《豆腐メンタル! 無敵さん》三日目七谷水難事件⑦
こういうのは、“呼吸”ってのがあるからな。この號令、たぶん誰もが「命令」だって、昔から、ずっとじてたはずなんだ。人に命令されるのが好きなやつなんて滅多にいない。もしいたら高確率で変態だ。とはいえこんな號令一つのことで、そんなに反発するやつもまずいない。こんなのただの儀式なのだから。
だが、今は。今の、このタイミングで、號令をかけたのが無敵さんだってのがいかにもまずい。
初日の事件で、みんなはすでに無敵さんを“保護すべき人間”だと認識している。自分より弱く、劣っていると見下してもいるだろう。そんなやつに呼吸をはかる間も與えられずに命令されて、誰が素直にくんだ。
「す、すいません。ごめんなさいっ。あ、あたしなんかの號令で、立ちたくないのは分かりますっ。で、でも、これはクラス委員長の仕事で、でも、今は、その委員長さんが困ってて。突然言われたから、あたしと同じでびっくりしててっ」
靜かな教室に、無敵さんのくぐもった聲だけが広がった。こいつの聲は、とても不思議だ。くぐもっているはずなのに、やけに通る。普通に話しているともっと良く通ってしまう。
俺は、こういう話し方をする人間を見たことがある。
家族で良く見に行った、劇場のミュージカル。
無敵さんの聲は、そこで歌や踴りや演技を披する舞臺俳優たちに良く似ているんだ!
「…………」
留守先生?
ふと気になって見てみれば、留守先生もまるでく気配がない。無敵さんを見つめる表は真剣そのもので、俺にはまるで別人に思えた。
「……なんかさ。痛いね、無敵さん」
ぼそり、と子の一人が呟いた。
「だ、だから、副委員長になったあたしがやらなくちゃ、って。やるしかないな、って思って。ごめんなさい。でも、お願いです。みなさん、あたしの號令に、し、従ってっ」
ああ。まーた泣きだした。なにをそんなに頑張ってやがるんだか。
無敵さん。お前、そういうことするの嫌いだろ?
無敵さん。お前、そういうことすると苦しいんだろ?
それでもそうしてしまうのは、多分俺のせいだよな?
お前は、困った人を放っておけない質なんだ。昨日も、にゃんこを助けたし。変なやつだ。おかしいじゃないか、そんなの。
人に迷をかけるのが嫌だから、自己紹介しただけで死にたくなっちまうのがお前だろ?
人に迷をかけたくないなら、人と関わらなければいい。今はネットでなんでも出來る。買いだってそうだけど、學校すらネットで済ませてしまう時代だぜ?
なのに、どうしてお前はこの學校に學した?
なのに、どうしてネコを助けた?
そして、どうして俺を部屋に上げた? お茶やお菓子や雑誌にゲーム。誰かが來たら、もてなす準備は萬端だったじゃないか、お前の部屋。
更に、今。そんなにぶるぶると震えているんだ。自分のしていることが怖くて嫌で仕方がないってことだろう?
なのに、どうしてそこまでして俺なんかを助けようとしているんだ? 俺はお前に優しくなんてしてないぞ。俺は、お前にそんな……、そんなに優しくされる理由はないっ!
「きっ、きちーっちゅっ」
とうとう無敵さんは噛みだした。舌が回らなくなったらしい。
「き、きらー、ちゅべらっ!」
今度は本當に舌を噛んだ。「いひゃいー」とんで涙を浮かべる無敵さん。
俺は、こいつのことを見誤っていたのかも知れない。ここまでみんなに無視されているというのに、まだ號令をかけ続けることが出來るとは。
豆腐メンタル? ああ、確かに最初、そう思った。
でも、こいつの豆腐。
に當たると、結構ダメージありそうだ!
「はーい。菜々には、ちゃんと聞こえてるよ、無敵さんっ」
七谷がぴっと手を挙げて立ちあがった。
「私にも聞こえている」
黒野が本をぱたんと閉じて席を立つ。
「はっはっは。俺にだって聞こえているぞ、無敵さん」
後藤田が歯をらせて親指を立てた。さっきのダメージはもう抜けているらしい。教室の中心から左寄り。無敵さん係が立ちあがった。その中でも一番左、窓際という最高のポジションにいる俺は。
「起立っ!」
ぐるりと全員の目を見渡し、毅然と號令をかけていた。
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