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梨絵は確かに兄と呼んだ。大型ゾンビのその外見はともかく、顔付きに関しては人相が殘っている様に見える。しかし、それを兄と見分けて外に出てきたというのか。前に進んでいってしまおうとする梨絵を摑んで引き留めたまま、弘人は「それ」から目を離せなかった。

長はやはり２ｍ近い。全の筋が激しく隆起しており、皮が裂けそうなほどである。筋質のその四肢は太く、男のそれと比較すれば倍近い。全の類は破損してか欠片も無く、出している皮は何処も青白く、その下に太い管が通っているのが見えた。左には心房が出しており、通常の數倍のサイズにまで巨大化している。そして、その手にはコンクリートの瓦礫の塊を持っていた。

以前、遭遇した時の大型ゾンビには、その痕跡を隠し待ち伏せをするという知があった。そして大柄な鷹橋を一撃で吹き飛ばすだけの力も持っていた。

大型ゾンビがその手にしていたコンクリートの塊を振り上げる。そして思い切り腕を振り下ろした。弘人は咄嗟にを屈めるも、コンクリートの塊は明後日の方向へ飛んでいき、乗用車の瓦礫の山を崩したのみであった。激しく音を立てて、崩れ落ちていく。その轟音に弘人は揺したものの、拍子抜けもしていた。投擲武とするのかと思っていたが、そこまでのコントロールは無いのかもしれない。

そう思っていた。

「くっそ！」

瓦礫の山が崩れた箇所からゾンビが溢れ出してくるのを見るまでは。大量のゾンビが押し合いながら、雪崩れ込んで來た。

ホームセンターの駐車場は簡易的な迷路と、バリケードの役割を果たしている。乗用車と、それが事故によって重なりあって生じた瓦礫の山。ゾンビの運能力と知では、ホームセンターまで到達できないようになっているのだ。

そのり組んだ通路を進むことが出來ても、乗用車同士の隙間や、車の上を通って行かなければ進めないような造りになっていた。だが、それが崩れた。ゾンビでは通れない筈の箇所を無視して、瓦礫の山を崩すことで「」が開いた。

今の大型ゾンビの一撃が偶然ではないとするのなら、進行ルートを塞ぐ瓦礫の山を理解し、そこを狙って崩したと言う事になる。つまり、３次元的な空間把握と予測。そして何よりも。一人で獲を狩ろうとしていない。ゾンビに無かった知と社會を獲得している。

弘人は梨絵の手を思い切り引く。

「梨絵ちゃん！　こっちだ」

「お兄ちゃんが！」

梨絵の手を引くも、梨絵は激しく抵抗した。無理やり車を乗り越えさせようとするも、梨絵は暴れて大型ゾンビの方へ向かおうとする。その瞬間、ゾンビの群れから抜け出した一のゾンビが勢いよく駆けだしてくる。弘人は梨絵から手を離しバットを握り締めた。駆け込んでくるそのゾンビへと、思い切り振り抜いたバットを打ちあてる。側頭部を叩き付けゾンビは、駆け込んできた勢いのまま崩れ落ちた。

「スプリンターか！」

もう一。乗用車の山を飛び越えながら向かってくる姿があった。飛び掛かってきたそれの脳天へと、弘人はバットを叩き込んだ。沈み込む様ならかいと、頭蓋骨を叩いたいが、混ざり合って手の平に染み込む。赤黒いが零しながら、ゾンビは地面に倒れ込んだ。

「ぃやぁぁぁぁぁっ！」

梨絵の悲鳴に振り返る。先程打ち倒した一のゾンビがまだ生きており梨絵へと摑み掛っていた。弘人がそこへ駆け寄ろうとした時。目の前に飛び込んで來た影があって。鷹橋の後姿だった。彼は梨絵へ摑み掛っているゾンビの脇腹を、勢いよく蹴り上げる。ゾンビのが宙に一瞬浮き、吹き飛んだ。

「ホームセンターまで戻るぞ！　お前が抱えていけ！」

ゾンビの群れが迫ってきていた。それを見て鷹橋が怒鳴る。バットを投げ捨てて地面にうずくまる梨絵のを抱え上げ、の前で抱く。梨絵は泣きわめくばかりで、弘人は梨絵を抱えたまま後退る。

その瞬間。

派手な音と共に、大型ゾンビが弘人の側へと著地した。その巨をじさせる著地音。そしてその目に貫かれて、弘人の足は止まる。目の前にして、やはりその大型ゾンビの異様な雰囲気に圧倒される。

鈍く空を切る音が鳴った。大型ゾンビのに金屬バットがぶつかる。その筋に弾かれ、バットは地面に落ちて、大型ゾンビはゆっくりと頭をかした。バットを投げたのは鷹橋で、大型ゾンビを睨み付けている。

「弘人、先に行け！」

「けど！」

「行け！　俺に構うな！」

鷹橋に怒鳴られれても、弘人はけなかった。大型ゾンビと戦うのは無理だ。しかも、ゾンビの群れが迫りつつあった。此処で見捨てていけば、それは即ち彼の死と直結していた。

「鷹橋さん！」

「誰かの為にってのも悪くねぇって気分なんだ、水を差すんじゃねぇ！」

弘人が梨絵を抱えて走り出したのを見て、鷹橋は鼻を鳴らす。大型ゾンビの視線がき出した弘人の方へ向いたのを見て、鷹橋は大聲を上げる。拳を握り締め、肩の力を抜き、脇を締める。軽いステップを踏みながら、中指を立てた。

「やろうぜ、『アダプター』！」

鷹橋は確かに知っていた。今目の前にしているモノを。その力を。真正面から相手にしても、勝てる様な相手ではないことも。

しかし、それでも。今、自分のが震えているのは決して恐怖ではなかった。激しく脈打つ鼓は決して恐怖ではなかった。

それを昂りだと、鷹橋は確かに知っていた。

この絶の世界でやりたいのは、生き殘ることではなく。

この狂った狀況でやりたかったのは、こういうことだった筈だと鷹橋は自分に言い聞かせる。

「ホームセンターで助けを待つなんてしみったれたのを、やりたいんじゃねぇんだ。こういうのを待ってたんだよ、俺は！」