《夜明けを何度でもきみと 〜整形外科醫の甘やかな〜》6

梅雨りした頃、棚原は実家、つまり父親のクリニックに菜胡を連れて來た。

「父さん、紹介したいがいるんだ。會ってもらえないか」

そう電話で聞いたところ、クリニックに連れてこいと言われた。晝ごろなら午前の診察が終わるからとの事で、これは菜胡も快諾した。

古くからこの地に在り続けたクリニックは地域の人たちが何かと頼る場でもあった。ビジネス街の一角にあり、整形外科だけでなく科も診るためあらゆる年代が診する。待合室は二十人ほどが座れるだけの長椅子が並び、薄紫に統一された院は小綺麗で居心地がよかった。何となく整形外科外來をも思わせる溫かさだなと菜胡はじた。

晝も十三時を越える頃、棚原が呼ばれた。一人殘された菜胡は、玄関で疼くまる年配のを見つけた。駆け寄れば、スリッパはげたものの自分の靴が見當たらないと言う。靴を探してやり、履けるよう手助けをして笑顔で送り出した。

「お大事になさってください」

「ありがとうねえ」

待合室に戻れば、會計の窓口でが診察券を落とした。駆け寄り拾って渡す。

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「お大事に」

つい癖で言ってしまった。

あ、と手で口を覆って、もといた場所に座り直す。すると今度は、トイレに向かった年配の男り口で躊躇しているのが目にった。電燈の付け方がわからないのだと戸っていて、燈りを付けてやり戸を閉めた。振り返ると棚原が呼ばれてった診察室が開いていて、中から手招きをされた。彼の向こうに、穏やかに笑む初老の男も見えた。

「菜胡さんだね、どうぞこちらへ」

張して飛び上がった。

――さっきの見られちゃったかしら、出しゃばりって思われたらどうしよう?

「初めまして、紫苑さんとお付き合いさせていただいております、石竹菜胡と申します。お忙しい中、お時間をありがとうございます」

「さっき、患者さんに手を貸してくれていたね、ありがとう」

「あ、いいえ! 出過ぎた真似を……」

菜胡に椅子を勧めて、棚原が深呼吸をした。

「父さん、菜胡さんと結婚したいと思っています」

「うん、昴からし聞いてはいたよ。菜胡さんという変わったお嬢さんと真剣にお付き合いしているようだ、とな。お前が選んだだ、先ほどの振る舞いを見れば人となりがわかる」

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「昴が?」

「きっとあの子は菜胡さんを試すような事をしたんだろう? すまなかったね。あの子は笑いながら何を言われたか話してくれた。紫苑と、何十年掛けてでも、信頼しあえる関係を築いていってしい」

「はい、ありがとうございます」

昴に啖呵を切ったあの臺詞を言われた。し気恥ずかしいような気持ちだが、れてもらえた事は素直に嬉しかった。椅子から立ち上がり頭を下げる。

「菜胡さんは整形外科外來だと聞いた、患者のあしらいも上手いから、うちに來ないか」

「ちょちょっ、ヘッドハンティングやめて」

高らかな笑いがあがる。

「坊ちゃん、大先生に人取られちゃいますね〜」

年配の、古くからいる看護師が茶々をれる。大原よりもし歳上か。食堂のおばちゃん味がある様子に、菜胡もつい笑顔になってしまう。

「石竹さんのご両親へのご挨拶は?」

「來週行くつもり」

「そうか。誠実に挨拶してきなさい。結納の日取りなどはあちらの都合に合わせてもらって構わないから」

「坊ちゃん、その指は外して行った方がいいわよ?」

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あ、そうだな、と気がついた棚原。指には數年に渡ってつけてきた指の痕がついていた。

翌週、菜胡の実家へ出向いた。ガチガチに張していたのは菜胡の両親の方で、長の時に一度経験しているにも関わらず、棚原の上背の高さ、醫師という職業が両親をくさせた。

「地味な菜胡を見初めて下さってありがとうございます」

「あの、この子の痣の事はご存じで……」

「聞きましたし、見せてもらいました」

――見せてもらったって、それはつまり!! 紫苑さん!!!

菜胡はお茶を噴くかと思った。その様子に気がつかない父親は話を続けた。

「大學病院の皮科に通ったんです。何とか消えないものかと調べていただいたんですが癥例がないと言われまして、それでも一縷のみをかけて、窒素で皮を焼いて、火傷と同じ狀態にさせる方法を試しました。腕の方はそれで薄くなった。だがそう広範囲には無理だと言われ、きれいに消すならレーザー治療もあると教えてもらいました。腕はおろか、の方は何しろ範囲が広すぎる。菜胡のの負擔はもちろん、お恥ずかしい話ですがお財布の負擔も大きかった。幸い、夫となる者以外には見えない箇所だからこれでいいとこの子が決めまして」

「そうでしたか。痣は別に気になりません。僕はそれすらおしいので……」

言いながら、隣に座る菜胡の手を握り見つめ合う。

「な、なら、私たちも嬉しく思います。棚原くん、娘をよろしくお願いします」

お互いを自の家族に紹介し終え、六月の末に結納を行った。それから約半年後の十一月吉日、棚原と菜胡は式を挙げた。最悪の出會いからおよそ二年八ヶ月が経っていた。

菜胡は結納が整ったあとで退職した。借りていた部屋は引き払って棚原のマンションへ引越し、事実上の同棲が始まった。

式の準備の中で、二人は小さな言い爭いが何度かあった。仕事場が同じだった頃はそれでも顔を合わせなければならず職場では普通に接するが、一旦二人きりになると途端に険悪なムードになってしまう。だが退職した今は、朝、棚原を見送ると帰ってくるまで一人だ。その時間は頭を冷やすには充分で、帰宅した棚原と互いの話を聞き合うことができた。話が平行線のまま朝を迎えた時、菜胡は、まだ眠る棚原に抱きついた。

