《學園一のお嬢様が風呂無しボロアパートに引越してきたんだが》第十話 狹山くんはただのお隣さん……ですわっ!
オレンジに染まる夕日の下で、俺と志賀郷はバスタオルを抱えながら歩いていた。
遠くから子供達のはしゃぐ聲とカラスの鳴き聲が互に聞こえてくる平和な東京の路地裏。そんな庶民の日常である一時に違和マシマシなセレブがまた一人。一昨日までの俺だったら「どんな夢語だよ」とツッコミをれるであろう展開が現在進行形で起きている。
「こうしてゆっくり歩くのも意外と楽しくて良いものですわね」
夕焼け空を眺めながら穏やかな口調で志賀郷が呟いた。
「そうかなあ。俺には退屈な道のりとしか思えないが」
高級車の窓から眺める景ばかりだった志賀郷にとっては新鮮に映るのだろうか。行き帰りの電車といい、彼は俺達の當たり前を新たな発見として捉えているよな。
「私は素敵だと思いますよ。……この生活も案外悪くないかもしれませんわね」
「悪くない……? まさかとは思うがお前……無収で破滅まっしぐらな事実を忘れてないよな?」
「あっ……」
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良からぬ事を思い出したかのように口をぽっかり開ける志賀郷。やはり忘れていたか……。
しかしこのまま何日も過ごしていたら本格的に詰・み・になるよな。さっさとバイト等をして稼いでもらわないと。
「呑気に飯食ってる暇は無いからな。志賀郷が自立しないと俺の生計に関わるから」
「はい……。以後気を付けますわ……」
俺は危機を持ってもらうために言ったつもりだったのだが、志賀郷は予想以上に反省しているようで、しょぼくれた態度をとっていた。々言い過ぎただろうか……。
「まあ、ヤバい狀況なんだと思ってくれればそれでいいから。そんな悲しまなくても……」
「いえいえ。これは私に責任がありますわ。味しいご飯をたっぷり食べる為には自重が必要ですものね……」
「あぁ、飯……。そうか」
なんだこの拍子抜けした覚は。志賀郷が飯に命を賭けてる點は重々承知しているが、ここまでくると虛しくなってくるな。飯さえ良ければ後は何でもいいというのだろうか。ドカ食いお嬢様、恐るべし。
◆
俺の行きつけの銭湯はかなり昔から営業しているらしく、創業當時からのレトロな雰囲気が特徴的だ。
木造の引き戸を開けて中にると、すぐ正面に番頭が座るカウンターがあり、店主のおばちゃんが今日もどっかり腰掛けていた。
「おや涼ちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは、芳子よしこさん」
軽い挨拶を済ますと、番頭の芳子さんは「今日は暑いねぇ」と早速世間話を始めようとする。しかし俺の背後に立つ人影に気付いたらしく、開きかけた口を一旦止めた。
「あら、奧にいるのは……」
「こ、こんばんは……です……」
後ろから張満載の聲で志賀郷が挨拶すると、芳子さんの表はみるみるうちに楽しそうな笑顔に変わる。
「まあまあ可いお嬢ちゃんじゃないの! もしかして涼ちゃんの彼さんかい?」
「いや違いますってば!」
早速誤解されてしまった。いつも一人なのに突然の子と一緒に來たら確かに勘違いするかもしれないが、相手は金髪ウェーブのスレンダーだ。貧相な見た目の俺とはそもそも釣り合わない組み合わせのはずだけど……。
「照れなくても良いんだよ。まだ若いから恥ずかしがる気持ちは分かるけどね」
「だから誤解ですって」
「そうかい? でもお嬢ちゃんのお顔がさっきよりも赤く染まってるようだけど」
いやそれは無いはず……。
しかし振り返ると芳子さんの言う通り、志賀郷の頬は見事に染め上がっていた。
恥じらい……ではないよな。きっと俺のような庶民と人であると勘違いされて屈辱を味わっているのだろう。元大富豪だけあってプライドだけは高い奴だからな。
「志賀郷、その……ごめんな。このおばちゃん、冗談ばっかり言うから」
「い、いえ、狹山くんが謝る必要は無いですわ。……私、こういう時にどう対処したら良いか分からなくて……」
志賀郷はもじもじと顔を俯けながら話す。
意外にも志賀郷は純粋に恥ずかしがっているようだった。俺の偏見かもしれないが、彼のようなは男慣れしているから、沙汰はお手のだと思っていた。現に志賀郷の八方人ぶりは數多の男子生徒にも及んでいる訳だし。
「芳子さん、人を困らせるのはやめてくださいよ。この子は……たまたま俺の隣の部屋に越してきたクラスメイトなんです」
「そっか〜。隣の部屋にか〜。いいねぇ、青春だねぇ」
天を仰ぐように遠くを見つめる芳子さんはきっとまだ勘違いしているのだろう。でもこの人にこれ以上理解させるのは時間の無駄だな。さっさと風呂にってしまおう。
「志賀郷、ここに來たらまず浴料を払って湯と書かれた部屋に行くんだ。それから――」
「ちょっと涼ちゃん!」
右も左も分からないお嬢様に銭湯のイロハを教えようとしたところで芳子さんに水を差される。今度はなんだ……?
「……なんですか?」
「そこのお嬢ちゃん、銭湯にるのは初めてじゃないのかい?」
「え……どうして分かったんです?」
「あっはっは、そりゃひと目でわかるさ。こんなお人形さんみたいに可いお客は三十年番頭やってて初めてだからねぇ。ウチみたいなボロくさい店に似合わない顔をしているよ」
自なのか分からないが、芳子さんは「誰でも歓迎だよ」と嬉しそうに話していた。流石は長年商人を勤めてきただけはある。すごいぞおばちゃん。
「あの……よろしくお願いします……わ」
「もちろん。さあこっちにいらっしゃい。……ふふ、初々しくて可いわねぇ。名前はなんて言うの?」
世のおばちゃん特有の『テンション上がって甲高い聲になる』を繰り広げながら芳子さんは志賀郷を連れてせっせと湯の方へっていった。大丈夫だろうか……。変な事されたりしないだろうか……。
俺は赤い暖簾のれんを見つめながら小さく溜め息をついた。
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