詠唱が完了した瞬間、ロイが自分にキャストしていた【強さを求める願い人】が強制的に解除された。

普通の強度のに戻ったロイは、思わずくように肺から咳込む。

ロイの重を仮に６５ｋｇだとしても、５倍の時點で３２５ｋｇだ。最早ロイは指１本すら微だにできない。

が重いなんてレベルではない。重力によって臓の全てが地面に向かって引きずられるようである。手も、腕も、足も、腳も、も、頭も、まるで鉛のように重くなる。

否、それだけならまだいい。

脳みそまでもが重力の負荷によって、ほんの０・００００５ｍｍぐらいだが、形を変え始めようとしていた。小數點５桁など誤差、という認識は間違いだ。脳みその形が変わる。どの程度変わるかなど些末な問題で、変わる時點で相當ヤバイ。陳腐な表現だが、本當にヤバイとしか言いようがない。絶的な危険という言葉ですら生溫い。

「知っているゾ～？　キミは魔を打ち消す魔【零の境地】を使えないんだろ？」

それはジェレミアの指摘どおりだ。むしろ、まだナイトの段階なのに【零の境地】を使える騎士の方が珍しい。この學院では騎士學部の學生も、魔師と戦うことになった時のことを想定して【零の境地】を學ぶ機會があるが、ロイはまだその段階ではなかった。

しかし――、

ふと、ロイの視界に観客席が映る。

そこの最前列では、シーリーンが今にも泣きそうな表でロイのこと見守っていた。

（の子のあんな顔を見たら、頑張るしかないよね……っ！）

ロイはを、そしてすらもかせないことを確認すると、頭の中であることをイメージする。

詠唱破棄とは、聲に出して魔に必要な詠唱をする必要がないだけで、魔の理解を怠っていいという便利なモノではない。だが逆を言えば、魔を理解さえしていれば、詠唱を聲に出さなくてもいいということ。

（ッ、聖なるィ……形を以って、顕れよ！　神のご加護を、その者に……ィッッ！　発しろ！　【聖なるの障壁】――ッッ！）

剎那、ロイと地面を遮るように魔の障壁が顕現する。

通常の重力はともかく、ジェレミアの魔によって倍加された分の重力を無効化できたロイは、早々にその場を離れる。

重力とは、上から降り注ぐ力ではなく、下から引き寄せる力。

この場合、ロイが実際にしたように、自分と地面の間に障壁を展開することが正解である。

「やるじゃないか、ロイ。ナイトなのに【聖なるの障壁】を詠唱破棄するなんて」

ロイが鼓をバクバクとして、荒々しく息を吐くのに対して、ジェレミアは余裕綽々の態度で立っている。

ロイは一応、流するレベルのケガをしたわけではない。実際、ジェレミアからけた魔は【黒より黒い星の力】だけ。しかし、そのたった１つが致命的すぎる。

呼吸はれ、心臓は今にも張り裂けそう。

脳に直接重力の影響をけたせいか、吐き気がするし、目眩もするし、立ちくらみもする。

最初の強化。次に重力の負荷。その次に、負荷がかかったまま、強化を強制的に解除される。そのさらに次の段階で、ようやくが通常の狀態に戻れた。

の超過酷使なんてレベルではない無茶に、ロイのが悲鳴を上げる。一部の筋は裂けて、右の耳が聞こえない。なにかを喋ろうとしても、舌をかしている覚もすでにない。よって、活舌が悪くなる。つまり普通に、いつものように喋れなくなる。エクスカリバーを持つ右手が震えていて、もはや左手だけで握っているのとほぼ同じだった。臓が本來の位置からズレている自覚すらあり、トドメには突然死の前れのように頭がクラクラする。

だが――、

（ボクのこの痛みは……たった一瞬のモノ！　シィはこんな心の痛みにずっと耐えてきたんだ！　ここでボクが音を上げるわけにはいかない！）

決意を再確認して、ロイは足を前へかす。

（と舌に覚がなく、かせないなら、脳で魔の詠唱を行う！　簡単な魔の詠唱破棄ぐらい、ボクにだって……ッッ！）

ロイは【強さを求める願い人】、つまり強化の魔をかけながら、同時に一番簡単なヒーリング魔である【優しいサンフテスリヒツ】を永続キャストする。

無論、いくらヒーリングをしていても、それを上回る勢いではゴミクズのように、塵芥のようにボロボロになっていく。外見に目立った傷がないだけで、の部は人間として致命的なレベルで終わっていた。

「ジ、レ……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア！」

咆哮するロイ。聲帯が引き千切れるような絶だ。ジェレミアを倒せるなら、たかが自分のぐらい、死神に差し出してもいい。そのぐらいの覚悟で、強化を全力全開にして、ジェレミアに突撃する。

対して、ジェレミアはロイが迫ってきてもなぜかかない。

ロイが最後の力で聖剣を振りかぶり、振り下ろした、その時だった。

「――――な……、に？」

まともに発音できない口で、ロイは驚愕する。

「殘念だったな、【聖なるの障壁】だ」

最後の最後で、ロイの攻撃はジェレミアに屆かない。

諦めずに何度も繰り返し聖剣で魔障壁を斬り付けるロイだったが、燃え盡きた白い灰にようにがボロボロで、目の焦點が定まっていない今の彼に、ジェレミアの展開する壁は壊せなかった。

そして――、

――これでようやくジェレミアは幻影魔の詠唱を行える。

「映せ、映せ、鏡に映せ。現実を幻想に、世界を虛像に墮とす。その世界には夕日もなく、晩餐もなく、楽もなく、香しい花もない。誰の溫もりもじぬまま、偽りだけをじ給え。――【幻域ファントム・ヴェルト】――」

ついに発するジェレミアの幻影魔。

オーバーキル？　慈悲の心の欠落？　そのようなモノ、ジェレミアは知らない。

これは決闘で、しかも申し込んできたのはロイの方だ。その上、もしも自分が負けるとじたらギブアップすればいいだけの話。

現実問題として、今はジェレミアがこうしてロイを死の寸前まで攻撃しているが、逆に、ロイだってジェレミアを死の寸前まで追い込む可能もあった。

ゆえに、ここだけに関して言えば、ジェレミアは、人として間違っているが、決闘者として間違っているわけではない。

決闘においての真実の１つ。

それは、強い者は殺すかもしれなくて、弱い者は死ぬかもしれないということ。

「ロイくん……っっ！」

「ロイッッ！」

が引き裂かれるような思いでシーリーンとアリスはロイの名前を呼ぶ。

「お兄ちゃん！　しっかりしてよ！」

「弟くん！　意識を失ったらダメですね！」

本當に自分の家族が死にそうなこの景に、イヴとマリアは、涙ながらに甲高いヒステリックな聲をかける。

「――――」

しかし、その聲はロイに屆かない。

ロイはじる。じてしまう。

重力が逆になって空に落ちていくような覚を。

口からがめくれて、が側に、臓が表に出る覚を。

実際に現実では起きていないのだが、白目を剝いて、口から泡を吐いて、鼻からドバドバを流して、鼓の表面を木工に使うカンナによって薄くスライスされて、の表面にクモやらムカデやらヒルなどの蟲が這いずり回る覚を。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

頭の中に直接、ジェレミアの嘲笑が流れ込む。

それを聞いた時、ロイは直した。

これは幻影魔じゃない、ジェレミアが五を弄っているわけではない、と。

事実、これは幻影魔といえば幻影魔だが、まだ発過程の狀態だ。

スムーズに幻覚を見せるためのプロセスと言えば伝わるだろうか。

「――――」

そして――、