「ん……どした」

「夕べはぎゅってできなかったから……」

に顔を埋める。

「俺も……菜胡が足りなかった」

抱きしめ返されて、一日が始まる。

何度も衝突しながら二人は吉日を迎えた。とても晴れ渡った日、棚原のもとへ菜胡は嫁いだ。

式は人前式を選んだ。招待した六十人程度の人々の前で結婚を誓い合う。そのまま披宴も兼ねて食事が供された。大原と樫井も祝福に駆けつけてくれ、特に大原はビデオメッセージを祝いにと持ってきてくれた。外來の患者たちからだというそれを會場で流したところ、映っていたのは外來でよく話していた患者たちで、皆口々に祝福をくれる様子に二人は激した。

二週間ほど前の事だった。外來診療を終えた大原を、南川が待っていた。

「さち絵ちゃん、お願いがあるんだ」

「あら、なあに改まって」

「菜胡ちゃんにお祝いの唄を贈りたいんだよ、どうしたらいいかな、何か良い方法ないか?」

そうねえ、と悩んでいたら、ちょうどそこに樫井がやってきた。

「それならビデオメッセージにしたら」

「ビデオ?」

「ああ! そうよそれがいいわ! 由雄さんが唄う様子を録畫して、それをあたしが屆けるわ。會場で流してもらお」

「それは難しいのか?」

樫井が何かを思いついた。

「あ、それなら、診察が終わったら常連さんていうか菜胡ちゃんを気にっていた患者さんや外來の皆から一言メッセージをもらおうよ、畫でさ。それで最後に由雄さんが唄う姿を撮る。いいんじゃない?」

そんなやりとりがあって、約十日かけて一本のビデオメッセージが出來上がった。菜胡の結婚祝いに一言メッセージをと言われ、戸いつつも皆、笑顔でメッセージをくれた。

『菜胡ちゃん、結婚おめでとう。良い方に出會えて私も嬉しいです。菜胡ちゃんに叱られてからは傘を杖代わりにするのはやめています、安心してください。どうかお幸せに。たまには顔を見せてちょうだいね』

叱られた、というところで笑いが起きた。

雨の降っていない日、傘を持っている人が待合室に居た。毎週來る年配ので、菜胡が傘を持っている理由を聞いたところ、玄関にあってすぐ手に取れたから持って來たのだと言った。杖にもなるから、と。その得意げな様子に、菜胡は聲を荒げた。

「傘は杖にはならないからだめよ! 傘の先はり止めがついていないし骨だって細いんだから。転んだらどうするの、打ち所が悪かったらどうするの!」

はこの時の事を言っていた。叱るなんて大それた事をしたと思っていたが、きちんと杖を使ってくれているそうで安心した。

『菜胡ちゃん、棚原先生、結婚おめでとうございます。息のピッタリ合うお二人の診察室での様子はとても微笑ましくて、早くくっつけばいいのにって思っていました。だから嬉しい。いつかきっとメンチカツ食べに來てください、とびきり味いの作って待っています。お幸せに』

複數の患者さんにビデオの前でしゃべってもらった。棚原は當然この事を知っていた。

彼らのメッセージのあと、南川が待合室に立つ姿が映し出された。俺はもうダメだと弱音を吐いていた由雄は、杖を點きながら自力で歩き、菜胡へのメッセージを口にした。まんまる顔で、長い眉が困り眉を作っていて、とても元気そうな笑顔の由雄に目が潤む。

『さち絵ちゃん、もういいか? これ喋っていいの? どこ、俺映ってんのか? いいんだな。よし。えー、棚原先生、菜胡ちゃん、結婚おめでとうございます。二人の地図はまだ真っ白だ、これからきれいな虹に染め上げていけることを願って、拙いですが菜胡ちゃんと約束していた唄を贈ります――』

南川が唄い始めた。それは約束していた「小諸長唄」だった。菜胡は顔を覆った。退職するにあたって、特に顔見知りの患者へは結婚の報告と退職の挨拶をしていた。由雄にも挨拶をしたが、その時は唄の事をすっかり忘れていた。だから余計に嬉しかった。棚原もこれは知らなかったから驚いた。涙を流す菜胡の肩を抱いて、ビデオを見続けた。

一生懸命に唄い終えた由雄は手を振って、満足気に大原とハイタッチをして映像が終わり、その和やかな空気のまま式は無事に終わった。

帰っていく招待客に一人一人と挨拶をわす二人。総人數はないため、一人一人とし話ができる。

菜胡の友人として來てくれた雅代の番が來た。棚原の持つカゴからドラジェを一つつまみ取って雅代に渡す。

「雅代ちゃん、來てくれてありがとう」

「菜胡きれいだよ、おめでとう。落ち著いたら連絡ちょうだいね」

棚原が隣から聲を掛けた。

「これからも菜胡と遊んでやってください」

「もちろんです、どうか菜胡をよろしくお願いします」

雅代を見送り、振り向くと大原がいた。

「大原さんんんん」

一気に涙腺が崩壊した。持っていたハンカチで涙をそっと拭ってくれる大原は、そのまま菜胡を抱きしめた。

「やあね、こんなに泣き蟲だったかしら! 花嫁さんしっかりしなさい。旦那さんと仲良くね。たまには遊びに來てちょうだい」

「はい、きっと行きます。ありがとうございました」

こうして、會いたかった人、お世話になった人に晴れ姿を見せる事ができ、たくさんの祝いの言葉を頂いて、二人の夫婦としての道が、この日はじまった。

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