《クラウンクレイド》『21-1・Simulacrum』
【21話・それは世界の境界線】
21-1
樹村智は、彼の書斎で機を前に、萬年筆を手に、手紙をしたためていた。禱と別れてから一週間が経つ頃であると、そんな風な書き出しで始まる「禱」宛の手紙であった。
禱というを偶然助けたが、彼は樹村の申し出を斷って飛び出していった 。外の世界は、人が人ならざるモノに変わってしまっていて。それでも構わないと外へ出ていった彼の姿は、力強く何か強迫めいた信念をじた。彼を止めなかった事は、ある種見捨てたと言えるかもしれないが、しかしその反面。此処にいれば生きていけると言い切れるわけでもなく。樹村は彼を止めなかった。
禱は、目撃したヘリコプターを追いかけると言っていた。彼がもしそれに功して、そして別れ際の言葉を覚えていたのならば、樹村の元にも救助が來る筈である。故に、樹村の書いている手紙は禱宛てなのである。
もっとも、それは、救助の可能を夢見ているわけでもなく。ただ、この壊れた世界で、樹村が伝えたかった事実を、他の誰に宛てたものかと思案した結果でもあった。その事実は、確かに重大な事の筈で、それをに留めておくにはあまりにも奇妙な事で。しかしその報を誰が一役立てるのであろうかという自嘲染みた省もあって、その結果禱に宛てて手紙を書くという行為に落ち著いた。本當ならば親族、例えば孫娘などに伝えるべきである容ではあるのだが、その事実は余りにも奇妙で、そして慎重に取り扱うべき容であったから、それは止めた。ちょっとした嫌な予であるとか想像であるとか、そういったが足を引っ張ったのも、また確かである。
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事の発端は、禱と別れた日より三日後の事であった。
樹村の息子である樹村貴志―きむら たかし―と再會できたのである。貴志はこの狀況下で何とか生き延び、父親の救助に來たという。貴志本人は無事であったものの、樹村の下に來るまでに多くの死を見てきたという。
そしてまた、彼の娘とは再會できていないと言う事であった。
貴志の一人娘は香苗といい、大學生である。パンデミックが起きた日、市外の會社にいた貴志は、そのまま家族と連絡が取れなくなった。何とか自宅に戻ったものの家族の姿はなく、家族と再會を目指して移を開始した。彼の自宅から香苗の通っている大學へ向かう経路の途中、樹村の家に辿り著いたということであった。
そう、そこまでは良いのだ。
「親父、準備は出來たか」
書斎にってきたのは貴志だった。40代頃の樹村によく似ていると顔を合わせる度に思う。
きやすいような軽裝にボディバッグを背負っている。両腕には雑誌と包帯を組み合わせて作ったプロテクター代わりのものをはめていた。武としてバッドを背負っていて、それをかしやすいように右手のプロテクターは逆側と比較してし軽量化されている。
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貴志は、樹村を連れて香苗の通っている大學へ向かう事を提案していた。香苗を探すのは勿論の事、避難所としての機能を有している筈だ、というのが主張であった。しかし、樹村はその言葉に否定的だった。
「昨日も言ったが、私は此処をく気はないよ」
「親父を置いていけるわけもないだろ」
「なくとも、老いぼれにとっては此処にいた方が安全には違いない」
この生活がいつまで続くかは分からないものの、一人生活していくだけならば何とかなるリソースはあった。外敵の侵も防げている、今までの訪問者は、現に禱と貴志だけである。
そして、例え此処で息絶えようともそれで良いという思いもあった。禱はそれを否定したが、彼はそれを尊重もした。
此処から離れることについて樹村と貴志は多くの言葉を重ね、しかし互いの意見は平行線のままであった。そして今、全ての用意を終えた貴志を見てもやはりこうとしなかった樹村に、痺れを切らしたのか右手で後頭部の髪をでつけながら彼は言う。
「分かった。香苗を探しに行く」
「それが親としての正しい姿だと、私は思うよ」
その言葉に貴志は首を橫に振る。言葉はなく、何処か呆れた様子であった。
樹村が何か書いている事に気が付いて、それについて指摘する。
「何を書いているんだ」
その言葉と共に、樹村が制止する前に手元を覗き込んで。貴志は表を変えた。
「禱……?」
「數日前に、此処にいた生存者のの子だよ」
「ちょっと待てよ。その、禱って子は何処に居る?」
貴志の言葉はし、焦りのが見えた。切羽詰まったような言いである。數日前に數時間いただけの彼の現在地をしる由もなく、樹村は無言で首を橫に振る。そんな反応に、貴志は言葉を急ぎ続ける。
「何処へ向かうとか、何処にいるとか、何か聞いてないのか」
「禱さんを知っているのかい?」
「……禱という婆さんに會った。珍しい苗字だ、恐らく彼の孫だろう」
確かにあまり見かけない苗字ではある。なくとも関東圏では珍しい苗字であった。この周辺であったなら、縁者である可能は十分に高い。しかし、それが何故、貴志をそこまで焦らすのか樹村には判斷が付かなかった。言葉をなく、反応を待つ。
「それで?」
「いや、その禱というに會いたい。此処にまた來る可能は? 食料がある事を知っている筈だろう。そもそも何で此処を離れたんだ」
「彼の祖母を知っている事が、禱さんに會いたい理由になるのか?」
樹村の言葉に、貴志は即答しなかった。その右手で後頭部の髪をでつける癖をまた行いながら、言葉を探すようにしてゆっくりと口を開く。
「彼の祖母から、孫に會ったら伝えてしいという伝言を聞いている」
「その禱さんの祖母は今どこに」
「足が悪かったから、連れては來なかった。別の場所にいる。とにかく禱というに會いたいんだ。どういうじの子だったんだ?」
「……北西に向かうと言っていた」
北西、そんな話は聞いていない。だが樹村はそう言った。
「もう4、5日前の話になるがね」
「何処が目的地だと? そんなに長距離を移できるとは思えないが」
「追いかけるつもりかね?」
「の子だけでそんなに簡単に移できるとは思えない。目的地があったならそこで追いつける」
樹村は書斎の椅子の背もたれにもたれ、しを引いた。機から、そして貴志からし離れる様な形になる。
北西、という方角には拠もなく、禱が見たというヘリが何処へ向かったのかも知らなかった。だが、一つだけ。北西という方角には意味があった。香苗の通う大學とは真逆の方角である。
だが。今。
「貴志。私は出來た人間ではない、完璧とも程遠い。けれども一人の子供の親として生きてきた。例え二十歳になろうとも、四十歳を越えようとも、私が死ぬ間際であろうともそれは変わらない。その顔も格もどんな人生を歩んできたかも、他の誰よりも理解しているつもりだ」
「どうしたんだ、急に」
脈略なく始まった樹村の言葉に、困した様に貴志は再び癖で右手で後頭部の辺りの髪をでつけていた。そんな姿に樹村は一言、冷靜に言う。
「息子は左利きだ」
禱という、そしてその祖母。樹村はその二人について殆ど何も知らない。何が起きたのかも知る由もない。だが、その誰かの孫を、実の娘よりも優先するなんて理由は一どれ程のものであろうかと思う。実の娘であるならば。
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