そんなことを思い出していると、ドンッと背中を叩かれて一気に現実に引き戻された。

「おい、加賀谷……お前、しは自分で歩く努力しろよ」

「…う………やめろ、気持ち悪い」

「おい、頼むから吐くなよ！？ただでさえお前はムカつくぐらい背が高くて運びづらいってのに余計な仕事増やすな」

「まぁ、それは大丈夫でしょう。加賀谷のその狀態はお酒云々というより神的なストレスが原因だろうし。最悪、橘のスーツがダメになるだけだね」

「ぎゃー、このスーツ高かったんだぞ！それだけは絶対やめてくれ！」

「ほら、呼んでたタクシー來たよ。2人とも乗って」

「いやだ……帰りたくない………」

「じゃあね加賀谷、しっかり眠るんだよ。悪いけど俺は妻が家で待ってるから帰るよ。橘、後は頼んだ」

「おう、お疲れぃ」

佐倉が呼んでくれたのであろうタクシーに揺られてどこかへ向かう。まぁ、橘の部屋だろう。これまでも何度か世話になっている。いつからか、あの店で酔い潰れると彼らが迎えに來てくれるようになった。いい加減こんなことは辭めなければいけないと分かっているし、あの店に通う頻度も隨分落ちてきた。それでも、今でもたまにあの席で彼との思い出に浸りたくなるのだ。

なにせ、初だったのだ。姉たちの影響で心つく前からモノのフィクションを延々と見ていた。あるいは未だに仲睦まじい両親たちの影響なのか、俺の生まれ持っての嗜好なのか、とにかく畫面の中で微笑み合う幸せそうな2人に憧れていたのだ。何の因果か容姿に恵まれた俺は、言い方は悪いがいくらでも相手を選ぶことができたし、きっといつかは素敵な人に出會えるだろうと。そう思っていたのだ。

だから、ティーンエイジャーの頃はんな子と付き合ってみた。だけど、皮なことにみんな俺の顔しか見ていなかった、俺と付き合うことがある種のステータスのようになり、いつしかそこにが追加され……とうとう俺はうんざりした。本當に好きになった相手以外とそんなことをしたいとは到底思えなかった。剎那的な快楽を満たす存在ではなく、生涯を一緒に過ごす相手。そんな人を探し求めていた。

それから何年も経って、俺は彼を見つけたのだ。今まで自分が散々言われてきて、信憑に欠けると判斷していた一目惚れという現象。彼を一目見て、自分の考えが間違っていたことを瞬時に理解した。が甘く痺れて、疼く。そんな不思議な覚だった。それでも、そんな事実をけれがたくて己の覚に心抵抗していたのだが彼に會うたびに好きという気持ちが際限なく溢れてきて、いつしか自分の想いは揺るぎないものになっていった。

自分が思っていたより彼が年下で驚いたこともあったが、そんなことは些細なことだった。それよりも彼の気持ちが分からない事の方が深刻な問題だった。熱い目でこちらを見つめてくれることもあるのに、どこか冷めているというか。一線を引いた態度を取る彼の思が読めなくてじれったかった。それでも、しずつ彼の心の壁が溶けていく実はあった。だから、時間を掛けてどんどん俺に溺れさせて、丁寧にを注いでいきたかった。

なのに、あの夜。小さく頷いた彼のに耐えられず、彼を抱いてしまった。自分も経験のないことだったのではっきりとはわからなかったが、恐らく彼も初めてで。手探りで互いのを確かめて、本能のままにし合った。彼の熱くらかなと絡み合う指先の。それだけで心が満たされて本當に幸せだった。

