《噓つきは人のはじまり。》急なおい
四月にり半月ほど経ったある日の休日。
玲は朝から部屋の掃除をしていた。
「…もう、十一時か」
道理でお腹が減るわけだ。晝食にはし早いけど食事にしようと掃除の手を止めた。
ぐっと両手をあげてびをする。ずっと屈んでいたせいか腰骨がポキッと鳴った。
左手で腰をトントンと叩きながらキッチンに向かう。冷蔵庫を開ければひんやりとした冷気が若干汗ばんだ顔を冷やしてくれた。
「お、キャベツ、もやし、と」
晝食は焼きそばだ。定期的にソースがしくなるのは関西人のせいだろうか。
玲はふとそんなことを考えながらスーパーで買った三食百五十八円の袋を手に取った。
「はいはい」
そのタイミングでソファーに置いたスマホが震えならが著信を告げた。
こんな休日に誰だろう。電話をかけてくる人は限られている。
家族か人か親友の未玖ぐらいだ。そして休日のこの時間に電話があるとすれば十中八九未玖だろう。玲はあたりをつけながらソファーに伏せたままのスマホを手にして顔を顰めた。
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“九條梓”
電話をかけてきたのは九條だった。休日になんの用なのよ。
そもそも九條は忙しくてオフィスでは顔を合わせていない。
いつも木下か香月か、と考えてそんなことよりその前にこれをなんとかしないといけないと思い至る。
玲はコホンと咳払いをして畫面をタップした。
「はい、宮です」
「今家?」
イマイエ?
「おはよう」でもなく「九條です」と名乗ることもせず、九條は「イマイエ?」と唐突に変なことを訊いてきた。
一瞬何語で話されているのか分からなくて「イマイエ」と復唱する。
『今、家にいるのか?』
「いますけど」
だったら初めからそう聞け!あと居たらどうなんだ。悪いのか。
玲は一瞬ムッとして言い返せば電話の向こうでカラリと笑われる。
『なら良かった。今下にいる』
え?下?と玲は慌ててベランダに出ると外の道路を見下ろした。
するとマンションの目の前の道路に、素人目でもわかるほどの高級車が止まっている。その車の持ち主に相応しいぐらいのイケメンオーラを振り撒いた九條は車にもたれ掛かっていた。
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九條は玲を見つけるとイケメンスマイルを炸裂させた。
偶々近くを歩いていたご婦人が目をハートにするぐらいキラキラしい笑顔だった。
『飯行こう』
「行きません」
條件反のように玲はピシャリと斷った。アポなしでいきなり現れて何を言っているんだ、とこの人は。
特に予定があるわけではないけれど、出かける気分ではない。ゆっくりと部屋でゴロゴロする時間も必要だ。玲は斷固として拒否した。
『それより旨いもん、食べに行こう』
玲は迂闊にも焼きそばを持ったままベランダに出てきてしまった。その焼きそばを指されて「それより」と言われてしまった。
なんて失禮な人なの。焼きそばに謝ってほしい。
玲はこれ以上焼きそばが文句を言われないように後ろに隠した。
「十分味しいですから」
『知ってる。でも今焼きそばの気分じゃない』
「わたしは焼きそばの気分です」
『職場で會えてないし、まあ面談みたいなものだ。どうかなって気になってたんだ。顔見て話せた方がいいだろ?』
「ちゃんと話を聞いてください!」
『聞いてる聞いてる』
絶対聞いてない、と玲は目を釣り上げた。そんな玲を見上げながら九條が笑う。
『それとも何か予定ある?』
「あ、あります」
『見え見えの噓つくな。十分で降りてこい。じゃないと部屋に押しかける』
切られた、と玲はスライドの表示畫面を見て顔を顰めた。自分から電話して用件だけ言ってしかもこちらの意見はまる無視だ。
非常に腹立たしいし納得できないが、降りないと本當に部屋までやってきそう。
「なんて勝手なの」
盛大にため息をつきながらすごすごと部屋に戻る。すぐに九條から催促のメッセージが屆いた。
『すっぴんでもいいから早く』
恥ずかしさとショックのあまりその場に崩れ落ちた。
「で、どうしてそんな服で」
九條は降りてきた玲の姿を見て眉を寄せた。今の玲はジャケットにパンツスーツとピシッとした仕事著だった。
一方九條はラフなカットソーにロングカーディガンを羽織り、細のパンツを履いている。スタイルの良さがとても顕著にでるコーディネイトだった。
「あいにく突然のおいだったので持ち合わせがありませんでした。それならここで失禮しますが?」
玲はツンと橫向きながら素気なく言い放つ。すると九條は苦笑しながら「普通に喋れ、普通に」と助手席を開けて乗るように促した。
玲はころっと忘れていたが、キスされたのだ。
しかも結構ガッツリ。そのことを今になって思い出して九條のいにノコノコ出てきてしまったことを後悔していた。それもあり、仕事著で完璧に防を測ったのだが。
「じゃあ、まずそれをなんとかするか」
九條の方が上手だった。青山にあるラグジュアリーなブティックに連れていかれ、服を著替えさせられた。
おまけに他にもいくつか選ばれた服が次から次へと試著室に放り込まれてひとつひとつ著替えさせられてチェックされた。
「上はいい。下は無し。次あれ持ってきて」
リアル映畫の世界だ。プリティーウーマンごっこだ。
