《噓つきは人のはじまり。》逃げ出した理由

玲の自宅で二人暮らしを始めて一ヶ月が過ぎた。朝は同じベッドで目が覚めて微睡みながら「おはよう」と挨拶をする。朝食を食べながら夕食や今日の予定を軽く話し「行ってらっしゃい」と玲が見送る流れが定常化していた。そんな玲を梓は嬉しそうに振り返り「行ってくる」とキスをする。

未玖に話せば「どこの新婚夫婦だよ」と笑われそうだが、玲はそんな毎日にとても心が満たされていくことをじていた。

ただ、相変わらずロバートとの関係は続けたままだった。梓のことが好きなのか嫌いなのかと聞かれればきっと好きな方だと思う。ただ、彼のし強引なところに流されているだけかもしれないと思うところもある。

誰だって一緒に暮らしていればが湧く。を重ね大切に扱われれば勘違いもするだろう。玲は梓が自分を大切に思ってくれる気持ちは理解しているつもりだった。

ただ、どっちつかずで中途半端にしていることに対して後ろめたく思いながらもかといってロバートに別れ話を切り出せる勇気がまだ玲は持てない。いずれにせよ、タイムリミットまであと一ヶ月半。玲はカレンダーを眺めて小さく溜息を吐き出した。

ここ最近玲がぼんやりとする姿を梓はよく見かけた。その度に聲をかけてみるが上の空だったり反応してもどこか覇気がない。梓は一度どうしたのか、と問いかけたが玲は「何もない」と否定するだけだ。

「玲、一緒に出てくれないか。恩人なんだ」

そんなある日、梓からお願いがあった。

昔の恩人でかつ今でも気にかけてくれているある経営者の誕生日パーティーが開かれると招待狀が屆いた。その際に同伴者として出席してほしい、と言う。

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玲は「パーティー」という響きにし浮足立ったものの即答はできなかった。

「彼が引退する。きっと大々的なパーティーは今年が最後になる」

その経営者は年齢による引退を考えていた。またもいたって健康とは言えないらしい。人間六十を過ぎればどこかしら悪くても仕方がない。彼は殘りの人生をのんびりと過ごすために東京の自宅を売り、生まれ育った地元に帰るという。

玲はその話を聞いて思い悩んだ末承諾した。梓は「ありがとう」と喜んでくれたが、玲はどこか不安で仕方なかった。

そしてその不安は的中する。會場にはかつての同僚が數人出席していた。

「…宮か?」

最初に聲をかけられたのは、當時最後まで世話になった澤木だった。彼は玲よりひと回り年上の男でいつも玲を見守ってくれていた。玲は澤木に聲をかけられた時は心臓が止まりそうなほど驚いたが、記憶よりも老けた澤木に思わず目を下げた。

「ご無沙汰しております」

「見違えたよ。綺麗になった」

「きっとドレスのせいです」

このドレスは梓が準備してくれたものだった。出席の意向を伝えた翌日にはすでにドレス一式が屆けられた。靴も足に合わないと困るからといくつか型の違うブランドを準備し、當日は上から下まで丁寧に磨かれた。

「そうか」

澤木は相変わらずどこか鈍な玲に苦笑した。確かに社した頃は田舎っぽさもさも殘っていたが、一年目が終わる頃には十分綺麗になっていた。だが今はそのしさとはまた違った。どこか儚げで自信なさげに見えるのは引っかかるが、側から出るオーラはきっと人がいる証拠だろう。だが懐かしさに浸る間もなく澤木は玲に注意事項を告げた。

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「もしかすると、利川が來るかもしれない。気をつけるように」

玲は澤木から伝えられた名前に肩を跳ねさせると忙しなくあたりを見渡した。會場は出りが多く、最大三百人近く人がいる狀態だと澤木は付け足した。殆どがパートナーを伴い、はワンピースやあまり派手すぎないドレス、男はスーツを著ている。

「玲?」

そこへ別の人間と話をしていた梓が玲の隣に立った。澤木は「おや?」と眉を上げる。玲は梓に澤木を「前の職場の上司」だと紹介し二人は簡単に自己紹介をした。

「どうやってこんないい男捕まえたんだ」

これには玲も驚いて頬を染めた。その反応が初々しくて思わず梓の表が綻ぶ。

「逃すなよ」

「…う、はい」

「九條さんも、ちょっと鈍くて手のかかるこかもしれませんが」

「大丈夫です。手綱は握っておきますので」

澤木は冗談まじりに玲を揶揄うと「じゃあ」とすぐにその場を去っていく。玲は変わらない澤木の態度に安堵しながらも、利川に會う前にこの場を抜け出したくて仕方がなかった。

