《豆腐メンタル! 無敵さん》阿久戸志連宣戦布告④

あと、名前だって全然違う。蕓能人なんだから蕓名だったのかも知れないけど、どっちだったかなんてもう覚えていない。あの時の俺は、あれがあの子の本名なんだと思っていた。

でも。でも、あの瞳は。あの瞳だけは、見間違いようがない!

「……む、無敵、さん……? お前、もしかして……」

あの子の名前を思い出す。あの子の名前は、確か……。

「オトっちゃん?」

俺の様子がおかしいことに気付いた七谷が、しだけ力を緩めた。

「ふぇ?」

騒然となった教室にうろたえていた無敵さんが、俺を見る。

そこで、昨日出會った『閖上由理花ゆりあげゆりか』を思い出す。あの時、どうして俺は思い出さなかったんだろう。

『閖上由理花』。

その名がテレビで流れて來ない日なんて、今じゃそうそうないってくらいにブレイクしてる、“天才人気子役”じゃないか! だからベビーカーをぶん投げられたあの若い奧さん、あんなに驚いていたのか! なんて鈍臭いヤツなんだ、俺は! 蕓能人に関心無いからって、いくらなんでも鈍すぎる!

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その閖上由理花は、無敵さんを訪ねて來ていたのかも知れない。もし。もし、そうなら!

「お前、まさか!」

セリカ役を演じていた子の名を、無敵さんに投げかける。その直前。

「待て、ホズミ。ここでその名を呼んではならない」

「く、黒野!」

俺と無敵さんの間にさっきの七谷のように割り込んできたのは、眼鏡を冷たくらせた黒野だった。

その名、だって? お前、俺の考えていることが読めるのかよ? いや、そうじゃないな。常識的に考えて、そんなに怖い力は存在しない。だが、黒野が俺と同じような推論によって、同じような結論に行きついた可能は高いのかも知れない。黒野が俺と同じように、無敵さんの、あのキラキラとした瞳を見たことがあるのなら、だが。

黒野が俺の耳に口元を寄せる。するとそれを見ていた七谷が「むっ」と頬を膨らませた。

「見ろ、このカオスな狀態を。まるでお祭り騒ぎじゃないか。ここで、今、お前がその疑問を口にしたら、どうなるか? し想像力を働かせれば分かるだろう?」

「あっ……」

そうか。そんなの、もう収拾がつかなくなる。さっきから留守先生が「靜かにしなさーい」ってきゃんきゃん吼えてはいるけれど、全く効果ないくらいだし。

「それよりも、だ。せっかく無敵さんが追い詰めてくれたのに、このままでは宗像が息を吹き返すかもしれないぞ。見ろ」

「う」

黒野が顎で指し示す先には、この騒ぎにも踴らされずに席にいる宗像だ。腕を組み、目を閉じたその姿。黙考しているのは、きっと『號令の撤廃論』であるはずだ。

「まずいな。號令なんて、どうとでも理由付け出來るような話だし。あのままじゃ、あいつ、結構いいこと言ってくるかも知れないぞ」

「そうだろう? では、今どうするべきかは分かるよな?」

「ああ、もちろんだ、黒野。悪い、七谷。羽い絞めを解いてくれないか。お前のも、もう十分に楽しんだことだしな」

「へっ? きゃ、きゃあああっ! オトっちゃんのエッチぃ!」

思いのほか簡単に、七谷の拘束からは抜け出せた。ふぅ。ああ、でも、本當に痛かった。あと、気持ち良かった。どうも本當にごちそうさまでした。

「さて、と」

まずはこの騒ぎをどうにかして鎮める。でなければ、無敵さんの話が始められない。勝利は目前だってのに、こんなことで足止めを食っている時間はない。まぁ、これも元を辿れば無敵さんのせいなんだけど。まずは男子。こいつらを靜かにさせる!