玲は目を丸めてスタッフに的確に指示をする九條を眺めながら鏡に映る自分を見た。
一回転してみる。うん、悪くない。
このプリティーウーマンごっこは、はじめこそ楽しくて気分も高揚した。
だけどそれは三著ぐらいまでの話。
その後は何枚著たか覚えていないほど著せ替えられて試著室を出る頃には一日働いた後のようにぐったりと疲弊していた。
やっと終わった、と喜んだのも束の間。
その後すぐに同じテナントの中にある容室に連れて行かれた。手櫛で適當に結んで誤魔化した髪はシャンプートリートメントで艶々になり、コテで緩く巻かれる。
テキトーメイクもササっと落とされて、丁寧に施されたナチュラルメイクに様変わりした。
「良い。似合う。可い」
ちょうど玲の著替えからヘアメイクまでひと通り終わった頃。それを見計らったように九條が迎えにきた。
玲は一言文句を言ってやろうと思っていた。だが、顔を見るなり嬉しそうに目を細めて頷く様子に何も言えなかった。
言葉には噓やお世辭はないように聞こえた。
そう言い切れるほどシンプルな褒め言葉は不思議とじわりとに広がっていく。まで出かかった文句はシュルシュルと消えてしまった。
「天ぷら?壽司?何食べたい?」
「焼きそば」
再び車に乗り込んだ九條は助手席で若干不貞腐れている玲の機嫌を取るように訊ねた。玲は當てつけのように返す。だが九條は玲の返答に笑うだけだ。想像以上にこの男は図太いらしい。
「それは夜に」
玲はもう真面目に返すのも面倒くさくてただ窓の外を眺めていた。だが、この時この言葉を無視したことを後悔することになる。
九條が玲を連れてきたのは最近できたという、東京灣を一できるレストランだった。
玲が「堅苦しい場所は」と先に希を伝えたため、店の雰囲気はとてもカジュアルだった。
晝を過ぎた時間にも関わらず、店は満席でオープンテラス席なら空いていると言われた。四月といえど、まだ朝夕は寒いが日中はし暖かくなり、外でも過ごしやすくなった。
「外でもいい?」
「はい」
梓は玲に確認を取り、玲はそれに頷いた。
案されれば、テラス席は海に面する橫並びのソファー席。向かい合う席も空いていたのに、店員が気を利かせてカップルシートに案したらしい。
「え、なんで」
「ははは。別にいいだろう」
「え?良くないです」
「小さいことに文句言うな。ほら、座るぞ」
玲は心ガックリと肩を落としながらソファーに座り、渋々とメニューを開く。不意に視線をじて顔を上げれば隣から九條が同じメニューを覗き込んでいた。
「!!?!」
「どうした?」
「どうした?って、ち、近いですっ」
隣に座り一枚のメニューを見ているのだから必然と距離は近くなる。それを頭で分かっていても想像以上に近くて玲はとても慌てた。
「じゃあ、先にどうぞ」
「決まった?」
「九條さんは決まったんですか?」
「玲が決めた後に決めようと思って」
ナチュラルに呼び捨てにされて玲は驚く。
「名前呼び、」
「良いだろう?それとも花子とでも呼ぶか?」
「それ、違う人!」
思わず突っ込めば九條が「ははは」と笑う。玲は「もう」と不貞腐れてみたものの、この時點で名前呼びを訂正するエネルギーはない。
試著で疲れたのよ、もう。
しかもお腹減ったし。
さっきから食事のいい匂いに腹の蟲が鳴き始めた。
朝から掃除をしてお腹が空いた時に連行されたのだ。もうペコペコすぎて分からない程になっていたけれど、匂いを嗅げば案外まだ大丈夫なようだ。
「木下からある程度話は聞いてるけど、直接聞きかせてほしい」
食事を待つ間、九條は仕事の話を玲に振った。それに驚いたのは玲だ。本気で仕事の話をするとは思っておらず、お水を飲んでポケッと海を眺めていたのでカウンターパンチを食らった気分だった。
「なに?」
「え、あの、本當にすると思ってなくて」
「じゃあやめとく」
「あ、いえ。それは全然大丈夫です」
玲はすぐに頭を切り替えると姿勢を正し、この二週間でじたことや今後の展について、木下に話した容と同じことを九條にも話した。九條はただ黙って話を聞く。全て聞き終えた後に、いくつか質問をされて、それに玲が返す。を繰り返した。
「なるほどね」
仕事の話は食事中も続いた。
今ADF+で問題になっているのは運用ベースの効率化だ。どの會社にもいくつか管理ツールがある。勤怠管理から始め、営業管理、請求、契約書等々。そのツールをまずは一元管理できるツールに変更することを玲は推した。
ただ、九條は「もし何かあったときにデータを一箇所にしておくにはリスクが高い」とマイナスの部分を突いてくる。
もちろんそれは玲も理解できるし木下にも言われたことだ。そのリスクから社の様々な管理ツールは個々としている。その時々で必要なツールを導してきたツケであり、組織が大きくなればそのあたりの整理整頓というのは必要なフェーズだ。いくつか個人的に分析した他社のツールをざっくりと紹介し、たとえ全て纏めなくともいいこと、要は現場が使いやすく、且つ管理しやすいようにある程度に分けておけばいいことを伝えて終話した。梓はふーん、と何かを考えているようだったが、玲はそれには口を挾まずに、テーブルに並んだ食事に手をつけたのだった。
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