本日の主役である里中が登壇したのはそれから間もなくすぐのことだった。年六十七になるとは思えないほど矍鑠としており背筋もピンとびている。里中が簡単に參加者への謝、開催者への労いの言葉を述べると司會者の乾杯の聲と共に一斉にグラスのぶつけ合う音がする。玲は近くにいた香月と木下とグラスをわした。

「おぉ、九條くん。久しぶりだね」

「ご無沙汰しております。お元気そうで安心しました」

「なに。まだくたばりはせんよ。だがまあもう十分働いたから隠居しようかと思ってね」

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參加者は皆里中と挨拶をわした。忙しい人はサクッと挨拶だけして帰る人もいるという。會場には食事や飲みもたくさん準備されており、食事を楽しむ人も多いらしく。挨拶に並ぶ人はそれほど混み合っていなかった。

「宮玲さん。僕の大切な人です」

梓の紹介の仕方に玲はドキリと肩を跳ねさせた。驚いて見上げると甘い眼差しを向けられる。そんな梓の様子に里中も驚いたのか目を點にした後、嬉しそうに破顔した。

「ようやく落ち著くか」

「もうずっと落ち著いてますが」

「出會った時からどこか達観してたがな。まあ、そうかそうかよかったよかった」

ちなみに梓は昔から非常によくモテた。なにしろこの見た目だ。來るもの拒まず去るもの追わずが基本的なスタンスであり、決して玲には言えないような黒歴史もある。だが、今は十分に落ち著いた。玲に出逢って以降人は作らなかった。會社の存続に毎日が必死で偶然にも再會できたをようやく手にれようとしている。

「それでは、また」

後ろに人が並んだので「そろそろ」と腰に腕が回った。玲は軽く頭を下げる。

すると里中が「宮さん」と玲を呼び止めた。

「九條くんをよろしく頼みます」

玲は驚いてそのまま梓を見上げた。梓もまた驚いたように目を丸くしている。

「九條くんはわからんが、私は君を友人であり、後輩であり、息子みたいに思っている。だからとても嬉しいんだ。東京を離れる前に一度飲もう」

「…はい、是非」

梓は軽く頭を下げた。玲も一緒に深く頭を下げる。

「…俺も父親みたいだと思ってた」

「…そっか」

「あの人にはいろんなことを教わったから」

梓は里中との出逢いや思い出を玲に話した。目立たないように壁際に移し玲は梓の気の済むまで彼らのエピソードに耳を傾けた。

もうそろそろ帰れるかな。

パーティーは中盤だった。梓は顔を出せば帰ると言っていたが意外と知り合いに會うらしい。先ほどからひっきりなしに挨拶されてその度に玲も簡単に挨拶をした。そしてそのことに疲れたので逃げるようにパウダールームにいる。だが個室に引きこもっていると、數名のたちの聲が聞こえてきて、彼たちの會話に思わず息を止めた。

「すごくショック!九條様に相手がいたなんて」

「そうよね~。彼は一匹狼なじがよかったのに」

「しかも特別人でもないし」

玲は小さな子どものように耳を塞いだ。便座の上に座り込みをぎゅっと丸める。

だが、彼たちの聲は良く通る。聞きたくないことまで知ってしまい、玲はからの気がひいた。

「そのって利川製薬の娘から彼氏取ったんでしょ?」

「えっ、マジで?!」

「さっき本人から聞いたから間違いないわ」

川製薬は日本でも屈指の製薬會社だ。その社長令嬢が當時玲の先輩であり、澤木に好意を寄せていたという。玲はてっきり仕事のことだけかと思っていたがまさか澤木に好意を寄せているとは思っていなかった。

だがここでようやく腑に落ちた。自分が澤木に庇われているのが気にらなかったのだと玲は今更ながらに気がついた。あの當時表立って庇ってくれたのは澤木だけだった。それが癪にったのだろう。なんて自分勝手なんだと玲は奧歯を噛み締めた。

たちの話はまだまだ続いた。利川は玲を孤立させるよう副社長に圧力をかけたらしい。當時利川と副社長は不倫関係で副社長は利川製薬の権力に目が眩んだという。玲は今更ながら驚きの事実に聲がでなかった。

