《婚約破棄されたら高嶺の皇子様に囲い込まれています!?》29.それは、王國で最も忌まれるの名前
(これは……ちょっと、甘く見積もりすぎていたかもしれない)
わたくしは思いがけない展開に、自分の顔が引きつるのをじていた。
本日はもともと、侯爵家から持ち込まれた縁談を正式に斷りに來たというわけで、まあわたくしが歓迎されないであろう予想はしていた。くどくど説教を正座で聞かされるか、激怒の雷を落とされるか……そういう心づもりではあったのだ。
だけどまずレオナールと再會して復縁を迫られたことも、その後垣間見てしまった親子模様および連行されていく侯爵家嫡男の様子も……あれ? デュジャルダン侯爵家ってこんなだったかな? と冷や汗が止まらない。
(現當主であるレオナールのお父さまは、理想的な上級貴族。落ち著いていて、話のわかるお方……そういう噂だったし、わたくしが覚えている昔の記憶でも大差ない印象だった。それなら息子レオナールと話すよりは話がまとまりやすいだろうし、という考えだったのだけど……淺慮だったかしら)
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「どうかしたのかい? ついておいで、シャリーアンナ」
おっふ……もじもじしていたら屋敷の主人からにこやかに催促されてしまった。
なんだか急速に殿下がし――げふんごふん、失言でした、懐かしくなってくる、が正しい表現となりますのでご査収ください。
確かに殿下も、いつも穏やかでにこやかで、何考えているかわからないんだよなーと思わせる所はあった。いや、まあ、何なら今でもあの人の頭の中がどうなっているかなんて、一般市民代表者のわたくしにはちっともつかみとれていないのですけれど。
でも、殿下は……なんというか、ずっと、まぶしくて、溫かくて。ちょっと時々容赦ない所とか、ヒヤッとしたことはあっても、こんな、底冷えするような気持ちにはさせられたことがなかった。
しかしこの完全アウェイな狀態で退路を塞がされた以上、抵抗も無意味、むしろ悪手と言えるでしょう。ここは大人しく、侯爵閣下に付き従うほかない。
ああ……でも、「婚約破棄の後始末ぐらい、一人でできるもん!」とか意地張ってないで、誰かについてきてもらえばよかったなあ。ここ最近周辺が賑やかなことが多かったから、侯爵家の靜けさに囲まれていると非常に心細い。そもそも今日の面談、殿下のお帰りを待ってからでも遅くはなかったのでは――。
(駄目でしょう、シャリーアンナ! しっかりするのよ。この先、殿下に見捨てられるまではお仕えしてみたいと思ったからこそ、自分の問題ぐらい、自分で決著をつけねばって……)
こみ上げてくる不安をなんとかなだめながら、我が家とは違う広い屋敷をしずしずと歩いて行く。
……いや、ひっろい。そしてこんなに広大なのに、なんで人の気配がしないの。その割に、どこもかしこも埃一つなくてピカピカ。なんなのこの場所。わたくしがピリピリしてるだけなのかな。
やがて応接室のような場所に通されると、侯爵閣下はまたもや音もなく現れた使用人達に、お茶とおいしそうなケーキを用意させる。
それにしても、足音どころか気配も殺して歩く人達ですね……何なの? 特殊な訓練でもけているの? 侯爵閣下が結構神経質で、音を立てるとガミガミ言ってくるとか?
「わざわざ來てもらったのだから、このぐらいのもてなしはさせておくれ」
「ありがとう存じます。いただきます」
わたくしは社辭令を述べて微笑みを浮かべ、カップを手に取る。
まあ、一応。マナーと、後は……この重苦しい雰囲気的に、口をつけるぐらいはね。しておかないとね。なんだか許してもらえなさそうな雰囲気がね。
わたくしがソーサーにカップを戻すと、侯爵閣下は目を細められた。
「遠慮せず、おかわりだって用意しているのだからね。それともうちのお茶は、味が合わなかったかな?」
わあい。もっと飲めって。ちゃんと飲めって。あああどうしよう、來たばかりだけどもう帰りたい。
鈍いわたくしでもさすがにわかりますって。これ十中八九何かってますよ! 自白剤かな! 自白剤程度なら可いものかもしれないな! 割とド直球に毒飲んで死ねよって言われてるのかもですからね!!