「おーい、みんな。靜かにしろー。あと三秒で靜かにしたら、俺が無敵さんのプロポーションがどんなだったか、イラストにして教えてやるぞ!」

男子はエロでいている。特に思春期真っ盛りの男子たちは。まぁ、みんなが無敵さんのプロポーションにそれほど興味あるかどうかが問題だけど。

「なに?」

「マジで?」

「イラストはうまいんだろうな、ホズミ?」

が、男子たちはが引くようにさーっと靜まり返っていった。ほほう。こいつら、結構お目が高いじゃないか。ちょっとダブついた制服越しにでも、無敵さんのプロポーションが尋常じゃないことに気付いていたとはな!

無敵さんは「ええええええ!」と絶しているが、まぁ、そこは我慢してもらうことにして。

「任せろ。俺は、ピクシブでルーキーランキング50位にったことがある」

びしっと親指を立てる俺に、みんなが「おお」とめき立った。そうなんだ。知ってる人は知ってるけど、あのイラスト投稿サイトって巨大だから、ルーキーランキングでも二桁臺にれることなんてまず無いんだよね。

さて、次は子。こっちもエサは持っている。

「サイテー。ホズミって、マジサイテー」

「同級生の子のをイラストにして見せるとか、どんな神経してんの、あいつー?」

「ドSでホモで覗き魔にしてエロ絵師とか。どんだけキャラ盛れば気が済むの?」

うおお。視線が、視線が冷たくて痛い。子からの冷たいレーザービームが俺を凍傷にさせようとしている。ふ、ふふ。でも、俺は知っている。子って生きが、どれほどミーハーかってことをなぁ!

子も、靜かにしてくれー。靜かにしてくれれば、あの大人気子役『閖上由理花』とメールできちゃうかも知れないぞー」

「えっ? 閖上由理花?」

ぴた、と。子からの非難が鳴りやんだ。

「う、噓つくのやめなよ、ホズミ。どうしてあんたが、そんなこと」

「噓じゃない。昨日、偶然會ったんだ。あの子の飼い貓を助けるのに協力してね。そしたらメアドを教えてくれた」

噓はついていない。助けるのに協力はした。実際に直接助けたのは無敵さんなんだけど。

「あ。そういえば。昨日の『地元グルメ探索隊』って本町に來てたけど、ゲストが閖上由理花だったよ! あれ、生放送番組だよね!」

「あー! 菜々も観たー! たしかに來てたよ、ゆりゆり!」

反応したのは七谷だった。ゆりゆり? ああ、そういやあの子、そんな稱で呼ばれてたっけ。

「というわけだ。選で一名様に、ゆりゆりにメールを送る権利を與えよう。さすがにメアド自は無斷で教えられないから、俺のスマホを通してだけど」

言い終わるか終わらないかのうちに、子がすっかり靜かになった。ミーハー。超ミーハー。分かりやすくて好きだけど、そういうの。

「……ゆりゆり……」

ただ、無敵さんは俯いて。

「どうした、無敵さん? なぜ、そんなに悲しそうな顔をする?」

「あ、ううん。な、なんでもないですよ。なんでも」

はっとした無敵さんは、慌てて俺に手を振った。

「ふわぁ。でも、凄いですねぇ。あんなにうるさかったのに」

そして、小さく笑った。なんだか力ないその様子に一瞬心がざわめいた。

「ま、俺もやるときにはやらないと。じゃ、あとは頼むぜ、無敵さん」

が、それはそれだ。気にはなったが、今は一旦後回し。こいつ、もしかしたら大スターなのかも知れないとか思うと心がざわめくどころかび出しそうになるんだけど。それも今は後、後! 後にしなさいって言ってるでしょ、俺ぇ!

「分かりました。では、始めたいと思います」

直後、無敵さんのまとう空気が、明らかに変わっていた。目は、線のままだ。なのに。

「『セリカ』……?」

思わず、そう呟いてしまうほどに変わっていた。

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