「ってか不倫してるお前どうよってじだけど」

「言えてる」

「ちなみにそのめたら辭めたって笑ってた」

「サイテー」

玲は驚きと怒りで心がぐちゃぐちゃになってきた。なんとか気持ちを押し殺しているものの、どうしてそんな話を聞かされないといけないのか理解できなかった。

ただの不運なのか、それとも意図的なのか。なんとなく後者な気がするのは考えすぎなのか。

「でもそれがばれたらしくてクビになったらしいよ、副社長」

「そりゃそうよね」

「しかも會社が解したらしい」

「えっ?!どういうこと??」

「それを黙認していた従業員は全員解雇されたって。社長が『そんな薄な人間はでていけ!』って切り捨てたらしい」

「げ。巻き込まれた人たち可哀相すぎる」

「利川は実家に戻ったらしいけど、八つ當たりをけた社員は可哀相よね」

「ってか、そんなトラブルメーカーなが九條様の彼なの?」

「ありえない!ってか知らないんじゃない?!」

玲は愕然とした。途中から話が追いつかなかった。

たちの話を整理すると、利川に協力した副社長はクビになった上、見て見ぬしていた他の社員達も解雇された。彼らは巻き込まれ事故もいいところだ。おまけに會社は解した。今はどうなっているのかまで聞けなかったが、その発生源は自分とは。そう思うと頭が真っ白になる。

楽し気に話しながら出ていく彼たちの聲が聞こえなくなると、ようやく玲は個室から出てきた。よろよろとよろめきながら會場とは反対側のロビーに向かう。そこのソファーに座り込んで、今聞いた話を繰り返した。

「…どうしてこうなったんだろう」

今夜はただ、梓についてきただけだった。それ以上に過去を遡るならただ仕事をしていただけ。それなのに、男に目を使っただの、客と寢て契約を取った、だのあらぬ噂をまかれたうえ、巻き込まれた社員たちが解雇された。

自分は被害者のつもりだったが、巻き込まれた側からすると完全に加害者だ。

彼らだって、いつ利川の餌食になるかビクビクしていたはずだ。日本屈指の製薬會社のお嬢様に権力をちらつかされるとただ大人しく黙り込むしかないのに。

「…最悪」

玲は俯いて複雑なを噛みしめる。そこへ今一番聞きたくなかった聲が飛んできた。

「あら、ここにいたの?探したわよ」

園。かつての同僚で玲が今最も會いたくない人だった。玲はを噛み締めながら彼を見上げる。利川は片方の口角をあげると蔑んだ目で見降ろした。

「澤木さんだけにしておけばよかったのに。九條さんなんて、あなたに似合うわけないでしょ?いいこと?教えてあげる」

川はこちらが何も言っていないのにぺらぺらと話だした。その容に玲はまたショックをけた。

「澤木さん、あなたのせいで結婚が白紙になったのよ。知らなかったでしょ?」

え?

「九條さんは私の友人と結婚するはずだった。でも、彼が突然結婚をしないと言い始めたの。友人はあまりのショックに自殺未遂よ。あなた一どれだけの人の人生をめちゃくちゃにすれば気が済むの。もういい加減」

「利川、いい加減にしろ」

そこへ現れたのは澤木だった。利川は澤木に眉をひそめる。

「あなただって人生をめちゃくちゃにされた一人でしょう?」

「あぁ、お前にな」

「あら、人聞きの悪い」

川はクスリと笑うと「じゃあね」と踵を返す。全く悪気もなさそうにランランと歩く後ろ姿を玲はただ呆然を見つめていた。

「大丈夫か?宮。何を言われたか知らないが、アイツの言ったことは大噓だから信じるなよ」

澤木は呆然とする玲の隣に座ると顔を失くした玲に心配そうな視線を向けた。

玲は頭を整理するように利川に言われたことを口に出す。

「…結婚が白紙になったって」

澤木は目を丸くしたあと忌々し気に顔を顰めた。

「余計なことを」

「…事実なんですか?」

「いや、…白紙にはなっていない。ただし延びただけだ」

澤木は當時婚約者に玲のことを相談していた。『められている社員がいる』と『どうしたら救えるだろうか』と。そして利川のことも話しており、結果、何もできずに玲が壊れていく様子を眺める事しかできなかった自分に婚約者がキレたのだ。

