《夜明けを何度でもきみと 〜整形外科醫の甘やかな〜》3

菜胡への気持ちに気がついた棚原は、気持ちを全面に出ないよう努めた。何故なら、強引に詰めて怖がらせたくないし、拒絶されるのも怖かったからだ。何しろ初に近いのだ、勝手がよくわからない。

外來をこなし、手や検査をし、一週間が終わると菜胡に會えない地獄の週末をやり過ごした。そうしてようやく月曜の朝、菜胡に會えると早くに出勤すれば、駐車場から見える院食堂に、朝食を摂る菜胡を見つけた。食堂に行ける扉を目視した時、菜胡の正面に一人のが座った。病棟のナースでこの間からしつこく近づいてくるだった。

――なぜ菜胡と?

菜胡の前であいつに絡まれたら最悪だ。警戒して窓の橫を通った。何の話だろう。菜胡の心をす話じゃないといいが……。

この月曜は忙しかった。

十時半過ぎ、救急車が一臺到著し、整形外科外來に運び込まれた。

「棚原先生〜、ヘマやっちまった……」

患者は初日から診ている南川由雄で、屋で転倒しけないでいるところを、訪れてきた知り合いに発見された。意識はしっかりしており、両手と左足はかせた。だが右足が関節から先がかない。足は外旋しかすのも痛がった。

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「骨の寫真を撮って、院しましょうね」

「オレの骨、折れてんのか? もう歩けないのか?」

そうパニックになりかけ弱気な南川の手を、菜胡が咄嗟に取った。大原は病棟へ上がり南川の院の支度を、樫井は南川の検査や院に必要な伝票を書き、それを棚原に渡しながら今後の方針を決めている。菜胡は南川の圧を測ったり、救急が來ているなど知らない患者への対応に追われていたが、南川の発言に、手をばした。

「菜胡ちゃん、俺もうダメだ……」

「なぁに言ってんの、ダメなもんですか。私がお嫁に行くときは小諸長唄歌ってくれるんでしょう、楽しみにしてるんだから。私まだお嫁に行きませんからね」

穏やかな菜胡が、大原のような言いをしている。でも口調には菜胡の優しさがあった。泣きそうな顔の南川は、そうだな、と何度か繰り返し、やがて戻ってきた大原に付き添われて病棟へ上がった。整形外科外來は狹い廊下なのが、この時はもどかしく思えた。元の病院なら専用の救急外來があり、そこで検査も行える。だがここは古い。人味が溢れているが、こういう時は不便だなとじた。

それからの外來は棚原と菜胡でこなした。せっかくの二人きりだが甘い空気は微塵も漂わず、とにかく忙しかった。南川が搬送されてきた時點で整形外來の付は停止してもらっていたから、現在、診察機に積み上がっているカルテだけのはずで、菜胡が採をしている時にかかってくる電話は棚原がけた。患者対応に追われていて手が回らない菜胡は診察の補助ができずにいて、だが棚原は合セットを自分で用意して処置をした。そんな慌ただしさを終えたのは十三時近かった。

「はーー、お疲れさまでした、何とか終わりましたね。々不手際あったと思います、すみません」

「いや、こっちこそ、菜胡がいてくれたし助かったよ」

忙しさを共に乗り越えた仲間意識があった。

菜胡はコーヒを淹れると言い出したため、ちょっと賭けに出る事にした。

「菜胡……ん」

椅子に座った狀態で、菜胡の方を向いて両腕を拡げた。おいで、と言ったつもりなのだが、果たして菜胡に通じるだろうか。來てくれるだろうか。菜胡は、逡巡した後に顔を俯かせたままトタトタと棚原の腳の間にやってきた。腕を取り膝の上に乗せる。を強ばらせていたが、腰の辺りに手を回して抱きしめると力を緩めてくれた。

「はー、菜胡の匂い……疲れが取れる」

菜胡のを寄せる。

「そ、そうですか? いたから汗臭いんじゃ……」

「んーん、ちっとも」

き回った後で汗ばんでいるのは棚原も同じだ。多の汗の匂いが加わって、それはより強く棚原を刺激した。やがて菜胡も棚原の首に腕を回して、近づく顔。

「先生、上に行かなくていいんですか……」

「もうちょっと休んだら。……お嫁に行くときは南川さんに歌ってもらうんだっけ?」

「前に、お弟子さんの披宴で歌ったと話してくれたんです。私の時も歌ってやるからなぁって言ってくれてたの」

「そっか……菜胡をお嫁さんにする奴は幸せだな」

言ってて苦しくなる。

本當は今すぐプロポーズして十七時前には婚姻屆を出したい。誰にも渡したくない。菜胡をより強く抱きしめれば、首に回された腕の力もわずかに強くなる。棚原の肩口に顔を埋める菜胡が息を殺しているような気がした。泣いているのではないか? 腕を緩めて顔を見れば、眉は下がり、今にもこぼれそうなほど涙を湛えていた。

「ばか、なんで泣きそうな顔してんの」

「――わかんない」

首に抱きつく力がしだけ強まって、小さく聞こえた。それに応えるかのように菜胡を抱く腕を強める。

「泣くなよ……」

* * *

南川は大骨頸部骨折と診斷された。病室にってすぐ櫓(やぐら)が組まれたベッドに移し替えられ、樫井により折れた方の足を牽引する処置が施された。

大原は一旦外來へ戻ってきたが、南川の著替えなどを取ってきたり、彼の親戚に連絡を取るなど忙しくいた。

「由雄さんと大原さんはご近所さんなんです。遠くの親戚よりものように頼ってる部分もありました」

大原が結婚して今の家に引越した時から、南川は隣人だった。子が生まれれば孫のように可がってくれた。他人なのに近な存在だから一人暮らしになった南川を大原は何かと気に掛けていた。

その日の夜、遠方の親戚がやって來た。軽く面會をしたが、牽引をして痛みが和らいでいる南川は眠っていた。翌日、外來が始まるより前に樫井から病狀の説明と今後の治療方針について話がなされた。

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