそういう組み合わせになった。

「今日は新しい先生なんだってな」

呼び出す為に顔を出せば、該當じゃない患者さんからそう聲がかかる。大原も何度も訊かれていてうんざりしていたのか、大きい聲で返すのが聞こえた。

「そうなのよ、樫井先生より良い男よ。でも! あたしが今呼んでるのは樫井先生の方よ」

「じゃあ菜胡ちゃんに呼ばれないとダメなのか〜!」

新規患者の処方箋を書いている棚原が笑った。

「なんだか、ここは気が抜けるね」

くつくつと笑う様子を見て、菜胡もなんだか嬉しくなった。悪い意味じゃないのだろう。笑う棚原の顔を見れば、気を張らなくていい場所だね、そう言っているのだと思えた。

大きな病院に比べたら、患者との距離が近いのはありえないだろう。冗談を言う暇があったらきなさいと叱られるかもしれない。一部の患者と仲が良すぎるのは不公平だという苦だって寄せられるかもしれない。不要な笑顔は見せなくていいと指導されるかもしれない。

でもこの緩さがここの整形外來なのだ。患者さんは気負いなく小さな事も相談してくれる。その會話から先生には言いにくい事を大原や菜胡を通して伝える事は間々あった。時には病気と関係のない、神田で食べた鰻重が味しかっただの、孫の見合いの結果、自の娘時代の話、趣味の民謡の話だったりを、もう診察が終わったのに、大原や菜胡の手が空くのを待ってでも話したくて、會計を済ませてまた外來待合椅子に戻ってくるのだ。

『家に帰っても一人だから寂しいの』

診察中にポツリとこぼした方が居た。

『それなら、あたしたちの手が空いてからだからお晝近くなっちゃうと思うけど、それでいいなら前の椅子で待ってて!』

大原は診察後、待っていた一人暮らしの彼らと話をするようになった。この辺りが地元なだけあって話は盡きないようで、やがてそれに菜胡も巻き込まれていった。

一人暮らしの彼らは話するだけでは飽き足らず、手抜いの巾著を持ってきたり田舎から屆いた果味しいお店を紹介するといって名刺をくれたり、そういうやりとりが増えた。一年目のクリスマスの時期はプレゼントを貰ったこともあった。人間臭くて菜胡は好きだと思っている。街中の大きな病院にはおよそないだろう流ができるのは下町の古い病院ならではないだろうか。誇らしくもある。そこを棚原も気にってくれたなら、菜胡も嬉しい。

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