「……弱ったなぁ」

思わず、ぽつりとつぶやいてしまった。

後ろを振り返ると、果ての見えない闇がどこまでも続いている。

何でこんなことになったのか。

その日のお晝頃、いつもの窟でのことだ。

目の前でくつろいでいるのは、パンサーとウィルム。まるでひと仕事終えたあとの親方分のように、まったりとしていらっしゃった。

いや、事実、終えてるのか。

なにせこの窟の魔をほとんど狩りつくしてしまったのだから。

まぁ、それ自は別に悪いことじゃないんだけどさ。

規約に違反してＢランク依頼をクリアしてしまったことになるけど、たぶんハンナさんならきちんと事を説明すればわかってくれるはずだし。

まぁちょっと小言言われるかもだけど。

それよりもこの後、

「どうするかなぁ」

またも獨り言。

今からここと同じくらい強い魔が出る場所を目指すとなると、時間が足りない。移だけで日が暮れてしまうだろう。

帰ってもいい。別にそこまで切羽詰っているわけじゃないし。

でも、なんかもったいないんだよなぁ。

貧乏というか、効率主義というか。我ながらたまにめんどくさい格をしていると思う。

「よっし皆の者注目！！」

パンっと手を叩き、偉そうにを張る。

「せっかくだから探検しよう」

と意気揚々出発したのが、六時間前だ。

現在午後六時半。

今から帰ったとしても、完全にヨナからお叱りをけてしまう時間だ。しかもこういうときに限って、リュカ姉たちはいないし。

くそぅ、使えん。

そんな僕の心配などどこ吹く風。ピクシーはウィルムにちょっかい出して遊び、ウィルムはまんざらでもないようにそれに応じている。

アプサラスはシャドウの背にぺたんと座り、ほけらーっと天井を眺めていた。シミの數でも數えているのだろうか？

「はぁ～～」

盛大にため息をついてしまう。

別に疲れているわけじゃない。パンサーに乗ってのっしのっし進んでいるだけだし、戦闘だってほとんどなかった。

それに、しは収穫もあった。

こういった場所では、武とかお金が手にることも多い。ここで命を落とした冒険者の持ちだ。そういうものは、見つけた人のものにしてもいいと言うのが暗黙の了解。

合法的なネコババです。

ちなみに、冒険者の死などは魔の餌となる。とくにここに出てくるリビング・ワームはだけじゃなく、文字通り骨の髄までしゃぶりつくすため、骸骨すら殘らない。

クリーンな芋蟲なのだ。

とにかく、得るものはある。

とはいえ、決して費用対効果が大きいわけじゃない。

正直に言えば、外へ出て狩りをしていた方が數倍も有意義だったはず。何より、ヨナに心配かけちゃうし。あぁ、怒ってるだろうなぁ……。

普段溫厚な人に怒られるのは、あまり気持ちのいいものじゃない。

迷ったわけじゃないのが問題だ。

あまりに収穫がないものだから、意地になって深りしすぎたのが原因。

気づくのがもうし早ければ……あぁもう。ここまで來たら、もういっそ行き著くところまで行ってしまえ。

訓示『時計はよく見て行しましょうね！』

小學生レベルの文句に涙です。

それからしばらく歩いていると、急な上り坂となった。

これまでも『しずつ登ってるな』という覚はあったが、ここに來て急に傾斜がついたのだ。

もしや、なにかあるのでは？

自然期待が高まる。飽きもせずきゃっきゃうふふと戯れているピクシーとウィルムはともかく、退屈そうにしていたアプサラスの表がかすかに変わったような気がしないでもない。やっぱしない。

