《クラウンクレイド》『3-5・空虛』
教室のドアが弾け飛んで宙を舞って。と赤の混じった雪崩が目の前を通り過ぎて。
突然の出來事に反応が出來なかった。巨大な何かの塊が教室のドアから溢れ出してきて、目の前を通り過ぎる。それが、あまりにも一瞬で私は理解出來ていなかった。
無數の「彼等」の集団が、教室のドアを破り雪崩れてきたのだと。と赤の塊が、波の様に溢れ出してきた彼等であると。それを遅れて理解した。
無數の腕、腕、腕。重なり合い過ぎて境界の分からなくなったと赤の塊。人を喰らうという行為だけの、人でなくなった人達の群れが、一斉に飛び出してきたのだった。
そう、遅れて理解してしまった。
「矢野ちゃん!」
その集団の波に、矢野ちゃんが呑み込まれていくのが見えた。その景はスロウモーションであるかのようにハッキリと見えて、鮮明に私の視界に焼き付く。飛沫と悲鳴と、歓喜の様にも聞こえる無數のき聲が重なる。
矢野ちゃんがばした手が、それを摑もうとした私の手が、空虛を裂いて。矢野ちゃんの姿が、彼等の群れの中に一瞬で消える。無數の彼等と彼等の手が矢野ちゃんを引きずり込んでいって。
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矢野ちゃんの制服のシャツが引きちぎられて、布が糸になり、糸が屑になり。矢野ちゃんの下著が裂けて房が跳ねた。彼の白いがわになる。
その皮を彼等の歯がぶち抜いて、の空いた箇所から赤一のが溢れ出す。の塊かの様な何かの臓が宙を舞って飛沫を散らす。き聲を吐き出す彼等の口が赤く染まって、変した歯からびた犬歯に片が垂れ下がる。
「禱! 矢野が! 助けてよ!」
明瀬ちゃんの大聲に、私は目が覚めたような覚で。
私は咄嗟に明瀬ちゃんの手を強く引いた。彼等の腕が視界の端を掠めてを捩って床を蹴っ飛ばす。階段へと走るも、彼等が階段を昇り切って溢れ出していた。
その直ぐ脇を意を決して駆け抜ける。
制服の裾が彼等の指先とれ合って、微かな音を鳴らす。段差で躓きそうになりながらも、階段を一段飛ばしに駆け上がった。階段を踏み外しかけて上履きの裏がゴムの音を鳴らす。
き聲に急き立てられて、息を切らして、校舎3階まで辿り著いた。転げる様にして3階の廊下にり込むと、明瀬ちゃんの手を離す。必死に起き上がりながら、3階廊下と階段を仕切る防火扉を肩で押した。
錆び付いた防火扉が金切り聲を上げて重たくき、戸枠と噛み合って金屬音が反響する。重たい扉が閉まり切ると衝撃が床にまで伝わる。
今見てきた景が噓であったかのように3階は靜まり返っていた。防火扉に手を付いて私は荒れた息を吐き出す。
突然を突き飛ばされて背中を防火扉にぶつけた。鈍い衝撃音が廊下の遠くまで反響していく。私の肩を摑んだ明瀬ちゃんが、その顔を真っ赤にして聲を荒げる。
「なんで! 矢野がまだ!」
「助けられないよ!」
明瀬ちゃんが私の襟首を摑んで、それでも私は怒鳴り返してしまった。明瀬ちゃんの目の端から、涙が粒として零れ始めて、私を摑んでいた手が震え出す。彼の怒りの表が崩れて、口元が歪む。
「矢野が、矢野がっ!」
急に手を離されて、私はバランスを崩し床に崩れ込んでしまう。
腕に力がらなくなって、抱えていたバックと竹刀袋を床に落とした。
心臓の鼓が激しくて、まぶたの裏を叩かれる様な覚が襲ってくる。ぎこちない呼吸では酸素が足りなくて、視界は明滅を繰り返す。
床にへたり込んだ明瀬ちゃんが私のを力なく叩く。詰まった呼吸と言葉にならない聲が、嗚咽に変わり私のを締め付ける。
矢野ちゃんの最期の表が、彼のが裂けていく景が、飛沫と臓が白いを汚していくのが、鮮明に脳裏を過っていく。
矢野ちゃんが死んだ事実が私の何処かを鈍で毆った様で、なのにそれは何処か遠い出來事であったかのようで、上手く理解できなかった。
死という概念と、矢野ちゃんを結び付けることが出來なくて。一気に目の當たりにした大量の死で、私の覚はとっくの前に麻痺してしまっていたのだと今更ながら気が付く。激しく鳴る鼓の原因を理解できず、そして理解してしまうのが怖かった。
私は間違えたのだろうか。何処から間違えたのだろうか。そもそも。
この世界は、いつから狂ってしまったのだろうか。そんな事を思って、私は自分の手を握り締める。さっきまで握っていた矢野ちゃんの手が、その溫もりが、最早欠片も殘っていなくて。まるで夢であったかのように、今も悪夢を見ているかのように。呆けたままで。
そんな私達を呼ぶ知らない聲がした。
「二人とも、早くこちらに」
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