「しかし、お前も難儀だな………ルックスも中も超一級品なのに心がぶっ壊れちまってる。あれ以來、誰も抱けないなんて……俺がそんな狀態になったら気ぃ狂う自信あるわ」

「………それは別にどうでもいいよ」

「ああ？男にとっては死活問題だろ…ってかさ、何回も言ってるけど興信所とか使って調べりゃいいんじゃねぇの？いくらでも手段はあるだろ」

「……それは、考えたけど……俺と會う気のない彼に無理強いするのは………迷だろ」

「はぁ、なんでこんなに健気な男がこんな目に遭ってんだろうな……」

だから見捨てらんねぇんだよ、と呟いた橘が背中をでる。男にれられて喜ぶような趣味はないのでシンプルに気持ち悪い。でも、そんな橘と佐倉の気遣いにはいつも謝していた。

「仕事で…何か困ったことがあれば言えよ………」

「はいはい、いつもありがとうな………ほんっとに、歴代最年でマネージャーに昇進するくらい仕事はできるのになぁ」

「…仕事しか、することないからな…でも、仕事も…そろそろ辭めるつもりだ……アメリカに帰る…」

「は、正気か！？」

今日一番の驚きを見せた橘に肩を揺さぶられる。さすがにそれは本気で胃が気持ち悪い。そして、退職してアメリカに帰國するという話は本気だった。どの案件を最後にするかはまだ迷っているが、なくとも1年以にはUNIを辭める。いい加減、この地を離れて彼への未練を斷ち切らなくてはいけない。家業を継いでもいいし、向こうでコンサルをやってもいい。彼を忘れるために仕事に熱中していたおかげで、1人で気ままに生きて行けるくらいにはスキルも経験も溜まった。

————それからしばらくして、俺は自分の最後の案件を決めた。

社でPMの募集がかけられていた大手化粧品メーカー、瑠璃香の案件。自ら提案中の案件でもなく、これまで長年に渡ってリレーションを築いてきたクライアントの案件でもない。なんなら、自分がこれまでコンサルタントとして培ってきたケイパビリティと若干ズレてすらいる案件。それでも、俺がこの案件を擔當しようと思ったのは、かつて彼が一番興味を示していた企業だったからだ。己の々しさには本當にうんざりするがどうしようもない。心がそうんでいるのだから。

そして、クライアント先でプロジェクト概要を説明している時に————彼を見つけたのだ。関連部署の人間が全員集められた大規模な會議にも関わらず、自然と彼に視線を引き寄せられた。當然、5年前とは雰囲気が違う。それでも彼だとはっきりと理解した。

その存在に気がついた瞬間から今すぐ會議など終えて、彼の元に駆け寄りたかった。だが、さすがにそれは彼にも迷がかかるだろうしやめておくことにした。代わりに、これからどうやって彼に接するか考える。極力迷をかけないように、それでいて確実に彼を捕まえたい。こうして再會したからには絶対に逃したくないと本能が訴えてくる。凄い速さで頭を回転させて策を考えたが、そもそも未だに彼の名前すら知らないことに気がついた。まずは報収集をしなくては。

こんな仕事を何年も続けてきたおかげで、何も考えなくても淡々とプレゼンができるようになっている。そのことにこれほど謝する日が來るとは思わなかった。口をかしながら、彼の姿を改めて確認すると隣に座った子社員たちと何か話し込んでいる。この様子では、彼は俺に気がついていないかもしれない。もしかしたら、そもそも忘れられているかもしれない。

それでも構わなかった。今度こそ絶対に彼を手にれる。心の中でそんな想いを滾らせながら、俺はプレゼンテーションを締めくくったのだった。

それから1週間が経って、彼————逢坂玲奈の直屬の上司である三木課長と會話していると、近くの席に彼がいることに気がついた。さすがに課長と1対1で話をしながら様子を窺うのは難しく、彼がこちらを向いた瞬間があったような気はするものの、すぐに視線を逸らされてしまって殘念だった。仕事の話をしながら心落膽していると、今度は彼の話し聲が聞こえてきてが高鳴った。しかし、その會話に眉を顰めた。課長が訝しげな顔でこちらを見ているがそれどころではない。

し距離があるので完璧に聞き取れた訳ではないが、何にせよ彼と同僚の會話の容は看過し難かった。婚活アプリで出會った相手と今夜デートする。おまけに、結婚まで辿り著けると良いね、だと？さらに、彼は押しに弱いから何かあるかもしれないと言われている。思わず、彼の方を振り向くと今日に限っていつもよりセクシーな服裝をしていた。かなから腰にかけてのシルエットがやけに能的で男の劣を擽る。これは、絶対にダメだ。

そう思った俺は適當な理由をつけて、課長との會話を終えると衝的に彼の後を追った。廊下で彼の腕を摑んで、近くの空いていた會議室にって、彼の両腕をそっと壁に押し付ける。何を言うかなんて何も考えていなかった。ただ。彼をこのまま見知らぬ男の元に送り出すのが嫌で。その一心で壁にい留めたのだが————彼が縋るような聲で俺の名を呼んでくれたのを聞いて、俺の心は決まった。

「————俺と結婚してしい。結婚を前提に付き合ってしい」

ひどく驚いた顔をしているものの、頬を薄っすらと染めた彼が————玲奈が俺を見つめていたのだった。