パンサーの頭をでた。

「お前はこの気持ち、わかってくれるよな？」

「がぉっ」

いつもと変わらないいいお返事だ。禮儀正しくて大変よろしい。

肯定の意思ととっておこう。

決して『よこせ』だとか『重い疲れた降りろ』だとか言ってないと思いたい。

螺旋のようにねじれる坂を登っていくと、冷たい風が吹き込んでくるのをじた。どうやらこの先に出口があるらしい。

パンサーを急かして登っていくと――

「おぉ……」

そこには満天の星空が広がっていた。

思わず嘆の聲をらしてしまう。

この世界の空は、日本とはまるで別だ。

正確には、ある程度都會に住んでいた僕にとっての空とは、まったくの別。

満天。

そう形容してもなんら誇張がない。隙間なく散りばめられた星々は、とりどりに輝き、空を彩っている。

だが、ここはそれにをかけて、きれいだ。

今にも落ちてきそうなほどの存在を持っている。

手をばせば屆きそうだけど、ばせば絶対に屆かないと思い知らされる。まるで幻影のようだった。

どれくらいそうしていただろうか。

－－敵意！！

突如、ロマンチックだった雰囲気をぶち壊しにする吠え聲が響いてきて、僕は我に返った。

聲の方を見やる。

「……オーガ、か？」

そこにいたのは、一本の角を生やした巨大な鬼、オーガだった。

しかしのが赤い。

たしか普通のオーガは緑だったはずだから、こいつは亜種か？

考えながら、構えを取る。

魔のランクは、そのランクの冒険者が安全に倒すことのできることを目安につけられている。例えばＢランク冒険者なら、たいていはＢランクの魔を倒すことが出來る。

もっとも、ランクでも強さにムラがあるため、大の指標にしかならないが。

オーガは、通常種でＣランク相當の魔だ。その亜種となるとＢランクが妥當ではあるが……いや、違う。

この坑道に出てくる魔でさえ、ＣからＢランク相當なんだ。

そしてここは、山頂。周りを見る限り、こいつ以外の魔はいない。

つまり、ボスだ。

下手するとＡランク相當の可能もある。

鬼を正面に見據え、ウィルムを左に、アプサラスを右に、そしてピクシーに一帯を照らさせた。

「ブラッディ・オークと同等かそれ以上、ってところか」

ウィルムとパンサーにやらせれば、てっとり早く片付けられるだろう。

この二はそれぞれがＢランクを圧倒するほどの力を持っている。Ｂランク冒険者――マルコと同等とはとても思えないけれど、なくともＣランク冒険者よりは強い。

でも。

パンサーから降り、前に出た。

「みんなは待機していてくれ。僕がやる」

これはある意味、いい機會だ。まだ一月も経っていないが、あれからどれくらい強くなったのかを試してみよう。

それに、錬金がどの程度の魔にまで通用するのか知っておきたい。

オーガと視線が合った。

――來る！！

直後、咆哮とともに飛び出してきたオーガを見據え、僕は地面に手をつき、錬金を発した。

「こんばんは、ハンナさん」

戦いを終えたあと、僕は一目散にギルドへ帰ってきた。

現在、午後九時ちょっと過ぎ。

この世界の基準で考えれば、立派に深夜と言える時間だ。

さすがに誰もいないだろうと思って、それでも一応ギルドへ來たところ、奇跡的にハンナさんがいた。

ギルドの丸機の上でなにやら書類を見て、難しい顔をしている。

「あら？　どうしたのですか、こんな夜遅くに？」

しかし僕を見るなり表をらかくしてくれるあたりは、さすがギルドの茶髪天使さんだ。ちなみにこのネーミングは通り名であり、僕が考えたものじゃない。

「すみません、でも報告しておきたいことがありまして……」

そう言うと、ハンナさんは「し待って」と言い、書類を片してくれた。

僕は薦められるままに、向かいの席へ腰を下ろす。

「それで、なにがあったのですか？」

ハンナさんの顔が真剣みを帯びるのは、僕が何度か重大事件に巻き込まれているからだろう。

あのきれいな顔の裏で、『またこいつ厄介ごとを持ち込みやがって』なんて思っていないことを祈る。だ、大丈夫、ですよね？

「え、えっと、二つありまして。一つは、ここから北西にある山の坑道で起きてる大量発生のことです」

「あぁ、あれですか……」

すぐに察してくれるのは、この人が優秀だからだろう。

そして若干眉間に皺が寄ったのは、僕のしたことを見抜いている証拠。やっぱこの人に隠し事はできない。

「えぇと、その……解決しちゃいました」

「行ったんですね？　それも一人で」

「はい……」

鋭い視線から逃れるように俯くと、はぁ、というため息が聞こえた。そして――

「ランク指定の意味が分かってないようですね。いいですか？　これは別にあなた方を拘束するために作られてるわけじゃないんです。守るため、そう、あなたのような無法者を守るためにあるんです。わかってるんですか？　わかってないですよね、全く。そもそもこのランク指定と言うのは過去に起きた痛ましい事件や後輩育と保護を考えて決死の覚悟で魔調査に乗り出してくださった諸先人の方々の、まさにと汗の結晶でできているんです。命がけだったんですよ？　あなたが強いのは分かってます。えぇえぇ十分承知ですとも。けれどそのことがこの厳な決まり、ルールを侵していい免罪符にはなりえません。ほかの冒険者が真似しないとも限りませんし、あなた一人の問題じゃないんです――――」

別名『茶の悪魔』は伊達じゃない。

注意、警告。

この人は僕たち冒険者が大好きだ。

そして好き過ぎるあまり、度を超える。夜遅くまでギルドに殘っているのもそう。そしてみんな、そのことがわかっているからこそ、この人のお小言には頭が上がらず、逆に恐れる始末。

若くしてお母さんスキルをカンストしているのだ。

くわばらくわばら。

はぁ、というため息が聞こえ、僕は我に返った。

やべ、ぼぉっとしてた。

「まぁ、無事でよかったです」

かわいい。

三つ目のあだ名は茶髪の天使悪魔。あげて、落として、上げる。危うく惚れそうになっちゃったじゃないか。

危険だ。こういうのにコロッと騙されて、告白なんてしようものなら、次の日には曬上げだ。學校での數々の失敗は、確実に僕の糧となっている！

なんてくだらないことを考えているうちに、ハンナさんが話を進める。

「報酬は明日お支払いします。それで、二つ目とは？」

「これを鑑定してほしいんです」

そう言って、僕はオーガの角を取り出した。

赤鬼との戦いは、呆気なく終わった。沼の力は、どうやら陸上生に対して圧倒的に強いらしく、ネズミと同じように鬼もホイホイ退治できた。

しかし、一応異常種であることも考慮して、持ってきたのだ。

角を手に取ったハンナさんは、それをまじまじ見て、むむっと眉間に皺を寄せる。

「オーガのものに見えますが……大きいですね。それにも違う。赤黒いのは初めて見ました」

「えぇ、坑道の奧はあの山の山頂に繋がってまして、そこにいた赤いオーガのものです。強さはおそらくＢランクの上。と言い強さと言い、ちょっと異常だったので一応持ってきました」

「赤、ですか……わかりました。これについてはギルドで調査します。おっしゃる通り、もしかしたらイレギュラーかもしれません」

そう言って、ハンナさんは角をハンカチでくるみ、脇に置いた。

そして再度、真剣な顔つきになる。

「オーワさん、くどいようですが、気を付けてください。最近、異常種と言い大量発生と言い、おかしなことが多く起きています。いくら強くても、あっけなく死んでしまうことだってありますから。

冒険者は、そういう職業だということを覚えていてください」

真剣な聲に僕はうなずいて、ギルドを後にした。

ちなみに宿でもヨナから説教された。

ヨナ、たのむから涙目になるのはやめてください。ベビーが消えてなきゃ平気だって、何度言えばわかるんだよ。