《豆腐メンタル! 無敵さん》薬袋水無人傍若無人⑤

「誰だっ!」

薬袋と呼ばれたイケメンが振り返る。そこには。

「ゆりは、呆れてしまったのです。あなたの仕事は、無敵さんを連れ戻し、復帰させることのはずなのに。……ね、そうでしょ、水無人にぃ? いえ、薬袋マネージャー」

「マネージャー、だって?」

「閖上ゆりあげ、由理花ゆりか……!」

薬袋の整った面立ちが引きつった。こんな傍若無人な男が、あんな小さなの子を警戒しているのか? いや、これは警戒というよりは……。

マンションのエントランスで朝日を背にし、ひらひらとフリルをなびかせているに、俺の目は奪われていた。いつかのにゃんこを抱きしめて、毅然と薬袋を見據えるのは、間違いなく閖上由理花だ。稱、ゆりゆり。天才人気子役として名を馳せる、まだ小さなの子だった。

「水無人にぃは、事務所の現狀をきちんと理解してるのです? しゃちょーがどれほど無敵さんの復帰をんでいるのか、知らないわけないのです。今はゆりが頑張って、たまたまなんとかなっているだけなのです。なのに、水無人にぃはっ……」

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「……うるっせぇな。分かってんよ、そんなこたぁ」

薬袋は顔を逸らして小さな聲でそう言った。ゆりゆりと目も合わせられないのか? こんなに偉そうなヤツが? 今の一瞬でこの二人の間に上下関係があるらしいことは俺にも分かった。しかも、どちらかというと……、ゆりゆりの方が優勢だ。年下であるゆりゆりが対等に話している事実に、俺はそう推察した。

「ふぅ。水無人にぃにも、やっと會えたので伝えておくのです。來期の夜ドラ枠で、ゆりゆりが主役を演じることになったのです。タイトルは〈探偵セリカR〉……」

「なにぃっ? そりゃあ本當か、由理花?」

切れ長の薬袋の目が、更に鋭くなってゆりゆりを抜いた。だが、ゆりゆりはそれを真っ向からけ止めてじない。凄いだ。橫で見ているだけの俺でも、こんなに睨まれたら相當な恐怖をじるんだ。この薬袋ってヤツもそうだけど……、ゆりゆりも、その年にしてすでにかなりの修羅場を潛ってきているに違いない。そうでなければ、こんな空気は生まれない。この、相手を圧死させるかのような空気は。

「噓をついて何になるっていうのです? 水無人にぃがこんなことを聞いたなら、ますます帰ってこなくなるだけなのに」

かなりきつい嫌味だったんだろう。薬袋は「う」といて項垂れた。そこで俺はふと気付く。こんなの、もう俺には関係無い話じゃね? 攜帯で時間を確認すると、もう結構経っている。これ以上こいつらに時間を割いては遅刻する。そろそろご無禮しなくては。そういや昔、クラスのみんなと行ったカラオケで「俺、そろそろご無禮するわ」って言ったら「オッサンか」って笑されたな。今ではいい思い出だが、もう絶対に口には出さない。心の中では言っちゃうけど。

さて。どうやって逃げようか。エントランスの自ドア前にはゆりゆりが仁王立ち。中からだけ開く非常口もあるけれど、薬袋の向こう側の壁にある。そもそもこんなに小さなホールだし、そっと抜けるってのは不可能だ。じゃあ。

「あ、あのさ。話の途中で悪いけど、俺、そろそろ學校に行かないと遅刻しちまうんだよな。いや、ホント悪い」

俺はごめんごめんと手を切って、二人の間を割って出た。この仕草もオッサンくさいって笑われたことがあるけど、このシリアスな空気を切り裂くにはちょうどいい。このまま強行突破する。