『そんな人だと思わなかった。結婚は一度考えさせてほしい』と。

それに慌てたのは澤木だ。確かにめられていることを話したが、その発端が自分と玲がデキているという噂だったことは婚約者に伝えていなかった。

そこを伏せて話してしまった為に、「どうして彼の味方をしないのか。意気地なし」と怒鳴られたのだ。

「お前も『利川』のお嬢様の権力に屈する他の奴らと一緒か」と吐き捨てられた。

だが、澤木は立場上くことができなかった。そんな噂のせいで、玲のチームから外されて別の部署に異させられてしまったのだから。

澤木は利川の仕掛けた罠によってありもしない商談に飛び回る社長を捕まえて會社の現狀を訴えた。澤木の他にも社長に直接狀況説明の連絡をれた社員がいたが、セキュリティをハックされたせいで重要なメールは屆かない狀態になっていた。

そこからの好転は早かったが、玲の神狀態は既にボロボロで會社を退職した。

社長はひどく責任をじたうえ、社員たちに一年間給料半分だと提示した。それが嫌なら辭めろ、と言った。もし今やめるなら社年數に限らず三か月分の給料を出す、という條件に退職者が続出した。

澤木は迷わず償いとして退職せずに一年間給料半分で仕事をした。そのせいで結婚がびたといっても過言でない。実質會社は解し、今は當時の數名と小さな小さな會社を営んでいる。その數名は社長の人柄についてきていた為、例え給料が減っても辭めはしなかった。今の方が仕事は楽しいうえ、信頼できる人たちが多く、當時より気持ちは楽だ。

澤木はそのことを丁寧に説明したが、玲はうわの空だった。數年前の壊れてしまった玲を思い出し、慌てて腰を上げる。

「宮ここにいろよ」

澤木は九條を探しに會場に駆け回った。

一方玲は、立ち上がるとのろのろと非常階段の扉を開ける。

「…いない方がよかったんだ」

梓に実は結婚を考える人がいたということも割とショックだった。あれだけ大切にしていたのに、彼は何かのきっかけで簡単に心を変えられるんだと思うと皆同類じゃないかと思い始める。

「…ははっ、騙されるところだった」

乾いた笑い聲が冷たい非常通路に響きわたる。一緒に過ごした時間が走馬燈のように流れていき、次から次へと涙が溢れた。しゃくり上げながら手すりを伝い降りる。

自分を心配する梓も、呆れてしまうぐらい過保護でどうしようもない梓も、どこかうんざりするとはいえ、嫌いではなかった。いや、こんな自分を必要としてくれて嬉しかった。だから、勘違いしていたのだ。

本當は、そのは、他のひとに向けられるものだったはずなのに

外へと通じる扉を開ければ生ぬるい風が玲を包みこんだ。

どんよりとした雲がとても低くじる。そういえば、臺風が近づいてきていると天気予報で言ってたっけ?と玲がぼんやりと思い出していると、鞄の中で攜帯が震えていることに気づいた。

梓だったらどうしよう、玲はこわごわ畫面を覗くと著信相手はロバートだった。

一瞬ためらったものの、玲は通話ボタンに指をらせる。

「もしも…」

『レイ、聞いてくれ!ビックニュースだ』

いつも落ち著いている彼が子供のようにはしゃいでいた。玲は「うん?」と力ない聲で続きを促す。

『日本で店を出さないかってオファーが來たんだ!ミラクルだよ!』

玲はヒュッと息を飲み込んだ。

『まだ未定だけど近々そっちにいくよ』

ポツ、ポツポツ、と雨が降ってきた。やがてその雨粒は大きく重くなる。玲のドレスはあっという間に雨水を吸い、綺麗に結い上げられた髪も雨の重みでしょげ込んでしまった。

ツーツーツー

『約一年離れてよくわかった。かっこ悪くてもみじめでもキミを日本に帰すべきではなかったよ。とても後悔している。だけど、もしこの話が正式に決まれば、しばらく僕は日本にいる。軌道に乗るまで何年かかるかわからないけど、信頼できるスタッフに全てを任せられるようになれば、帰りたいと考えてるんだ、レイ。キミを連れて』

玲は呆然としながら土砂降りの雨の中立ちすくんだ。

耳に馴染みのあるはずの聲がなぜか全然知らないひとのように聞こえて何故か落ち著かなかった。

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