階段ダイブ前のわたくしであれば、けれど偉くて雰囲気を持っている人にこんな圧をかけられたら「はいわかりました」と言って即全部飲み干したことだろう。何なら用意されているケーキにも食らいついたはずだ。
けれど今のわたくしは、殿下の付き人を務めて理不盡耐も多についた。そして殿下と「また會いましょう」の約束をしている以上、この屋敷からなんとか無事に帰る所までがミッションなのである。
ごくっとを鳴らしてから、なんとか表を取り繕う。
「絶品です、わたくしのような卑小のにはもったいないほどの高級品で。ただ今日はわたくし、その……とても、張しておりまして。何かご無禮がありましたら、お許しくださいませ」
良かった。いったんは黙ってくれた。しかし、気まずい沈黙が流れる。
……呼び出してきたのはあちらだけど、用事があるのはわたくしなのだし、こういう場合、やっぱりこちらから切り出すべきですよね。話題が話題なだけに、とても言いづらいですが……!
「あの。本日は、その……」
「レオナールはきみに婚約破棄を申し出たそうだね。きみはそれを理したと」
「はい、その通りです」
途中からあちらが引き取ってくださったので助かりました。しかして再び高まる張。
いえ、わたくし、この屋敷の敷居をまたいでからずーっと心臓がバクバクなのですけどね。ああ胃が痛い。キリキリする。さっき「張でりません」って言い訳をしたわけだけど、ただの事実を言っていただけでもある。
「いいよ。きみもあの程度じゃ足りないということだろう。むしろ悪かったね、何年もあれを許嫁《いいなずけ》にしたまま放っておいて」
「……へ?」
わたくしが拍子抜けして、変な聲を出してしまったのも仕方ないと思う。
だって、今日の流れ的に、ここは「なんで婚約破棄なんて言い出したんだ? 撤回しないの?」とかまず詰められる所のはずじゃない?
侯爵閣下はわたくしの向かいで腕を組み、顎をのせてみせる。
「レオナールはもう二度ときみの前に姿を見せない。それならきみも、無理に我が家と婚約破棄をする必要はなくなるだろう?」
「……えっと。あの……申し訳ございません、わたくしにはお話の意味がわからなくて」
「どんなタイプの子が好みなのかな? 金髪碧眼の優男かい? いいよ。きみの好みの子を用意してあげる。それなら何の問題もないだろう?」
「待って……待ってください。あの、絶対に聞き間違いだと思うのですけど……まさか閣下、レオナール・・・・・とわたくしの婚約破棄は認めるけれど、デュジャルダン侯爵家との縁談は無効にならなくて……だからかわりに、別の相手を用意すると。そのようなことをおっしゃっているわけでは、ありませんよね?」
「その通りだけど? どうして驚くことがあるのかな」
奇妙に若々しい男は、當然の顔で小首を傾げた。
――絶句する。
カップとかお菓子とか、手にしていなくて良かった。たぶん落としていた。
「わ、わかりません……だって、レオナールは侯爵家の大事な跡取り息子でしょう?」
「跡取りはね。必要な時に必要なだけ、いるものだよ。あれはまあ、不出來だったが、忠実ではあったのだけどね」
――駄犬は所詮駄犬だね。恐ろしく若い男は、のんびりとそんなことも付け足した。
わたくしは震える手をぎゅっと握りしめる。
これはもう、ずっと無意識にも意識的にも避けていた問いを向けるしかない。
「閣下、お聞かせください。そもそも未來の侯爵夫人にわたくしがいいと言い出したのも、あなたであったと聞いています。わたくしは何一つ特筆するような才能のない、名ばかり男爵家の娘です。あなたが無理に侯爵家に迎えたがる理由など、何一つ――」
「きみ相手なら、このまま三文芝居を続けるのも悪くはないけど。その枕詞も、そろそろやめないかい?」
侯爵閣下はすっと立ち上がり、あっという間に距離を詰める。
わたくしは逃げる間もなく彼の腕と腕の間に閉じ込められた。ぞぞぞぞぞっ、と背筋に悪寒が走る。
けれどわたくしが何か言ったり行を始める前に、デュジャルダン侯爵はそっと小さく囁いてきた。
「私はずっと待っていたんだよ、マノン・・・」
――その名前を出された瞬間。
わたくしはもう、くどころか何も考えられなくなってしまった。
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