「待って、於菟兄様」

「うぇ?」

作戦は失敗した。俺の制服の袖がきゅっとゆりゆりにつままれてしまったからだ。その仕草の可さに、つい足を止めちゃう俺を毆りたい。

「俺の名前、覚えてたの?」

これが嬉しかったってこともある。ニヤついているのが自分でも分かるくらい。もう、本當にどうしようもない男だ。ちょっと今をときめく蕓能人に名前を覚えられたからって、こんなにうきうきするとはな。俺もミーハーなところがあるようだ。新発見です、姉さん。姉さんなんかいないけど。

「もちろんなのです。昨日も、メールをくれたのです。どうでした? ゆりゆりのメール、お友達は喜んでくれたのです?」

「あ。ああ、もちろん、大喜びしていたよ。もう、泣いちゃうくらいに喜んでた」

そうだった。昨日のクラス委員號令事件で、俺はゆりゆりにメールする権利を選で一名様に與えていた。保健室であんな事があった後だから、めちゃくちゃ気乗りはしなかったけど、約束なので仕方がない。俺のスマホはまだ返してもらっていなかったので、権利を得た子の攜帯を使い、メールで事を説明したら、俺の住所を教える代わりに了承してくれたのだ。個人報を要求するとは危ない子だ。俺の住所の報を何に使うつもりだろうとか不安にはなったのだが、しょせん相手は小學生。大したことはあるまいとタカをくくってその條件を飲んだのだ。

ただ、メールする権利を得たのがよりにもよって黒野だったというのが、いかにもまずくて……。ティッシュを細巻きにして作った棒の一本だけ、先っちょが赤いマジックで塗られたものを皆に引いてもらうという、シンプルなくじ引きをしたにも関わらず「なにそれ? 無敵さん係って、そういう不正とかもやっちゃうんだ」なんて大騒ぎ。黒野は黒野で皆が羨ましがっているのを分かった上で「ゆりゆりになど興味は無いので適當な質問でもしておくか。えー、と。靴はどちらの足から履きますか? と。ふははは。すげぇどうでもいいな。ふはははは」なんて、火に油を注ぐようなこと言ってくれるし。黒野め、人の神経を逆でするのが好きらしい。悪意がある分、無敵さんよりタチが悪い。まぁ、従って、大喜びしていたなんて噓もいいとこなんだが……。え? 待てよ? て、ことは?

「それは良かったのです。ゆりゆりも嬉しいのです。おかげで、於菟兄様のおうちを訪ねて來たつもりが、水無人にぃだけじゃなく、無敵さんの居場所まで突き止められて。ゆりゆりは萬々歳ってじなのです」

「あんだと? 由理花にこの場所が割れたのぁ、てめぇのせいだったのかよ!」

またぐらを摑まれた。せっかく直してくれたけど、俺のブレザー、またくしゃくしゃになりました。本當にどうもありがとうございます。

「は? あ、い? そ、そういうことになるのかな?」

ゆりゆりからは満面の笑顔(可い)、薬袋からは怒気満々(鬼怖い)に睨まれて、俺はもう苦笑いするしかなかった。なんだこれ? こんな偶然って有り得るの? なんかおかしな運命の歯車に組み込まれているような気がして仕方がないけど。神様って俺に何をさせたいの?

あと、ゆりゆり。どうして俺なんかを訪ねて來るんだ? 俺に惚れた? いや、ないだろ。ゆりゆりだって、小さいとはいえ蕓能人だ。魅力あふれる蕓能人に、毎日接しているはずだ。そんな人たちに比べたら、俺なんて所詮は一般人。年の差だってありすぎる。以上の理由から、このセンは絶対に無い。斷言。

「怒りたいのはゆりゆりの方なのですよ、水無人にぃ。その手を離してください、なのです」

「ちっ」

ゆりゆりにぴしゃりと言われ、薬袋は素直に手を離した。薬袋はゆりゆりにかなりの負い目があるようだ。で、なければ、こんなに従うようなヤツとは思えない。同時に義理堅いヤツだとも考えられた。多分、悪い奴ではないんだろう。

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